幼馴染は鰓を剥ぐ。
夏休みの課題の量にやる前から憂鬱になっていた。夏休みって遊ぶためにあるんじゃないのか。遊びたいという気持ちはあまりないけれど。終業式のクラスメートたちはゴールデンウィーク前よりも浮足だっていて、プールに行くとか海に行くとか夏期講習に行くとかバイトをするとか色んな話をしていた。わたしは特にすることもなかった。
『楓、ごめん。家に泊まりに来て』
純さんからそんな電話がかかってくるまでは。
『てゆーかさ、楓いい加減に携帯持ったら? お父さん厳しいの?』
「この前買ってもらったんだけど、使い方分からなくて」
『え、持ってるの? はやく番号教えてよ、毎回家に電話かけるの勇気いるんだから』
「番号どうやってわかるの?」
『……今から内海と迎えに行くから、泊まる用意して待ってて。携帯と充電器も』
がちゃ、と一方的に切られた。わたしまだ返事してないんだけど……。
まあいいか、用意をしよう。子機を置いて部屋に戻ろうとしたとき、玄関から音がした。顔を向けると赤羽さんがいた。祖母が亡くなってから赤羽さんがこの家に来ることは少なくなっていたので、久しぶりにその姿を見る。赤羽さんもこちらに気付いてにこりと笑う。その笑顔を見て、吸い寄せられるように近づいた。
「お久しぶりです」
「赤羽さん、どうしたの?」
「社長の……元社長の部屋にあった資料を取りに来たんです。鍵、返しておきますね」
家の鍵を差し出される。それを受け取るのはわたしではない気がした。この家の家長は父親なので父親に返してもらわないと。
「お言葉に甘えます」
「もっと来てくれないと寂しい」
「……楓さん、可愛くなりましたね? 逆井さん家のご長男のお陰ですかね」
「ん、え、何!?」
「何でもないです」
どうしてそれを赤羽さんが知っているのだろう。父親が話したとか。それ以外に考えられないけれど。赤羽さんが知っているということは、恵都子さんも知っている。わたしが知っている大人は殆ど知っていることになる。
涼し気な笑顔を見せながら廊下を歩いていく赤羽さんを問い詰めたいところだけれど、あと数十分もしない内に純さんが必殺仕事人を連れてやってきてしまう。
「赤羽さん、泊まりに行くときに必要なものってなに?」
「え、ご長男のところへ?」
「純さんのところ! 錫見純!」
「ああ、錫見さんの。一泊なら、下着と一着分の洋服と歯磨きセット持って行けば良いと思いますよ。あ、菓子折りが」
「菓子折りは今は良いから。洋服と歯磨きセット?」
「あと下着」
部屋に戻ってクローゼットを開けた。大きめのトートバッグを見つけたのでそれに詰め込んでいく。そういえば、今のわたしが着る服も必要だ。
なんとか荷造りを終えて、部屋を出てから携帯を忘れたことに気付いた。赤羽さんが部屋の前まで来てくれて、紙袋の中を確認している。
「これ前に貰った果物ゼリーです。少しですけど持って行ってください」
「おお、ありがとうございます」
「携帯持っていくんですね。充電器持ちました?」
「持ってない」
本当、赤羽さんが来てくれて助かった。部屋に戻って、コンセントの近くに放置されている充電器をトートバッグに入れる。
「気を付けて行ってらっしゃい」
「はーい」
「外は暑いですから日傘を忘れずに」
靴箱の上に置いてあった折り畳みの日傘を差し出してくれる。赤羽さんは元気そうだ。この前父親から元気がないと聞いていたから。
いや、元気かどうかなんて表面では分からないか。
「赤羽さん、ありがとう」
「私は嬉しいです。楓さんが学校で喧嘩をするくらい元気になってくれて」
「どうしてそんなに知ってるの?」
「楓さんのことは結構話題になってるんですよ」
「どこで、どうして、何故」
「守秘義務があるので」
表札の前にいると、黒い服の内海さんがどこからか現れた。
「こんにちは」
そんな風に挨拶をされるのは初めてだった。驚いて一歩退く。わたしが挨拶をしても、それを鸚鵡返しするような人だったのに。
「こんにちは……あの、純さんは?」
「なんですか、その怯えた顔は」
「内海さんから挨拶されるなんて、怖くて」
「学校でのこと、聞きました」
またその話か。もう馬鹿って言われるのは嫌なんだけど。
「ありがとうございます」
「本当に脈略が無さ過ぎて怖いんですけど」
「楓さんが純さんの敵をぼこぼこにしたと。純さんのご両親も喜んでおられました」
「なにそれもっと怖いんですけど」
「一番は俺を豚箱送りにしないでくれてありがとうございます、ということです」
これを訳すと、「純さんの頬を打った紅浦先輩を俺の代わりにぼこぼこにしてくれてありがとうございます。お陰様で傷害罪で捕まらずに済みました」ってところだろう。
豚箱って、普通女子高生に使う? 使わないと思う。たぶん純さんにさえ使ったことがないと思う。わたしは内海さんの何なのか。友達か親友か同志か。
必殺仕事人って冗談半分に思っていたけれど、あながち間違いじゃないかも。
「たかが女子の喧嘩なんで、物騒な言葉使わないでください」
「これは貸しにしますか? それとも何か俺に出来ることがありますか」
それを言いに来たのか。だから純さんを車に置いてきた。
たかが女子高生の喧嘩のお礼に本職の人を動かすわけにはいかない。
「雪成に何かあったら」
「逆井雪成ですか?」
「そう、雪成に何かあったら助けてください。絶対に内密に、わたしのことは伏せて」
「分かりました。胸に刻んでおきます」
話はそこで終わって、わたしたちは裏の門に停まってあった内海さんの車まで歩いた。蒸し暑い夏だ。空を仰ぐ。蝉が横切るのが見えた。
車につくと助手席に座っていた純さんが中から手を振ってくれた。それから内海さんを恨めしそうに見る。きっと車の中に閉じ込められていたのだろう。それは仕方ないことだろうな、と少し内海さんに同情する。内海さんにとって純さんは本当は閉じ込めてしまいたい程大事なものなのだから。
自分の大事な鰭を剥いででも、守っておきたいものなのだから。
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