幼馴染は背中を覗く。
試験が終わったら必ずあるものがある。
テスト返し。
「うおおお赤点逃れた!」
「わたしも!」
中塚とわたしはこの間のことなんて無かったみたいに手を取り合って喜んだ。
「英語90点以上は錫見だけだ」
「まあ先生、あたしダブってますから」
そんな先生と純さんの会話を聞いて、「ダブったって90点以上なんて取れない……」「きっと来世でも取れるはずない……」と中塚と一緒に嘆く真似をした。
兎に角なんとか中間試験を乗り越えて、暫くは勉強をしなくて良いことに安堵する。雪成にも赤点がないことを報告すると、肩を掴まれて「よくやった、偉い」としみじみ褒められた。
「この前、副会長に話しかけられた」
昼休みに購買にいた雪成の肩に頭突きをすると呻かれた。わたしが持っていた紙パックお茶も一緒に買ってくれたのでお礼を言う。
「紅浦に? なんて」
「会長はどこにいるかって」
そう、紅浦先輩。言われて思いだす。
購買を出ると、すれ違う生徒が雪成に挨拶をする。その中で軽く手を上げたのは駒田先輩だった。かの有名な、顔面でレシーブを鼻血を出してジャージに穴を空けた先輩。
「お、元気か? 試験乗り切ったらしいじゃん」
「なんとか。駒田先輩は?」
「こいつ、全国模試20位以内常連」
「え、雪成より頭良いってこと……?」
「その信じられないって目はなんだ」
「やだな、尊敬の眼差しですよ」
「侮蔑の視線にしか思えないんだけど」
意外な情報を聞いた。そうなると、純さんと駒田先輩ってどっちの方が頭が良いのだろう。同じ学年でないことが少し残念に思う。
購買に行くらしい駒田先輩と別れて、また歩き出す。保健室で純さんが待っているのでそちらに向かうと、雪成も一緒についてきた。「先生にこの前差し入れ貰ったお礼言おうと思って」と保健室の扉に手をかけて開けようとした。中から声が聞こえるまでは。
「―――A組です」
「私もA組だったの」
「あ、そうなんですか」
敬語を遣ってるのは純さん。威圧的に話を繰り広げているのは、間違いない。紅浦先輩だった。
雪成もそれに気付いたらしく、ゆっくりと音をたてずに扉を開く。わたしはどうしようか迷って、結局雪成の後ろについた。純さんに話しかけるひとは四月に比べて増えたけれど、関わりのない先輩と話すというのは、なんだか興味がわく。
「それだけ?」
「それだけって」
「全然覚えてないのね」
ピリピリとした空気に触れる。静電気が起きたみたいに青い光が一瞬放たれた。雪成は躊躇いなく扉を閉める音を大きくたてた。
ぱっと二人の顔が弾かれたみたいにこちらを向く。わたしの顔を見てきょとんとした純さんと、雪成の顔を見て口を噤んだ紅浦先輩。その違いに、空気がふっと緩む。
「先生は?」
雪成の声が通る。純さんはいつもの椅子に座っていて、紅浦先輩は立っていた。
「紅浦」
「……職員室へ行かれたみたいです」
「じゃあ行こう」
「はい」
言い足りない顔をしてから、紅浦先輩は純さんに背中を向けた。わたしには全く視線をくれずに、保健室を出て行く。紅浦先輩は純さんに話をしに保健室に来たわけではなく、雪成と同じで先生にお礼を言いに来たらしい。
「揉めてた?」
保健室から出て行った紅浦先輩を確認して、雪成が純さんに問う。「ちょっと思い出話を」と苦笑しながら答えた。昼休みは半分過ぎている。
「こっちは大丈夫ですよ、行った方が良いんじゃないですか?」
「ああ」
「あと少しの間ですけど、生徒会長頑張ってください」
肩を竦める雪成は、「じゃあ」と言って保健室を出て行く。わたしは置いておいたお弁当を開けた。野菜ジュースを飲み終えて、そのパックを静かにテーブルに置いた純さん。
「……今の皮肉っぽかった?」
「ん?」
「なんでもない」
「紅浦先輩と純さんて同じクラスだったの?」
そう、普通に過ごしていると忘れがちになるけれど、純さんはひとつ年上。去年も一年生をしていて、それでも二年生の生徒と仲良く話しているのは見たことがない。なんでも後期の殆どを入院していたとか。何となくの情報は中塚からのもので、大凡二年の先輩にでも聞いたんだろう。
「みたい」
「ふーん。あの人、わたしを敵対視してるから何かと突っかかってくるのかと思ってたけど。もしかして純さんにも用があるのかも」
「あー……かもね、あの感じからすると」
わたしたちは結構、悪意に敏感な方だと思う。
「紅浦先輩、雪成のこと好きみたいだし」
「……楓ってさ」
「ん?」
「野生の勘みたいのが備わってるの、どうして? あたしは楓と同じような境遇で育ってきたなと思ってたんだけど。たまに、鋭いこと言うよね」
「どうだろ、野生で育ってきたのかもしれない」
箸箱を開ける。純さんは菓子パンに手を付けずにわたしの話を聞こうとしていた。
「母が亡くなってから祖母に育てられたんだけど。うちの祖母、厳しいひとで、嫌いっていうか憎いっていうか、もっと違う別の次元で、怖かった」
はっ倒されて叩かれて、それを躾と呼ぶのか虐待と呼ぶのか論議する価値なんてない。全ては終わったことで、思いだけが燻っている。
「今肺癌を患ってて、余命少しなんだって。それ聞いてわたし、別に嬉しいって思わなくて。あの人も人で、死ぬんだなと思った」
「そうなの、そっか」
こういう話を純さんにするのは止めとけば良かった、とその顔を見て思う。というか、論点がずれにずれてわたしの愚痴になってしまった。
「つまり、祖母から野生の勘を叩き込まれたと」
お弁当に手を付ける。純さんも菓子パンの袋を開けて、口に運んだ。
「ずっと前に内海もね、肉親が嫌いだって言ってた」
「ふうん」
「殺したって」
時折覗くそのアングラな部分。純さんの背中に咲いた赤い花が、見えるはずもないのに、強烈な朱を放っている気がする。
反対に、わたしは問いたい。
「純さんはどうして嫌悪以外の感情に鈍感なの?」
向けられる嫌悪には気付くのに、向けられる好意には気付かない。向けられる苛立ちには敏感なのに、向けられる殺意には鈍感だ。
人は簡単に死ぬ。呼吸が、心臓が、思考が止まって、冷たくなる。呼びかけても答えない。涙を流さない。笑顔を見せない。当たり前だ、死んでいるのだから。
「泣いても泣ききれないから、かな」
「ん?」
「人のこと知りすぎると、悲しいことが多くなるでしょう」
内海さんが殺したと言ったのは嘘だ。嫌いなものは殺せない。いや、他の人がどうかは分からないけれど。少なくともわたしや内海さんは、嫌いだから殺すという思考回路は働かない。
殺したいほど愛してる、なんて言葉ほど、薄っぺらいものはないけれど。
「そうだね」
知ると好きになる。好きになると欲しくなる。愛に代わるならどんなに良いか。
わたしたちはそんなに尊い生き物にはなれそうにない。
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