幼馴染は鳥を数える。


好きな食べ物は、と聞かれて簡単に答えられるのはアイス。

食欲がないときでも食べていられる。たぶん、あの家に来てわたしが何も食べないのを見かねたお手伝いさんがおやつにアイスを出したのが最初のように思う。アイスなら食べる、と思われたんだろう。それからご飯のボイコットをする度、代わりにアイスが出された。

大体が、雪成が来て半分を食べていくからという理由で口にしていた。


「バニラがない」

「抹茶ある」

「バニラ……」


学校帰りに寄るコンビニでアイスのコーナーを覗いていた。

雪成は自分の好きな抹茶を手に取る。わたしはいつも買っているバニラがないので、それを恨みがましく見つめていると、「苺は?」と聞かれて首を振る。バニラがないなら要らない。

雑誌にも飲み物にも興味はないので店内を出れば、アイスを買った雪成がすぐに出てきた。近くの公園の隅にあるベンチに座ってアイスを食べる。隣で雪成が慎重に抹茶アイスを開けている。前に勢い良く開けてワイシャツに染みを作った記憶は新しい。

唇に木のスプーンが付けられる。反射的に口を開けると、抹茶の風味が口の中に広がった。抹茶が美味しくないとは思わないけれど、バニラの方が食べたい。


「ね、五日後って何かある?」

「火曜日?」

「ん、教室の黒板に書いてあった」

「ああ、中間試験」


え、と声が漏れた。試験って、あの試験? 聞いてない。純さんですら言ってくれなかった。いや、純さんは余裕過ぎて話題に出さなかったのかもしれないけれど、中塚も何も言ってない。あの人たちが秀才だからだろうか。

ぐるぐると頭の中で言葉が飛び回るけれど、考えが上手くまとまらなかった。


「全然勉強してない」

「え、は?」

「全部落とす自信ある」

「そんな自信つけんなよ……。一番心配なのは?」

「英語」


どうして言ってくれなかったの、と雪成を責めるのは簡単だとは思えない。自分が受験生だというのに他人の中間試験の心配までは普通してられない。当人が抹茶アイスをのんびり食べているのを見ると憎らしくも思えるけれど。

鞄から英語の小テスト結果をまとめたファイルを出す。パラパラと捲ると雪成がそれを覗いた。眉間に皺が寄る。言いたいことは良く分かる。わたしはパタンと閉じて大きく息を吐いた。これはまずい。


「明日、俺が予備校行くまで教室でやるか。明後日はどっかで」

「ありがと……ございます」


言うと、抹茶アイスを口に入れられる。殆ど溶けていた。

公園では幼稚園児が数人遊んでいる。近くに保護者も立ち話をしている。普通の昼下がり。

コンビニとは反対側の道を、うちの高校の制服が歩いているのが見えた。幼稚園児よりは大きい、小学校低学年くらいの女児と手を繋いでいる。その後ろ姿は見慣れているものだった。


「中塚だ」


食べ終えた抹茶アイスを片付けた雪成が顔を上げる。目を細めて「みたいだな」と答えた。


「妹」

「何が?」

「手繋いでたの妹じゃないの?」

「見えなかったけど」

「結構歳離れてそう」

「面倒見良いから、居そうな感じはする」


その言葉にわたしも頷く。確かにわたしと純さんの面倒見も良い中塚。

それにあの子、いつかも見た。学校にいたとき、窓から。いつだっけ、それを純さんも見つめていて。

うーん、と考えたけれど思い出せなかったので止めた。わたしの頭は鶏以下かもしれない。


家に帰ると、知らない靴が一足だけ玄関に並んでいた。学生物ではない革靴。例えば会社員が履いているような。

心当たりがひとつだけあって、わたしは気配を殺して家に上がる。誰にも会わないことを願いながら足音をたてずに自分の部屋へと向かった。それも束の間、お手伝いさんが廊下を曲がって来た。わたしの姿を見て、早足で近づいてくる。嫌な予感しかない。


「楓さん、お帰りなさい。お父様がお帰りですよ」

「あー……」

「そして赤羽さんがお呼びです。客間まで」

「ん」


部屋に入って、制服のまま畳の上に寝転ぶ。眠気はないけれど目を瞑った。ごろんと左を下にして寝返りをうつ。放った鞄が視界に入って、五日後の試験のことを思い出す。

起き上がって、鞄を机の上に乗せた。縁側の方を見ると黒猫がちょうど飛び乗ったところだった。眠そうに前脚を折りたたんでこちらに背中を向けて座るのを見る。わたしは制服の襟を正して部屋を出た。

客間まで行って、戸を叩く。返事があるより先に開いた。赤羽さんが「お帰りなさい」と顔を見せる。緊張感のない部屋の中に、そこに祖母の姿がないことを知った。


「おかえり。久しぶり」

「ただいま、ひさしぶり」


久しぶりに見た姿はあまり変わらないように思えた。この前見たのはいつだったか、年始かそれとも去年の盆だったか。この人がわたしに対して特に興味がないように、わたしもこの人に対して特に興味はない。

祖母曰く、わたしと父親は似ていないらしいから。


「座ってください、話したいことがありまして」


父親の正面の一人がけソファーに座って話を待つ。久しぶりに会った父親との再会の話題は無い。赤羽さんもそれは既知のことらしく、さっさとその話を始める。


「社長が、大奥様が余命宣告を受けました」


無意識に視線が父親の顔を追っていた。その表情がどんなものなのかわたしは知りたかったのかもしれない。


「お医者さまの話ですと、あと一ヶ月保つか保たないか、らしいです」


変わらなかった。少しも表情筋というものは無かったかのように、瞬きだけした。

瞬きをした瞬間、わたしはそれが生きている人間だということを実感した。




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