エピローグ
修羅は感情を住まわせる。
最初に姿を見たのは、楓が越してきて三日目だった。
白くて、綺麗で、細くて、小さい。
そして、怒りの塊のように思えた。
美しいという言葉は、これを表す為にあるのだと知った。
中学に入る前に辞書でたまたま見つけたその文字。
『修羅』という言葉がぴったりだ。
「楓ちゃん、来てるんでしょう?」
飲み物を探しに下りると、リビングに母が帰っていた。ビール缶を片手にこちらを見ている。殆ど酔うことはないけれど、常に酔っ払っているような人だ。
「なんのことだか」
「とぼけてもムダ、雨音からの証言もあるんだから」
「はあ」
「今度私がいる時に呼びなさいよお。楓ちゃん本当に綺麗になったよね」
「まあ」
「引っ越してきた時は、ちょっと不思議な子だと思ってたけど」
冷蔵庫を開けて麦茶を見つける。コップにそれを注いで、一気に飲み干す。
『お隣の子と一緒に帰ってるの?』
『うん』
『あんまり仲良くしちゃ駄目よ。怪我なんてさせたら……』
『させないよ』
そんな会話を思い出す。楓がこっちに引っ越してきてすぐのことだった。近所一帯は、あの祖母さんの息子家族に対する好奇心が酷かった。そんな中で楓が生活していたことを思うと、ぞっとする。
「今でも十分変だよ。な、兄貴」
雨音がいつの間にかキッチンに来ていた。こいつは一体どっちの味方なのか分からない。
「雨音、今日は学校行ったの?」
「よく思い出せない」
「あんたね、またそんなこと言って……」
「兄貴、飲み終わったならそこ退いて」
ああ、と言って冷蔵庫から離れる。持っていたコップをシンクに入れて水に浸す。
雨音に救われたと思いながら、リビングを出ようとすると「雪成」と呼び止められる。
「楓ちゃん連れてきても良いけど、自分で責任取れないことはしないように」
厳しく言われた。それに「はい」と返事をして、リビングから出る。バレている。雨音の居ないときに連れ込んで何をしているかもバレている気がした。まさか盗聴器でも仕掛けられているんじゃないだろうか。
馬鹿な想像だと思いながらも、部屋の中を探してみた。ベッドの上に楓の長さの髪を見つけて、こういうところだろうなと思った。
隣に住む修羅は、絶賛夏休みの課題を消化中だろう。
無理になったら雪成を呼ぶ、と言っていたけれど、どっちが先に音を上げるか。結局、花を持って庭に忍び込む自分が未来に見てとれる。
昔に比べて、不機嫌でいることが少なくなった。元々感情の起伏が少ない方だったので、今のように笑ったり拗ねたりする姿が可愛くて仕方ない。
そんな美しい修羅は人間に近付いている。人間らしく生き始めている。そのきっかけが祖母が亡くなったことなのか、それとも高校に入学したことなのかは分からないが、嬉しいような、不安なような、複雑な気持ちだ。
それを思うと、あの煩い母親に会わせておこうとも思う。そういえばこの間、錫見の家に呼ばれて疲れたって言ってな。暫くは止めておくか。
そこに仰向けになって、天井を見上げる。
『わたし、雪成のこと、ぐちゃぐちゃにして食べちゃいたいくらい、好きなの』
そんな物騒なことを言われた。
『カニバリズム?』
『かに……かにかにかに』
『カニバリズム。人の肉を食べる習慣みたいな』
『本当に食べたいわけじゃない。そうしたいって気持ちがあるくらい、好きってこと。もっと言うと、』
『言うと?』
『地獄に堕としたいくらい』
その言葉に笑った。すると、不機嫌になるのがわかる。
『良い、楓が一緒なら』
その言葉に、次は楓が笑った。ふふふ、と照れたように、それを隠すように抱きついてくる。
その左手に、自分の手を重ねる。
『ずっと一緒にいよう』
『ん、ずっと』
携帯のバイブ音が鳴った。ベッドサイドの棚の上に置かれたそれに手を伸ばす。「えいごむり」というSOSが入っている。どうやら英語と闘っている最中らしい。平仮名と単語だけなのはまだ良い。少し前は誤字が多すぎて何を言いたいのか全く分からなかったくらい。
「明日行く」と返信すると、笑顔の顔文字が返ってきた。こういうのは打つのが簡単なので、よく送ってくる。こちらも分かりやすいので有り難い。
明日、何の花を持っていこうか。
『ここから立ち入り禁止。』 END.
ここから立ち入り禁止。 鯵哉 @fly_to_venus
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