幼馴染は尻尾を掴む。


日直の純さんがクラスメートの化学ノートを提出しに行ったのを教室で待っていると、前の席に中塚が座った。


「蕨野って、兄弟いる?」

「いない」

「俺、妹がいたんだ。五年前に、六歳で病気で亡くなったんだけど」


窓が開いていた。湿気を含んだ風が教室の中に滑り込む。

また病気の話。わたしはあれから病院には行っていないけれど、父親は仕事で忙しくしながらも病院へ行っているらしい。赤羽さんが言っていた。

そんなことは今、中塚には関係がないか。


「ずっと?」

「うん?」

「ずっとあの姿のまま?」


六歳というと、わたしが視た中塚の妹の姿と同じくらい。あの姿がずっとこれまで変わっていないのか。もしも成長していたなら、十一歳くらいになっているはず。


「俺が視られるようになったのが中学からなんだけど、それからずっとあのまま」

「中学まで視られなかったの?」

「中一の夏に、急に視られるようになった」


あ、来た。あの黒猫が隣の机に座って、わたしの方を見ている。中塚もそれに気付いたみたいで、ちょっと視線が動いた。


「初めてだ、妹のこと視える奴。家族の中でも俺しか視えないから、誰にも言えなくてさ。蕨野はいつから視えんの?」

「いつからって……」


わたしは逆に、中塚に言われて初めて知った。

今までずっとあの黒猫はみんなに見えているものだと思っていたし、なんの違和感もなく中塚の妹を純さんも見ていると思っていた。

言い淀んで、この話題は嫌だと感じる。隠さなくて良いのに、雪成に言えない話題は苦手だ。ただでさえ、わたしは普通と雪成から離れているのに、これ以上離れたくないという思いがある。それに気付いてしまった。


「ただいま」


純さんが教室に帰ってきた。中塚を見て、黒猫の座っている机の椅子に座る。深刻な話? と首を傾げて聞いた。

その様子に、わたしは目をぱちくりとさせる。やっぱり純さんは強い。無知と無垢は違う。純さんはどちらも持っていないはずなのに、それを上手く使う。年の差というものだろうか。


「俺の妹の話」


中塚は躊躇いなく話した。


「あ、この前言ってた? 楓が公園で見たっていう」

「うん。でも俺の妹、雲雀って言うんだけどさ、もうこの世にはいないんだよね。病気で亡くなってんの」

「それで、視えたって」


純さんはその意味を理解したようで、わたしの方を向いた。黒猫が欠伸をしている。

陰と陽で例えるなら、純さんは陽側だ。


「ん、わたしは昔から視えてた」

「霊感みたいな?」

「普通に視えてたから、全部生きてると思ってたよ」


ちょっとだけ中塚が顔を強張らせた。純さんは感心したように頷いていたから、それを見ることはなかった。もしもこれが霊感なら、どうして、と思う。

成仏とかそういう問題なのか、単に視えないだけなのか分からない。自分じゃ解決できないことに、苛々する。


「じゃあ、この前の雲雀ってあれ、妹さんのことだったんだ」


思い出したようにぽん、と純さんが発する。


「そう、錫見先輩には視えないと思ったから」

「普通に言ってくれれば良かったのに。でも、視えるってことは良くないことなの?」

「どうだろ。今まではたまに視えるところに現れて、俺の前歩いたり腕に絡んできたりしてただけだから」

「連れて行かれるとか、思ったりしないの?」


声が硬くなった。わたしの言葉に中塚はゆっくり首を振る。わたしも黒猫が足元に擦り寄ってきたからと言って、事実を今でも気持ち悪いとか怖いとは思わない。だから、それを聞いたのは嫉妬だ。中塚には妹が視えるのに、わたしにさえそれは視えるのに。

どうしてわたしにお母さんは視えないの。


「連れて行かれるって、どっち? 天国? 地獄?」


静かな声で純さん問うた。

答えられなくて、わたしも黙って首を振る。きっとわたしなら地獄だ。祖母も、内海さんもきっと地獄。

こっち側の、陰側の人間。


チャイムが鳴って、中塚が生徒会へ行くのを見送って、わたしと純さんは鞄を持った。最低な気持ちだ。自分のことならまだしも、人のことも地獄行きだと決めつけた。それを純さんは知らず、更に気付かないふりもしてくれる。

わたしは嘆きたくなるほど、子供だ。


「ごめん」


廊下を歩きながら謝る。携帯を弄っていた純さんが振り向き、優しい笑みをつくる。


「どうしたの、急に」

「さっき、空気悪くして」

「別に大丈夫だよ、楓と中塚が喧嘩みたいなのするのいつものことでしょう」

「でも」

「中塚はたぶん、妹さん、雲雀ちゃんの話をしたかっただけなんじゃないかな。中塚に妹がいるって知ってるひとあんまり居ないと思うし、知ってても遠慮して聞けないのが普通だから」


携帯を鞄にしまう。わたしはその動作を見て、一度頷く。


「楓が視えるって知って、嬉しかったんじゃない? 自分にしか視えないってとても心細いと思う」

「そうかな」

「あたしの推測だけどね。だから、あたしには話を聞くことくらいしかできないけど。楓は楓の出来る事をすれば良いよ」

「出来る事、あるかな」

「実際視えるってところから、中塚の支えになってるよ」


後ろからついてきていた黒猫がわたしたちを追い抜かした。純さんが少し伸びた襟足に触れて、靴箱からローファーを取り出す。


「わたし、もう少しちゃんと、考えてみる」

「うん?」

「これからのこと」


そんな脈絡の無さにも純さんは優しくない笑顔を見せる。わたしはやっと、それが寛大さなのだと気付いた。


「ねえ」


通った声に振り向く。わたしが地面に落としたローファーの片方が横になってしまった。誰か、と思えば、生徒会副会長。雪成とも交流のある二年生女子だ。

わたしに話しかけたと何となく思っていたけれど、その双眸は一瞬純さんに向いていた。流れるようにしてわたしを見る。


「会長見なかった?」


初めて話すには、馴れ馴れしいというか、言い方が行き過ぎているかもしれないけれど、見下されたような。それともこの人は一年に接するときはいつもこんな感じなのだろうか。


「いいえ」

「どうもありがとう。さようなら」


それだけ言って、去っていく。雪成を探しているのなら携帯にでも電話すれば良いのに。そういえば、もうすぐ生徒会選挙。雪成はそれで会長を辞めるらしく、引き継ぐとしたら副会長になるらしい。なんだか雰囲気が、あの月出先生に似ている感じがする。

ローファーの向きを直して履く。するりと足元に擦り寄る黒猫の背中に少しだけ触れた。


「あたし、視えなくて本当は良かったと思ってる」


純さんの言葉に顔を上げる。苦笑いしながらわたしの足元らへんを見ている。何も見えないのだろうけれど。だって黒猫はもう純さんの前に行儀良く座っているから。


「実はちょっと黒猫苦手なんだ」


にゃ、と返事をする声が短く聞こえた。




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