幼馴染は言葉を交わす。
つらくーかなしいときにもー、と鼻歌が聞こえる。
前から歩いてくる黄色い帽子を被ってランドセルを背負った小学生の女子たちが団子になって足音を響かせる。わたしはぶつからないように少し端を歩けば、「おはようございます!」と揃った元気な声をかけられた。おはようございます、と思わず挨拶を返す。
「ららら、なくんじゃなあいとー」
すれ違って再度合唱が始まる。
熱っぽいのが続いて、二日間学校に行かなかった。二日行かないと制服を着るのも怠くなり、四時間目が終わる手前に保健室にたどり着いた。
先生に挨拶をして奥のテーブルに突っ伏す。思えば元々ここは純さんのテリトリーだった。わたしはそこに入れてもらったに過ぎない。
辛く悲しいときにも、泣くんじゃない、と。誰が言ったんだろう。今更ながら気になって考えるけれど、誰が答えを教えてくれるのか。大きく伸びをして、窓の外の空の青さを見上げる。目が眩みそう。
チャイムが鳴って、先生が保健室を出るのと一緒に廊下に出た。食堂の方に人が集まっていくのが見える。職員室の方へ向かう先生と別れて、教室へ向かった。お手伝いさんが持たせてくれたお弁当が重く感じる。午後一番の授業は確か化学だ。高校に入って一ヶ月足らずで、理系に躓いているわたしにとってそれは嘆きたくもなる事実。ぼんやりと窓の外を見ながら、歩いていたので目の前に手を出されて驚いた。
「よっ」
久しぶりに見た気がして一瞬名前をど忘れした。鼻血……と頭の中で言いかけて、ぽん、と音を出して名前が出た。
「駒田先輩」
「おお、覚えてくれてたことに感動。逆井は?」
「さあ」
「えー、楓のとこ行ってくるって出た……あ、いたいた!」
感動詞が多いひとだ。駒田先輩の視線の先を追うと、雪成がいた。久しぶりに見たその姿に駆け寄ろうとする足をぐっと留める。わたしは学校に来るようになってから、身体がよく動くようになった気がする。駒田先輩からわたしへ視線を動かした雪成は一瞬怪訝な顔をしてこちらへ来た。
「偶然会っただけだよ、な?」
質問が来る前に駒田先輩は確認を取る。異議はないので頷いてみせた。
へえ、と雪成が言葉を零す。
「あと、隣のクラスの墨田が入部届の提出日教えてほしいって」
「わかった、後で話しとく」
「俺はそれだけ」
じゃあ、と手を上げて廊下を歩いていく。廊下を通る二年生が雪成の姿を見て挨拶をする。それを見て、やっぱり学校は遠い場所だと実感した。雪成との距離が一番遠くなる場所。
わたしは別に雪成を待っていたわけではないので、挨拶を返している相手を前に一歩下がる。それに雪成が気付かないはずもなく、わたしの右手を掴んできた。
出会って間もない頃、よろめいたわたしの左腕を掴んで支えてくれたとき、わたしはあろうことか突き飛ばした。確かに身長は雪成の方が高かったけれど、まだどちらも幼い子供だった。驚いた顔をしてから、少し悲しそうな顔をして、こちらを見上げた顔は今も忘れられない。わたしが雪成に謝るなんて殆どないけれど、あのときは流石に理由を話して謝った。それから今に至るまで、雪成はそれを忘れないでいてくれている。
「熱は?」
「下がった」
言うより先に額に手が当たる。ふわ、と雪成の匂いがして、それに反応した自分がなんだか犬になったような気がした。平熱のわたしの額から目尻に指先がなぞっていく。擽ったくて目を伏せると、ちょっと笑われた。
手が離れて目を開ける。
「つらくかなしいときにも、ららら」
「泣くんじゃなーいとー」
「雪成、知ってるの? 有名な歌?」
「まあ普通小学校低学年で習う」
「それ誰が言ったの? 辛く悲しいときにも泣くんじゃないって」
「父親」
「ふうん」
「楓」
顔を覗かれる。
何か、と目で聞く。
「来週寝坊すんなよ」
「約束できない」
「うちの前で待ってる。一緒に登校しよう」
目を見開く。来週、未来の話。そのときのわたしが羨ましいと思った。
「一日楓の言うこと聞きますよ」
「なにそれ、言うこと聞くなら一緒に寝坊してよ」
「それは譲れねーな」
予鈴が鳴る。合わせたみたいに雪成と壁から背を離した。それぞれ自分の教室の方向を向く。わたしは何て返せば良いのかよくわからなくて、最近そんなのばかりで、いつも自分の首を締めている気がする。そんなのはずっと前からだったのかもしれない。やっと気付いただけなのかもしれない。
きっと、この間口にしたからだ。雪成が好きだと言ってしまったから。
人をずっと好きでいる方法ってあるのか。皆目検討もつかないけれど、きっとどこかにはあるんだろう。自分の部屋に籠もって、縁側を見つめていたわたしには無縁だった。無縁で良いと思っていた、けれど。
「もしも起きられなかったら」
「うん」
「起こしに、迎えにきて」
本当はずっとそう言いたかったんだ。
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