幼馴染は羽根を捥ぐ。
お見合いが破談になった翌日、祖母に会ったけれど何も言われなかった。
暴力沙汰を起こした当日、父親は帰り道でそのことについて何も言わなかった。
あ、ひとつ言ったとすれば、
「どこでそんなになる喧嘩を覚えてきたんだ」
「赤羽さんの前の秘書の人に護身術一通り習った」
「我が娘ながら怖い」
とそれだけ。
うちの家系は結構家族に対して無頓着なところがあるのではないか、と思う。実際わたしもそうだ。
「以上をもちまして故人との……」
涙は出なかった。父親も亡くなった祖母を前にして無表情。その横の伯母様も同じ。唯一涙ぐんでいるのは赤羽さんだけ。それ以外は殆ど会社のひとばかりで、その中に来てくれていた雪成と雨音の姿を探した。
棺の中の祖母は勿論、花を添えられてもぴくりともしなかった。
この花は嫌いだとか匂いが嫌だとか縁起が悪いとか、生きていたら言うのだろう。生きていたら、と仮定できるのは死んだ人間にだけだということに今更気付いた。わたしは母のことを生きていたら、と思ったことがないことにも。
祖母の為に泣くひとは沢山いる。その分だけ信頼されて慕われてきたとわかる。
火葬するのに少し時間があるらしく、その間自販機の前にある椅子に座って待っていた。
「なんか飲む?」
「お茶」
「本当に高校生かお前は」
父親がお茶を買ってくれる。紙パックのもので、ストローをさして飲んだ。他愛もない話をしていると、恵都子さんがやって来て「あんたも働きなさい」と言い父親を社員さんのいる方へ連れて行ってしまった。
わたしは死に際に間に合わなかった。夜に爪を切ったから……それは親だっけ。それとも罰があたったのか。父親と赤羽さんはそこにいて、恵都子さんは呼ばれてすぐに駆けつけて間に合った。わたしは期末試験の最中だった。
ホスピスに祖母が移動してから、わたしは一度だけ自宅謹慎中に誰にも言わずに行ったことがある。場所も部屋も知っていたけれど、結局祖母に会わずに帰ってきた。部屋に入ってすぐ、前と随分様子が違うことに気付いた。点滴の数、設備、身体状況。わたしと話していた頃は自分で身体を起こしていたくらいなのに。マスクをつけて、呼吸する音が聞こえる。生きている、呼吸もしているし、でも呼びかけて起きなかったらどうしよう。そんな不安が頭を過った。死が祖母を蝕んでいる、死が肉体を食い荒らしている、死がその羽根を捥いでいる。その死をわたしが止められる術を持っていない。どうしようもなくわたしは無力で、ここには不要な人間に思えた。赤羽さんの忠告をきちんと聞き入れていれば良かったのだ。祖母は疲れているから今は会わなくても良いという、その忠告。祖母がわたしを拒んでいるのではなくて、わたしがきっと祖母を拒むと赤羽さんは予想していたのだと思う。姿を目の前にして、実際踵を返した。これが答えでこれが現実だ。ただただ怖かった。人が死んでいくというのはこういうことだ。
社員の人の顔をぼんやり見て過ごした。窓の外は暑そうで、父親の嫌いそうな蒸し暑い夏だった。誰かが隣に座って我に返り、見上げる。
「顔色わりーな」
「ここ寒い」
「こんだけ暑い日だとな」
雪成は自分の着ていた制服のブレザーを肩にかけてくれた。ありがとう、と言う。
世間は夏休みに入っている。雨音は? と聞くと、「両親といる、あいつシャイだから」と雪成が奥の方を視線で示す。手の中にある紙パックを持て余した。
「あの日から、黒猫うちに来ないよ」
縁側にも学校にも現れない。最初のうちは明日には来るだろうと楽観的に思っていたけれど、あれから一度も姿が見えなくなった。わたしの霊感がなくなったのかと思ったけれど、この間中塚の妹が校門の外で待っているのを見た。
「成仏したってこと?」
「んーなのかな、わたしさ、昔死んだお母さんのこと視えたんだって」
「過去形ってことは、今は視えない?」
「そう。たぶん、あの家に来て視えなくなったんだと思う」
「楓が、死を認識したときに視えなくなるのか」
「かもしれない」
それに、すべての死んだものが視えるわけではないから、わたしも自分の目を信じられる保障がない。
でも、今祖母は視えない。
「楓が隣に引っ越してくる前に、楓の祖母さんに『今度孫が越してくる』って話したことがある」
「え、話したことあるの?」
「そりゃあ産まれた時から隣に住んでるし、楓が来る前からあの庭に忍び込んでたりしたし、植物の名前とかよく祖母さんに教わった」
「……よく許されたね、雪成ってやっぱり大物」
「仲良くしてくれって言われたよ」
お茶のストローを咥えて、雪成の顔を見た。
あの祖母に仲良くしてくれと言われて、雪成はわたしと仲良くした。
「言われて? 面倒みて? 寄生されて?」
「言われて、構って、依存して」
「頭良いひとの切り返しやだ」
「赤点ぎりぎりを採る幼馴染をもつとな」
照れているのに気付かれたくなくて、ストローを噛んだ。飲みにくくなったお茶を飲み干す。
「逆井家の長子、なんか飲む?」
いつの間にか社員さんの所から帰ってきた父親が自販機を指差して雪成に尋ねた。驚いた。父親が雪成の顔を覚えていたなんて。
「いえ、大丈夫です」
「まーまー遠慮すんな、座れ」
立ち上がった雪成を座らせる。いつもお手伝いさんの足音に敏感な雪成が、父親の気配に気付かないことを不思議に思ったけれど、その通りか。この人に会うことなんて然う然うあることではない。
少し緊張した面持ちが新鮮で、見られて嬉しい。
「コーヒー、お茶、オレンジ、りんご……コーラ?」
「お茶で」
「最近の高校生ではお茶が流行ってんの」
「ありがとうございます」
わたし同様紙パックのお茶を受け取る雪成。その隣に父親が座った。もし雪成のことをいじめたら睨んでやろう。
「逆井雪成です、楓さんにお世話になってます」
「いや、俺の見立てではお世話してますの間違いだと思う」
「四分の一くらいは」
「わたしの世話度は半分以上……ですね、間違いない」
「今後もよろしく。嫌になったら早めに縁を切った方が良いよ、毒牙に捕まる前に」
「毒牙?」
「もう捕まってるので、それは心配ないです」
じろりと父親を睨む。すっと目を逸らされ、抗議の声をあげようとすると火葬場の係員の人が父親に話しかけた。祖母の葬式の喪主は父親だ。祖母の希望だったという。
父親が恵都子さんと赤羽さんを呼ぶ。火葬が終わった旨を伝えられた。雪成がお茶を飲み干して、わたしの紙パックと一緒にゴミ箱に入れた。
「じゃあな、また」
「ん、ありがと」
雪成にブレザーを返すと、心配そうな顔をする。大丈夫、と笑って見せれば、苦笑いをさせてしまった。
わたしはその顔を見て、なんだか泣きそうになった。
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