幼馴染は反省を繰り返す。


黒猫がわたしを見ている。

人生で初めて保護者呼び出しを経験する。

こう考えると、わたしは今まで結構放任されて生きてきたのだと感じる。親からは勿論、先生からも。まあ、問題児と言っても授業に出ない不登校児なだけだし、誰かに迷惑をかけた覚えはそもそもない。こうして他人に危害を加えて、生徒指導室に連行されて、保護者を呼ばれる経験なんてそう積めるものではないのかもしれない。なんて、思考が段々と現実から目を逸らし始めた。

それに今は祖母が大変なときだというのに父親は娘のことで学校に呼び出されるなんて思いもしなかっただろう。わたしだって今朝までは無気力人間で、他人と喧嘩をするような力がどこに秘められていたのか自分に問いただしたいくらいだ。


「何やってるの、もう」


誰もが無言の中、保健室の先生がやってきて傷口の消毒をしてくれた。呆れた顔をして、少々乱暴に消毒液をかけてくる。


「痛いです、先生、いたい」

「当たり前よ。女子なのに顔に傷なんて作って、馬鹿ね」


今日は馬鹿とよく言われる日だ。

絆創膏を貼られたところで、生徒指導室の扉が開いた。現れたのはトレンチコートを羽織った女性だった。純さんのお母様でないということは、紅浦先輩のお母様なのだろうと予想する。


「陽子……!」


何より最初に見たのが紅浦さんの顔だった。そういえば、今朝の当選者の名前のところに紅浦陽子と書かれていた。中塚の名前が一番目立っていたけれど。

自分のことのように痛そうな顔をした紅浦先輩のお母様はすぐにわたしと純さんの方を向いた。そして見比べて、明らかにぼろぼろになっているわたしをロックオンした。ロックオンってこういうときに使うのか。

長テーブルにバンッと手をついた。


「あなたが暴力振るった相手ね、親御さんはまだなの? 一体どういう教育されているのかしら」


般若のような顔で睨んでくる。怖い、けれどわたしの視線はそれよりも紅浦先輩に注がれていた。

正義感の強いらしい紅浦先輩は、長テーブルをじっと見つめて何も言わない。


「先輩、一方的に暴力振るわれたんですね」

「あなたね……」

「どうして何も言わないんですか?」

「この子は喧嘩をするような子じゃないのよ」

「紅浦先輩のお母様が紅浦先輩の代わりにこうして擁護するのは、紅浦先輩のことをお母様が弱いと思ってるからですか? それとも、強いことを知らないだけですか?」


黙っていたら守ってくれる親の元に生まれてこれた子供はそれだけで幸せだと言えるだろう。未だに気持ちが昂ぶっていて、苛々している。わたしにはないものを持ちながら、安全なところでこうして守ってもらえるこの人が憎いと思った。

黒猫が鳴いている。わたしに何をして欲しいのだろう。


「紅浦さんのお母さん、どうか気を落ち着けてください。今回のことは見ての通りどちらにも非があると思われます」


月出先生が声を発する。その曖昧な言い方に、わたしの言葉に何かを言い返そうとした紅浦先輩のお母様が突っかかる。


「思われるってどういうことですか? どうしてこうなったのか明確になっていないと?」

「本人たちが話さないんです」

「陽子、何があったの?」


聞かれて、紅浦先輩は顔を一瞬だけ上げて、また下げた。


「言いたくない」


よく考えてみると、わたしが紅浦先輩を殴ったのより先に、紅浦先輩と純さんの間に何かがあったのだった。わたしはそれに関して想像でしか分からない。隣の純さんもぎゅっと右手で左手の袖口を握っていた。皺になっている。あのまま、純さんが頬を押さえたままだったのなら、こんな風に呼び出しに参加はしていなっただろう。面倒なことに巻き込んだな、と思う。


「失礼します」


そう言って次に入ってきたのは、純さんのお母様だった。走ってきたのか、少し息が乱れている。次に入ってきたのが、スーツを着たわたしの父親だった。

担任が入って、扉が閉められる。


「お父様がわざわざ来られたんですか?」


怪訝な顔で紅浦先輩のお母様が尋ねる。この急な呼び出しに駆け付けられる父親を不思議に思うのは致し方ないと思う。


「うちは片親なので」


父親が答えた。わたしはその顔を見られなかった。


「保護者の方々が揃ったところで、事の発端を話してください。紅浦さんは二年生だけれど、一年生の二人とは交流があったの?」


月出先生が尋ねると尋問のように感じられる。紅浦先輩は口を噤んだままで、わたしの後ろに立った父親の腕時計の秒針が大きく聞こえた。それに酔ってしまいそうで、右の指の本数を数えた。


「あたしが話します」


顔に湿布を貼った純さんが口を開いた。


「紅浦先輩とは去年同じクラスだったんですが、あたしが一方的に忘れていました。紅浦先輩は授業に出ないあたしを何度も誘ってくれたそうなんですけど、あたしはそれに応じず、結局留年になりました」


純さんの顔を見る。なんだろう、この空気の流れは。


「それに思うことがあったみたいで、あたしと紅浦先輩で言い合いになって、あたしが最初に紅浦先輩にビンタされました。蕨野さんはやり返さないあたしの代わりに紅浦先輩に掴みかかって、こんな大事になったんです」


どうして、純さんが一人原因みたいに。

悪いみたいに。


「だから、あたしが素直に紅浦先輩と話し合いが出来ていれば良かったんです。すみませんでした」

「違います」


どうして純さんが謝れば全てが丸く治まるような空気になっているのだろう。


「わたしが紅浦先輩に掴みかかったことに、純さ……錫見さんは関係ないです。きっと、紅浦先輩がわたしと喧嘩した理由も、錫見さんには直接関係ないと思います。ですよね、先輩」


安全なところにいるのは許さない、とわたしの中で聞こえた。そこから引きずり降ろしてやる。毒を食らわば皿まで。使い方が合ってるのかどうかは分からないけれど、わたしは落ちるならこの人も一緒に引きずり落とす。そうしないと公平ではない気がしたから。生徒会長になる人徳があって、先生からは信頼されていて、そのうえわたしより一年多くこの学校で雪成といた。

たぶん、今のわたしの中では最後が紅浦先輩に掴みかかった理由に一番近い気がする。日々の嫉妬の積み重ね、というものか。


「……勝手な理由で、錫見さんをビンタしたのは謝ります。ごめんなさい」


純さんに向かって深く頭を下げた。それから、わたしを真っ直ぐ見た。青い目とどうしてか重なった。


「蕨野さんには謝らないし、謝ってほしいとも思ってないです」


そこで、空気が滞った。




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