幼馴染は猫背を撫でる。
結果として、わたしは謹慎処分を受けた。
停学ではなく謹慎らしい。その違いはよく分からないけれど、自宅謹慎二週間だった。次に学校へ行くと7月になっている。夏服を出さないといけない。
紅浦先輩もわたしと同じ自宅謹慎らしい。電話口の純さんは廊下にいるらしく、生徒の声が少し聞こえた。純さんの顔の腫れはすぐに引いて学校に通っている。きっと夏服の上に紺のカーディガンを羽織っているのだろう。楓がいないとつまんない、と楽しそうに言う。生徒会長不在の今、生徒会で中塚は忙しいらしい。
『そういえば、お祖母さん退任されたんだね』
「よく知ってるね」
『テレビでやってたよ、新しい社長って楓の伯母さん?』
「ん、そうみたい。会ったことないんだけど」
言いながら、居間に入ってテレビのリモコンを探す。棚の上に置いてあって、テレビを点けた。最初に映ったのはバラエティ番組で、名前も分からないタレントが何かを言って笑っている。
『女性社長って格好良いよね。楓の家って女性が強いなあ』
「純さんの所に比べたらね。それに……あ」
ピコピコと回して、止めた。蕨新社長が映っていた。
祖母はホスピスに移ったらしい。わたしはあれから一度も会っていない。行った方が良いかと赤羽さんに訊くと、「色んな方が挨拶に来られて少し疲れているので、今は大丈夫ですよ」と言われた。それから少し経って、静かに家を抜け出してホスピスへ行った。
行ったけれど、祖母には会わなかった。
「……この人だったんだ」
『うん? あ、昼休み終わる』
「独り言。じゃ、授業頑張ってね」
『楓の分もノート取らなきゃね』
「ありがと」
電話を切った。子機を元の場所に戻して、テレビを消した。家にずっと居るのは暇だ。つい三ヶ月程前は家から出るのが怠かったくらいなのに、今は家にいても何をしていれば良いのか分からない。布団の中で過ごすのにも飽きてしまったし、本を読むのも反省文を書くのも終えてしまった。勉強はする気がおきない。
結局、庭の雑草を抜くことにして、お手伝いさんが昼ご飯の準備が出来たことを報せに来てくれたときには泥だらけで軽い悲鳴をあげられた。幽霊が庭で遊んでいるようにでも視えたのかもしれない。
午後のおやつ時に縁側でアイスを頬張っていると、庭に人影が見えた。
「ちゃんと自宅謹慎してる」
「当たり前」
「昔は言われなくても自宅謹慎だったのにな」
そんな風にわたしを笑うのは雪成くらいだ。
夾竹桃の花をわたしの膝の上に乗せる。綺麗な薄紅。
半分残って、半分溶けたアイスを押し付けると、思いの外簡単に受け取った。雪成はそれを掬って口に運ぶ。その横にあの黒猫が静かに座った。
「雪成って怖いものある?」
「女同士の喧嘩」
「修羅場に出くわさないと良いね」
「それを願ってる」
既に起こってるのに気付かない姿勢はとても良いと思った。わたしにとっても、紅浦先輩にとっても。
「幽霊って怖い?」
「怖いとか怖くない以前に視えないから何とも言えない」
「そこにね」
食べ終えたアイスのカップがお盆に乗せられる。わたしは雪成の前から腕を伸ばして、空いている雪成の右側を示す。わたしには視える黒猫を。
雪成の顔がそちらを向いた。
「そこに、黒猫がいるの」
「黒猫?」
「信じなくても良いんだけど、わたしには視える。たぶんこの前雪成が話してたあの黒猫だと思う」
「楓がよく来るって言ってた?」
「ん、記憶が合ってれば、公園で見た黒猫とそっくりで」
世の中に黒猫が何匹いるかなんて知ったことではない。でも、わたしがその黒猫だと確定できる証拠は何一つない。目の色だってあのときは既に閉じられていて、青かったかどうかなんて知らない。
「楓と帰ったあの後」
雪成はこちらを見ずに話す。黒猫が庭の風で揺れる葉をじっと見ている。
「母さんに話して、もう一回公園に行ったんだ。でも、黒猫はあの場所に居なくて」
「ん」
「公園中探したんだけど居なかった。あの頃、公園で寝泊まりしてたおっさんいたろ、ベンチ占拠してた」
「いた気がする」
「おっさんが、黒猫なら自分で歩いてどこかに行った、猫は死ぬとき姿を消すんだって言ってたんだ。猫は弱っている姿を見せない習性があるらしい」
ん、と返事をする。
「きっと、違う場所で息絶えて、俺等に別れを言いに来てくれたのかもな」
雪成の悪いところは、無条件でわたしの言うことを信じるところだ。
そして、わたしの悪いところは、そんな雪成の優しさにいつも甘えるところだ。
ここらへん? と手を伸ばして確認してくる。もう少し右、と指示して、黒猫の背中に辿りついた。驚いた反応をして、黒猫は雪成の方を見る。
「ごめん、ありがとな」
視えないモノに向かって、雪成は言う。黒猫は目を細めた。
わたしじゃなくて、雪成に会いたかったのだと思う。わたしのときはそんな風に甘えた仕草はしなかった。それを言うのは癪なので黙っていることにする。わたしのことを使ったのだから、これでフェアというものだ。
わたしにずっとくっついて来てくれたのは、雪成に気付いて欲しかったからだなんて。
猫に嫉妬しているようじゃ、この先が思いやられる。なんて他人事のように考えた。所詮明日のわたしのことは今のわたしにとっては他人事だ。今のわたしが相手にできるのは今のわたし以外にいない。
「ずるい」
「なにが」
「わたしも撫でてもらいたい」
鼻で笑われた。猫から手が離れて、わたしの方を見る。少し乱暴に前髪を梳かれて、おまけのように唇が重ねられた。
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