幼馴染は猫を好む。
想像以上だった。
友達と休日に遊ぶのは初めてで、家を出るのに手間取った。まずはお手伝いさんに「どこに行かれるんです?」と聞かれて、説明し終えて、玄関で赤羽さんに捕まった。友達がいたことに驚かれ感動され、「送って行きましょう」という提案を断って家を出た。空には薄く雲がかかっていて、一歩を踏み出すのを躊躇っていると、玄関の扉が開いて赤羽さんが現れた。番傘と紙袋を差し出される。
「今日は雨が降りますから。あと、菓子折りです」
「ありがと」
「駅までなら送りますよ」
「それは要らない」
心配なのか気になるのか赤羽さんは門までついてきて、半ば振り払うように家を出た。あのままずるずると駅までついてくる気がした。
鞄ひとつで出る予定が、荷物が増えてしまった。それにしても友達の家に行くときは菓子折りを持って行かないといけないのか。気圧されて了承したけれど、休日だから純さんのご両親が在宅なのでは。その可能性を少しも考えなかった自分に嘆いて、悩むのも無駄なので駅まで歩く。
駅には私服の純さんがいた。白くなかった。黒いワンピースに灰色のカーディガンを羽織っていて、茶色い髪と白い肌がやけに明るく見えた。わたしに気付いた純さんがこちらに手を振ってくれる。そこで、その隣にいたあの全身真っ黒男の内海さんがこちらを見た。
「こんにちは」
「こんにちは」
挨拶をすると、挨拶が返ってきた、というより鸚鵡返しされた。そんな様子を純さんが見て目を細める。
「内海はいつもこんなだから。あっちに車停めてるの、行こう」
駅の裏の駐車場にいつもの車は駐車してあった。純さんは助手席に乗って、わたしは後部座席に乗った。勿論運転するのは内海さんで、純さんはフロントガラス越しに空を見上げながら「雨降らないと良いね」と言う。
純さんの家は普通に大きかった。
ただ、普通に大きかった。わたしの住んでいる家みたいに平屋で大きいのではなくて、三階建てだったりバルコニーがついていたり、縦にも大きかった。その地域一帯が高級住宅地らしく、周りの家も白くて新築に見える。それを前にして立っていたわたしを見て、純さんが手を引く。
「ただいまー」
カードを翳すと鍵が開く音がした。今の手品……? 玄関も想像通り大きくて、隅に傘立てが置いてある。順さんはわたしの手から番傘を取ってそこへ立てた。靴を脱いで玄関にあがる。かっかっかっと爪がフローリングにぶつかる音と、初めてのものへの好奇心の目。青い目がきょろりとこちらを向いている。
「ポチ……?」
「シベリだから」
「ポチの目が青い」
ほら、と抱っこしてみせる。知ってるよ、とわしゃわしゃその頭を撫でる。白と灰色の思ったより可愛い色のわんこだった。
「シベリアンハスキーって種類なの。知らない? 犬ぞりの」
「え、ポチにそり引かせるの?」
「シベリちゃんだから」
「お前の名前はシベリじゃー」
ぴーんと肘を真っ直ぐにして上に掲げる。きょとんとした顔で純さんを見ていた。それからワン! と一吠えしたので、すぐに純さんに返した。
小さくても犬だった。
純さんの腕の中に入った瞬間から、嬉しそうに尻尾を振り始める。きちんとご主人が誰なのか分かっている様子だ。
「いらっしゃい、玄関で何やってるの?」
いつの間にかわたしの後ろにいた女性が話した。驚いて壁に背中をくっつける。同じタイミングで玄関の扉が開いて、内海さんが現れた。三人が揃っているのを見てシベリと同じきょとんとした目を向けた。
「これ、菓子折り? らしいです」
出す前に先に純さんに渡しておけば良かった……と後悔した。まさか直接純さんのお母様に渡すことになるとは微塵も考えていなかった。
「まあ、ありがとう」と喜んだお母様は、キッチンへ去っていく。リビングのソファーには純さんのお父様らしきひとが座っていた。
「こんにちは」
「こんにちは、お邪魔してます」
「純がお世話になってます。どうぞごゆっくり」
こちらこそ、と返事をする。階段の前で待っていた純さんが上を指差していたので、頷いた。広い階段を上がって二階に行くと、シベリが下ろされる。純さんの部屋はすぐにわかった。シベリがその扉の前で待っていたから。
その懐き様に顔を緩ませた純さんが扉を開ける。主人より先に入っていったシベリは、自分の部屋のようにソファーに飛び乗って「いらっしゃい」という顔をした。
「純さんの家大きいね」
初めて感想を述べると、扉を閉めて肩を竦める。わたしは緑色の敷物の上に座って見上げていた。
「そうかな。敷地は楓の家の方が大きいと思うよ」
「……え、なんで敷地知ってるの」
「って、内海が言ってた」
内海さん、何者なのだろう。
そこまで考えてハッと我に返る。思えば、純さんはヤクザの娘。あのソファーに座っていたのは生粋のヤクザということだ。
内海さんもヤクザなのだろう。
「犬苦手なの?」
すぴすぴと鼻を動かして夢の中で駆け回っているらしいシベリを見ながら、純さんは穏やかな顔をしながら尋ねる。純さんは家の話は自分から一切しない。わたしも同じようなものだけれど。
「猫よりは」と端的に返した。同じタイミングで扉がノックされて、開く。内海さんが現れた。
「紅茶と焼き菓子です」
「クッキーね」
「クッキーです。楓さん、門限はございますか?」
シベリから視線を動かさずに純さんが言葉を挟む。クッキーをあまり食べないわたしでさえ焼き菓子とは言わない。
門限。わたしは学校にいるか家にいるかなので、門限というものは存在していない。何時までに帰らないと怒る人もいない。
「ないです」
「姐さんが……純さんのお母様が夕食をご一緒にと言ってまして。ご迷惑でなければ」
「ん……と、」
純さんを見る。助け舟というより、確認の視線だった。純さんもそれに気付いたようで、シベリから視線を上げる。
「楓、偏食だから。たぶん食べないよ」
「わかりました」
「偏食じゃなくて、楓さんはアレルギーが多いからって伝えて」
「はい、了解です」
内海さんのが部屋から出ていったのを見て、わたしは質問をする。
「なんでアレルギー?」
「偏食って聞こえが悪いでしょう。まあ、何だって良いんだけど、楓って親しくない人とご飯食べなさそうと思って」
「すごい、当たってる」
「それで、本当は食べるより眠るのが好き」
眠っている仔犬を抱き上げてこちらを向かせる。わんわん、と純さんが鳴いてシベリの目が開く。穏やかな眠りを邪魔したのはお前の飼い主だよ、と思ったけれど視線が向いているのはわたしの方だった。
両手を挙げる。
「仰る通りで」
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