第4話

「ちょっと! 何するんですか!?」


私は咄嗟にオーヌの手をつかんで引き留めた。

乱暴にもほどがある。いったい何の用だと言えば。


「てめぇの物を持ち帰って何が悪い」


と、呆れたことを言う。

そこに、両手に何かのアメ菓子を持ったミティさんが、慌てて駆けつける。


「おい、手を離せ! 美人はみんなてめぇの物だなんて寝ぼけたこと思ってんの? 

衛兵呼ばれる前にとっとと手ぇ話して消えな!」


ハディさん仕込みの啖呵が飛ぶ。


「こいつはラジだ。焼き印は上手く隠しちまったみたいだが、証拠はここにある。」


そう言って、オーヌのネックレスをスカーフごとむしり取った。


「似た物なんていくらでもあるだろ!」


渡してなるものか!

私は引きずられまいと渾身の力でオーヌを引き留める。露店商や行き交う人々が足を止めて、なんだ何だと様子をうかがう。


「人違いだよ!」


手にアザができるだろうが!

ミティさんがオーヌの手からチンピラの手を振りほどこうとすると、拳が飛んできた。突然公道で暴力を振るうとは思っていなかった。

ざわめく人垣から悲鳴が上がる。


顔を殴られて尻餅をついたミティさんが、鼻血を垂らしながら燃えるような瞳で顔をあげる。

鮮血が服に筋を描いた。


私は事態に驚きつつもオーヌの手を放さなかった。

今放したらオーヌが連れ去られて、また闇のなかに連れ戻されてしまう。

彼女は何のために勇気を奮い起こして代償を払ったの!?


「放せくそアマ!」


「あなたこそ放しなさいよ! 人拐いはそっちじゃない!」


思わす声を張り上げていた。

こんな風に怒り任せに怒鳴ったのは初めてかもしれない。悔しかった。オーヌの虐げられてきた悲しみが、どこか自分と重なったのかもしれない。

苦しんで苦しんで、ようやく自分の未来の為に歩きだしたのに、こんな簡単に踏みにじられてたまるものか!


そのとき、心の底に積もり続けていた黒いものが、怒りで沸き立つような感覚があった。指先が冷えるような恐怖もあったかもしれない。でも、心は痺れたように怒りしか感じなかった。


「あんたなんか消えてしまえ!」


その言葉がどのように発せられたか分からない。

まるでオブラートにくるまれたように、すべての景色、すべての色、音さえも灰色に見えた。


体の回りに黒い霧が立ち込めて、オーヌをつかむチンピラが吹き飛んだ。驚きつつも引き下がる気はないらしく、再び向かってこようと立ち上がる。

だけど、彼らはそれ以上動くことはできなかった。彼ら自身の影が大きく膨れ上がって黒さを増し、沼地のように足を捕らえたのだ。


それでも悪態をつく気概があった彼らの心が次の瞬間捻り潰される。


影の沼から手が生え、首が生え。


『タスケテクダサイ』『ヤスマセテ』


『コノコダケハミノガシテクダサイ』


彼らの足や手に、亡者がすがり付く。

かつて虐げられ続けて死んだものの無念が形を得て彼らを闇の沼へと引きずり込んで沈めていく。

死に神の抱擁。冥府の底無し沼と化した影に、断末魔の悲鳴さえ飲み込まれていった。

路上に落ちたコールタールのシミのような沼は、3人の男を取り込むと地の底へ染みていくように小さくなり消えた。


賑わっていた通りに出来た人垣は、発する声もなく、ただこの恐ろしい光景を麻痺したように見守っていた。


「何の騒ぎだ!」


その凍りついたように沈黙する人垣を割って、衛兵が流れ込んできた。ようやく人々は呼吸を取り戻す。


「どうした? この騒ぎを起こした者は?」


恐れ遠巻きにする人々の視線が私に集まっている。

それに感づいた衛兵の隊長らしき人が私に近づいてきた。何て説明しよう?


そのとき、目の前で2つの手が上がった。


「私もそうです」

「あたしも」


一人は緊張のあまり、手を震わせるオーヌ。

もう一人は苦笑いを浮かべ、顔を腫らしているミティさんだった。

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