第2話
泉の表面が沸いて女神が姿を現した。
「………!」
すごい頑張って何かをモグモグしている。
仄かに甘いリンゴの香りが漂っていた。
リンゴを食べていたんですね。
「……あなたが落としたっ」
ゲホゲホッ。
俺とナットさんの両手が気遣わし気に宙に差し出される。その手を咳き込んでもの言えない女神の片手が『大丈夫ですから』と抑える。
「あなたが落としたブーツはこの金のブーツですか? それともこちらの銀のブーツでしたか?」
ごめんなさい。
何度も本当にごめんなさい。
「……普通のブーツです」
「正直者ですね。両方あげましょう♪」
何はともあれ、このやり取りを終わらせないことには、女神さまは帰れないから早めに用件を済ませる。済ました上で平謝りに謝る。
怪我を追わせた上に休憩中にまた呼び出すとかMW(マガワル)くてすみません!
「お気になさらず。この森はなかなか人が通らないので、呼び出しが多いのは嬉しいですよ。私、この一帯の泉を任されてから、初めてこのお仕事をしました!」
初めての仕事があのアクシデント!
もう、謝るしかない。
「はい、どうぞ♪」
と、金銀のブーツを渡してくれる。
俺は左足ばかり2つのブーツを受け取ってお礼をいった。女神は俺の普通のブーツと、自分があげたブーツとをみくらべて、形の違いに気がついた。
「これでは履けないですよね? 右足のブーツも欲しいですよね?」
と、少し期待したように女神は俺を見上げてくる。
結局俺は、ド派手な金のブーツと銀のブーツを手に入れることになった。
妖精やその他もろもろの言い伝えの効果で、人が足を踏み入れなくなった森では、正直者を称える機会などほぼ皆無。
勤勉な女神は仕事に飢えていたようだ。
自分からブーツを落とす提案をするとか、正直者を称える行為から逸脱してるんじゃないかと思うけれど。
女神はやり遂げた表情で泉の底へと帰っていった。
俺はビッチャビチャになった革靴の代わりに金のブーツを履いてみる。
見た目のインパクトは相当なものだが、濡れた靴--しかも革--を履くよりはいい。
そう思ったのだけど。
「なにこれ、すっごく重い」
踏みしめた靴底には小石がガンガン刺さって取れなくなるし、一歩踏み出すのに相当の気合いがいる。こんな重いものを持ってあの女神は、どうやって水上に浮いていられたのやら。腕力、浮力、共に含めて神かもしれない。いや、女神か。
金ってこんなに重いものだったんだな。と、改めて俺は思い知った。剣の時も思ったけど、靴となった今、なおさらその重みを噛み締める。囚人の足かせかよと一人突っ込む。
それを見てナットさんが笑う。
金は不変の物質だけれど、そのままでは柔らかいし、とても重いので、宝飾品以外の使い道はあまり無いそうな。
とある有名な大泥棒の三世が、恐ろしい数の金塊を抱えて走り回ったりしているが、彼らの腕力はどうなっているんだい!?
泥棒家業もIQだけでは賄えない、体力がものをいう世界なのかも。
待てよ。このままこの鬼重いブーツを履き続けたら、
駿足が神の領域にまで高められる何て事には……成りませんよね。
その前にそこまで根性無いし。
オリンピックに出るために鉄下駄を履く柔道家でもあるまいに。俺は金のブーツを履くのを諦めて裸足のまま馬車に乗り込んだ。
なに、革靴が乾くまでの辛抱だ。
分厚い苔の道を右に左に揺られながら先を急ぐ、折り重なるように枝を伸ばす木々の下、木漏れ日が白い光の線を落とす。薄暗い森のなかは静かで、ガタゴトと馬車の揺れる音のみが規則的なリズムを刻んでいた。
時おりふわふわと綿毛のような光の球が、近寄ってきては通りすぎていく。
その光の粒が、少しづつ増えていることに気がついた俺は、ナットさんに小声で尋ねる。
「ナットさん。この光ってるやつってなに?」
「マサル。あなたのチョッキを今すぐ裏返しにして着てください」
そう言うと、ナットさんは上着を裏返しにして着る。
何でそんな事をするのか、なんて俺はもう聞かない。ナットさんはふざけてこんな事をしたりしないのは、暫く一緒に行動して分かっているからだ。
俺は素早くチョッキを裏返して着る。
「あの光はピクシー達ですよ。人が好きだけれど、それ以上にいたずらも好きな困った妖精です」
上着を裏返して着るのは、そうすることによって悪戯の魔法から身を守れるからだそうだ。迷信かもしれないが、何もしないよりはいい。
羽音が聞こえるほどに近くへ来たピクシーは、海外のおとぎ話で見たような可愛らしい姿をしている。葉っぱや花びらの服に身を包み。紅い瞳に白い肌、とがった耳に高い鼻をしていてモデルのように整った容姿だ。トンボや蝶々のような綺麗な翅を羽ばたかせて、鳥のさえずりのような声で笑った。
意地悪するとつねってきたり、道を迷わせたり、手酷い仕返しをされるそうな。
そしてミルクや果物など、人の食べ物が大好物らしい。
「私たちの馬車に、果物が載っていることに気がついたのかもしれませんね」
「少しあげたら落ち着くんじゃないかな?」
「どうでしょうね? 足りないと騒がれた方が困りますよ」
背後の騒がしさに振り向けば、馬車の荷台に置いてある荷箱にピクシー達が群がっていた。いや、もう手遅れみたいです。イルミネーションのコードを、グチャグチャに丸めて置いたみたいな騒がしかだ。
「あ~。ナットさん。やっぱり果物は諦めないとダメかも」
ナットさんが後ろを振り返り馬車を止めた。
ため息をついて首を振る。
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