曼珠沙華は犬を探す。
内海藤吾が高校を中退したのは、先輩と喧嘩したわけでも酒を飲んだわけでも人を殺したわけでもない。
学費が払えなくなったから。
両親は健在だった。二人は毎日パチンコに明け暮れ、煙草を吸って酒を呷り、インスタントなものを口にした。高校へ進学した内海は殆ど家に寄り付かなくなっていた。バイトを始めて、バイト先と学校を往復する毎日だった。
学費として貯めていたそれは、親に見つかって一瞬にして消えた。学校から奨学金やら児相やらの話を聞いたけれど、そこまで内海は高校に残りたいという思いがなかった。
その頃の錫見は既に結婚していた。街を歩いていると、路地裏で組員が転がっていた。その傍らには、血塗れの内海の姿。勿論、本人のものではない。その目を見て、確信する。あれは怪物だった。
殺意以外の感情を得てこなかった子供の怪物だ。
「内海は謹慎にした。一週間は土居が送迎する」
父が溜息混じりに言った。内海の代わりに夕飯を食べていた土居が顔を上げる。
部屋の中には母の作ったグラタンの匂いが充満していた。人懐こい土居は家の外から鼻をひくつかせていた。いつも家族分より多く作る母は快く土居を夕飯に誘って、この通り。
「どうして? 内海どこにいたの?」
「あいつ喧嘩して伸びてやがった」
「伸び……」
楓の言った通り、やはりツキノワグマが山からおりてきたのだろうか。「内海さんを見つけて一目散に頭突きしたのかも」と楓なら言いそう。あたしはスプーンを置いてコップを手に取った。
「内海がそんなの珍しいね」
「そうか? あいつは結構楽観的に生きてるぞ」
「そうよ、昔は純と泥まみれになって帰ってきたり、お使いでお願いした卵を半分以上割って来たり」
「そんなこともあったね……」
少し思い出した。
泥まみれになったのは、あたしが小学校で遊ぶ友達がいないと言ったら、帰る途中の公園で一緒に遊んでくれた。元からいた親子はあたし達を見ると帰ってしまったけれど、あたしはとても楽しかった。母から言いつかったおつかいはあたし一人で行く気満々で、「うつみはついてこないで!」と叫んでいたけれど、内海は隠れてついてきていた。卵を買って意気揚々と帰ろうと走ったあたしはすっ転んで膝を怪我して卵を割った。すぐに駆け寄ってきた内海に結局抱っこされて、内海が「電信柱でぶつけました、すみません」と言って買い直した卵のパックとともに母に渡していた。
罪を被って貰っていたな、と思い出す。
そのときも、あのときも。
「錫見家では内海さんの歴史が根付いてるんすね」
「あいつはまあ、ワケアリだからな」
土居が煙草に火をつけようとして、父にど突かれた。
化学室に向かう途中で逆井先輩が前から歩いてきた。同じように移動教室らしく、教科書とペンケースを持っている。楓はトイレに行ったのであたしだけが先に歩いていた。無視するのも変なので、会釈をしてみる。少し手を挙げた逆井先輩の隣でクラスメートであろう女子二人が会話をしている。
悪い人じゃないと思う。生徒会長になるくらいだから、人望の厚い人というのが分かるし、全国模試で上の方に名前があるという噂を聞いたから、たぶん頭も良い。誰がどう見たって出来る方に分類される。
あたしからはそんなことしか分からない。そして、そこからはあの楓が逆井先輩を好きになる要因がないように思う。今度聞いてみよっと。
化学室の前の廊下から窓の外を見ていた中塚を見つけた。その視線の先を辿るけれど、校門には誰も居なくて、何を見ているのか気になる。隣に並ぶ。
「うお、びっくりした」
「何見てるの?」
「ひばり……鳥が見えて」
雲雀は春を告げる鳥。名前は知っているけれど、ちゃんと見たことはない。あたしも目を細めてその姿を探す。
「もう飛んでった」
「ええ、見たかったな。中塚、鳥に詳しいの?」
「そういうわけじゃないけど、雲雀だけは分かる」
「目が良いんだね」
そうかも、と中塚は笑う。あたし越しに何かを見つけたらしく、視線が移った。振り向くと楓がいて、中塚が先程見ていた一点を見つめている。楓にも雲雀が見えたのかな。
「はよ」
「ん、おはよ」
「蕨野の班、今日問五当たるけど」
「うちの班には純さんという救世主がいるから」
「忘れてた」
楓が目を見開く。あたしは誤魔化すように肩を竦めて化学室に入っていく。チャイムが鳴るまであと二分。全部は終わらなくても最初の何問かは終わるはず。
あたしの隣に座った楓もささっと教科書を開く。あたしが解き始めたのを見て、後ろの問題から解いていっている。楓って確かに本当に機転の利く子なのだと実感した。
なんだかんだいって、あたしと楓がばたばたと頑張らなくても、班の他の男子が全部きちんとやっていたので大丈夫だった。お礼を言うと「いえいえ」とはにかむ。あ、可愛いなと思うと同時に、あたしは同い年じゃないんだったなと思い返す。高校生の一年は結構大きい。「大人になったらそんなの気にならないですよ」と内海は言ったけれど。
「楓が言った通りだった」
授業が終わって廊下を謎のステップで前を進む楓に伝えると、くるりとターンをするかのようにこちらを向いた。真っすぐにあたしを見た楓はきょとんとした顔をする。何が? と表情で訊いていた。
「内海見つかったよ、伸びてたって」
「やっぱりツキノワグマ?」
「かもしれない」
「でも、毒もってるんじゃないっけ。モグラ避けだって聞いたけど、クマは殺せないのかな……」
何の話? と首を傾げてみれば「なんでもない」と首を振られる。モグラ避けなんて内海が持っているというのは初耳。内海ってモグラ嫌いなのかな。
欠伸を噛みしめる。今日も土居が迎えに来る。つまんないな、と少し思う。楓のことをよく話すのは家族よりも内海の方が多い。
「それで謹慎中」
「そんなに派手にやったってこと?」
「……どうなんだろう、そこまで知らない」
「伸びてたってことは、怪我してるんじゃないの」
その可能性は全く考えていなかった。
内海が怪我をするだなんて、今まで考えられなかったことだから。あたしの後ろや隣で大体黒い服を着て気配を押し殺して立っている。それが内海だった。
「純さんが、わたしと内海さんが似てるって思うなら大丈夫」
光が窓から入ってくる。楓の黒髪に当たって天使の輪が見えた。四月に最初に楓のことを見たときとは違って、ガリガリから卒業して普通に綺麗になった気がする。
「内海さんは純さんを置いて勝手に死んだりしない」
経験者は語るというか、同族は語るというか。
「楓が言うなら安心」
「ん」
「よっ彼氏持ち」
何か言いたげにこちらを見る楓。
「純さんは好きなひといないの?」
楓の好きは、食べたいの好きかな。
それなら、あたしは当てはまらないと思う。
「いないかなあ」
そんな風に答えながら、内海がどこにいるのか土居に聞いてみようと考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます