幼馴染は獣に返る。


獣のようだった、と思う。

わたしが平手打ちをしてから、紅浦先輩は純さんのように頬を押さえて呆然とはしていなかった。

わたしをまっすぐ睨みつけて、肩を押してきた。足が縺れながら後ろへ進む。教室に入って、女子がお昼ごはんを食べてるところへ突入した。顔も見ていないのにどうして女子だと分かったのかって、黄色い声が聞こえたから。机に押し付けられて数回平手打ちを食らった。馬乗りになった紅浦先輩の胸ぐらを掴んで頭突きをする。獣のようだった、と思う。

わたしたちは声を発さずに掴み合っていた。

男子同士の喧嘩でも、見たことはないけれど、もっと唸ったり怒鳴り散らしたりしそうな気がする。しないのかな。雪成も中塚も喧嘩しそうにないから分からない。内海さんは、静かに瞬殺しそうだ。こんな風に縺れないうちに。

力いっぱいに紅浦先輩の脇腹を押すと、机から落ちた。目潰ししなかったのは、わたしが本当に獣になっていたからか、理性が残っていたからなのか分からない。

机から落ちた紅浦先輩が立ち上がってわたしの方を見た。お互いの荒い息が聞こえる。


「やめろ、馬鹿」


後ろから左手を掴まれる。肘鉄を喰らわせようと思ったけれど、思惑が伝わったのか肘を掴まれた。楓、と呼ばれて初めて雪成だと気付く。


「何の騒ぎなの⁉」


慌てて入ってきた担任教師と、隣のクラスの先生。続いて生徒指導の男の先生と、月出先生。昨日も見た顔ぶれだな、と冷静に思いながら、左手の甲で頬を拭った。血が出ている。誰のか分からないお弁当と机が散乱している。クラスメートの怯えた表情と好奇の目。視界の端で純さんが立ち尽くしていた。


「紅浦さん……? 何があったの?」


この惨状の中、担任が歩いて紅浦先輩に聞いた。片や今日から生徒会長の紅浦先輩と片やクラスの問題児認定されているわたし。きっと紅浦先輩のした話が罷り通るのだろう。


「……なんでもありません」


口を噤んで俯いてしまった紅浦先輩を見兼ねて、こちらを向く。


「蕨野さん、何があったの?」


驚いたことに訊ねられた。答えるべきか迷う前に、何があったのか説明するのが怠く感じられた。


「何でもありません」


紅浦先輩の言葉を借りてしまった。同じ言葉なのにわたしに言われると捉え方が変わるのか、少しキツい口調になる。


「何もないわけないでしょう。授業を受ける教室がこんなことになって……。あなた達も傷だらけじゃない」

「わたしと紅浦先輩がやりました」

「それは見れば分かります」

「先生は、喧嘩の原因が知りたいんですか?」


右頬よりも左頬の方が腫れてきたのが分かる。それよりも頭突きした額の方が痛い。


「さっきからそれを尋ねているんだけど」

「言いたくないです。先生は生徒の喧嘩に首を突っ込む権限があるんですか? わたしたち生徒は喧嘩をする度先生にその理由を白状して、誰が悪い誰は悪くないって裁判みたいのに勝手にかけられないといけないんですか? とても横暴だと思います」


楓、と雪成から小さく咎める声が聞こえた。口を少し開けているけれど言葉を発さない担任に、クラスがざわめき出す。水の中からやっと出たみたいだ。


「一度生徒指導室に来なさい。手当もあるし、話はそれからです。教室にいる皆は机の整頓と掃除をお願いします。逆井くんも関係してるの?」


月出先生が仕切った。その言葉にクラスメートが動き出す。


「関係ありません、止めに入ってくれただけです」


雪成が何かを言う前に紅浦先輩がきっぱりと言い放った。


「じゃあ二人来なさい」

「あたしも関係してます」


純さんが名乗り出る。担任が一瞬眉を顰めて、すぐに疲れたような顔をした。自分の受け持ったクラスの問題児が二人も関わっているのだから、胃が痛くなるに決まっている。雪成が手を離さないので、振り向くとすごく心配そうな顔をしていた。わたしの顔はそんなに悲惨な状態だろうか、あ、帰って来たらお弁当の子に謝らないと。


「なんで……」

「早く来なさい」


雪成の言葉が月出先生の言葉に止められた。左手が離されたので、「ごめん」と謝った。こんな場所に来てもらって、こんなことに巻き込んで、こんなところを見せて。

今朝、春の鳥の話をしたばかりなのに。

どういう処分になるか分からないけれど、最悪退学だろう。

教室を出て、月出先生についていく。他の先生は戻ったのか居なくなっていた。紅浦先輩、わたし、純さんの順で並んで歩く。連行されている気分だ。連行されているのだけれど。


生徒指導室は埃っぽかった。どこかの準備室を無理矢理変えたのか、棚には何かのファイルが入っている。進学校だから、指導される生徒が圧倒的に少ないのだと思う。使われないのだから掃除されなくて普通だ。

長テーブルを挟んだ向こうに紅浦先輩、こちらにわたしと純さんが並ぶ。月出先生は立っていた。正直、退学でも停学でもなってやる、と考えていた。


「少し頭冷やしなさい。保護者の方々呼んできます」


その言葉を聞くまでは。




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