幼馴染は春を思う。


自分のくしゃみで目が覚めた。

昼寝をするつもりは無かったけれど、気付いたら眠っていた。学校が無い日は殆ど眠っていることが多い。たまに縁側に来る猫を観察して、モンキチョウが飛ぶ姿を見た。

目を擦ってもそもそと起き上がる。昼過ぎになっていた。何度かお手伝いさんが来た覚えがあるけれど、いつ来たのかは思い出せない。


「楓さん、失礼します」


そう言いながら扉を開けたのは赤羽さんだった。スーツを着て背筋が正しい。顔の美醜に関して物を言うのは得意じゃないけれど、このひとはいつも綺麗だ。一度頭を下げて、部屋に入る。布団を広げっぱなしで申し訳ないと少し思いつつ、わたしは全く動かなかった。赤羽さんがわたしに直接用事があるなんて珍しいことだ。


「朝食も取らず、眠ってらしたんですか?」

「起きたんだけど、また眠ってた」

「おはようございます」


律儀に挨拶をする。わたしも返す。


「月末に着る服ですが、どう致しますか? カタログなら……」

「お任せする。いつも通り赤羽さんに」

「分かりました、素敵なの選びますね」

「赤羽さん、結婚しないの?」


苦笑いされた。朝から晩まで祖母に付いている赤羽さん。何度か秘書は変わったけれど、赤羽さんが今のところ一番長く続いている。昔、赤羽さんも「こんなに仕事が長く続いたの初めてなんです」と言っていたっけ。とんだ変わり者だな、なんてそのときは思ったけれど、変わり者じゃないと務まらないのかもしれない。

そうですね、と口を開く。


「もし楓さんが男性でしたらプロポーズを申し込んでましたけどね」

「なにそれ、慰めにもなってない」

「すみません」


本当に申し訳なさそうに言う。そんな風にしなくても。

にゃあ、と鳴き声が聞こえて縁側の向こうを見た。いつもの黒猫がこちらをじっと見ていた。わたしじゃなくて赤羽さんの方を。


「では、私は失礼します」


静かに立ち上がって扉を開ける。わたしも立ち上がって縁側に立った。ぴょんと飛んで縁側に乗った黒猫は、わたしの脚に擦り寄る。

赤羽さんが部屋から遠ざかる音に、耳をピンと立てて聞いている。どこかで水でも被ったのか背中が濡れていた。軽く撫でると、器用に脚を畳んで日向ぼっこをし始める。

確かに、今日は家の中で眠っているだけでは勿体無いくらい良い天気だ。

縁側に座って脚を伸ばす。ふあ、と黒猫が欠伸をした。

来るはずがないと思っていても、なんとなくいつも雪成が来る方向を見てしまう。蝶々が飛んでいた。昆虫には痛覚がないらしい。わたしがもしそうなら、きっと怖いものなんてないだろう。

くしゅん、とくしゃみが聞こえた。急に起き上がった黒猫がわたしの方を見て驚いた顔をする。思わず笑ってしまった。


「わたしじゃないよ」







どうしたって手に入らないものがある。

私のノートを写した純さんが、わたしの手には到底入らなかったものをくれた。いつものお礼だと言った。鞄にしまって、コンビニで買った梅の飴を出す。


「こちらこそ」


言いながら渡した。新発売のそれを純さんはお礼を言いながら受け取る。


「あ、でもそれ」

「ん」

「ちゃんと返してね」

「えー……じゃあ名前書いといて」


ばか、と怒気の含まれない声で言われた。冗談に決まってる。わたしはもう二つ純さんの手に飴を乗せた。


雨が降っていた。春雨だろうか。

どこかで見たことのある顔だな、と思ったら雪成の言っていた紅浦という女子だった。セーラー服の襟に入っている線は二本で、二年生を示している。こちらの方を無表情で見ていた。それが見えて、わたしも立ち止まってしまう。

隣を歩いていた純さんも少し先で立ち止まってわたしの方を振り向いた。


「どうしたの?」

「見られてる」

「誰に……って、二年?」


純さんも彼女が副会長であることを知らないらしい。わたしもこの前まで知らなかったし、この先知らなくても生活するのに支障はない。

窓の外でしとしと降る春雨が何かの鳴き声に聞こえた。

猫かな。


「知り合い?」

「一方的にわたしが知ってるひと。名前だけ」

「逆井先輩関係とか」

「雪成のこと知ってるの?」


少し驚いて聞いた。純さんからその名前が出てくるとは思わなかった。


「中塚が生徒会に入ったって言ってたから。生徒会長なんでしょう?」


そういえばそんなこと言ってたっけ。ついに中塚は生徒会に入ったのか。そうすると彼女は中塚の先輩になる。

もう一度彼女の方に視線を向けると、もうこちらを見ていなかった。何だったんだろうか、偶然か。

純さんもそれに気付いたようで「行こう」と言って歩き始めた。わたしも頷いてその背中を追う。


「ねえ純さん」

「うん?」

「さっき猫の声聞こえた?」

「全然。どっかに猫いた?」

「気の所為だと思う」


春雨に溶けた。




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