幼馴染は怪物を見る。
教室どこだったっけ。
何日かぶりに袖を通した制服の釦をしめながら考える。この屋敷の中でわたしには好きな部屋を与えられた。
太陽も花も別に好きじゃないけれど、土は好きだ。
空気の中で生まれるものもあれば、水の中で生まれるものもある。そして、土の中で生まれるものも。
だからといって、わたしが土の中で生まれたからカブトムシに成れたわけでも、水の中で生まれたからマグロに成れたわけでもないのは承知だ。もやしとかシラスになら成れたかもしれないけど。
「行ってきます」
革のローファーが足に合わなくて小指が痛い。ポケットに入れっぱなしだった生徒手帳を取り出す。一年C組で出席番号は31番。確かクラスで一番最後だった。
全然学校の構造が思い出せない。確か三階くらいだった気がする。授業中にうろうろしているところを見つかったら色々言われそうなので、保健室にでも行こうかな。昔から保健室を見つけるのは上手かった。
雪成はあれから家に来なかった。毎日来ていたわけではないけれど、もう来ないと思う。来ないで、と言ったし。
殺すとも言った。
学校につくと二時間目が始まっていた。
保健室は開いていて、中に入ると先生がいなかった。奥から女子が出てきてこちらに顔を出した。セーラーの襟に一本の線が入っているので一年生だ。
「先生、さっき怪我した子を病院に連れてっちゃっていないよ」
「そっか」
「さぼり?」
にこりと笑った顔は、笑っていたけれど優しそうには見えなかった。そんなのはどうでも良くて、わたしはベッドで眠れなくてもここに留まらせてもらえればそれで良い。
「うん」
「正直だね、ベッド使う?」
「ううん」
「じゃあこっちおいで」
奥に入っていく女子の後についていく。ベッドの間にテーブルがあった。鞄を退かして椅子を勧めてくれる。わたしは会釈をしてそこに座った。
鞄があるということは、このひともさぼりなのか。椅子の背にかけられていた紺のカーディガンを着た彼女は茶色いショートカットをふわりと揺らした。耳に何個も空いた穴を見て、不良なのに保健室通いなのかと考える。
「錫見純、いちおう一年生」
「蕨野楓、一年……」
ポケットから生徒手帳をだす。「C組」と付け加えた。それを見てくすくすと笑う。
「一年生? 保健室デビュー早くない?」
「同じ一年生に言われても」
「あたし一年二回目なの。出席日数足んなくて」
それは笑いながら言うことか、と疑問に思ったけれど明日は我が身だ。わたしにとっては身近な話になるだろう。中学は義務教育だったけれど、高校はそうじゃない。ここに行くと決めたのはわたしだ。
「頭は良いんだけどね」
と彼女は戯けた表情をしてみせて、テーブルに開いていた参考書をとじる。その拍子に消しゴムが落ちた。取ろうと手を伸ばすのと同時に彼女が屈む。短い髪が項で分かれて隠れていたその先がちらと覗いた。
刺青だった。いまどきはファッションでいれる日本人が増えたらしいけれど、高校生が簡単にいれられるものだろうか。
「その刺青ほんもの?」
消しゴムを掴んだ彼女は速い動きで項を隠した。既に遅いのでそれに何の意味があったのかわたしには理解し兼ねるけれど、反射的にというものなんだろう。
「見えた?」
「端っこが。曼珠沙華?」
「そう、その言い方するのうちの爺だけだと思ってた」
「わたしは幼馴染からきいた」
わたしが尋ねると、雪成は何でも答えた。曼珠沙華を彼岸花ともいうことを教わった。
曼珠沙華は異称がとても多い。葉は花を思い花は葉を思うという意味で、想思華とも呼ばれている。
赤い花がなくなると葉が出る。葉がなくなると赤い花が咲く。思い合っているけれど揃うことはない、悲しい花だと思った。
彼女にも想うひとがいるのかどうか、は兎も角。
「すぐに分かると思うけど、あたしヤクザの娘だから」
消しゴムをテーブルの上に乗せて諦めたような声色を出す。ヤクザの娘と言われて頭に浮かんだのはセーラー服と機関銃だった。ちょっと古いか。ちょうど着ているのがセーラー服だったからそう思ったんだろう。わたしは名前を聞いたことはあっても読んだこともドラマを観たこともない。テレビはあまり観る習慣がついていなかった。
「だから?」
「……だから、」
「お嬢って呼ばなきゃだめ?」
ちがーう! とテーブルを叩く音が大きく響く。また消しゴムが飛んでいったので、わたしはそれを空でキャッチした。
「純で良いよ、蕨野さん」
「じゃあ純さんで。わたしは楓って呼んで」
「楓ね」
久しぶりに学校へ行ったら、知り合いができてしまった。相手はヤクザの娘でお嬢と呼ぶと怒るひと。
家にいて鳥の鳴き声を数えるより、教室にいて退屈なクラスメートの内緒話を聞くより、ずっと気楽な気がしていた。
類は友を呼ぶともいうし。
「あ、純さんはどこのクラス?」
「C組。同じクラスって、知らなかった?」
「今知ったから大丈夫。わたし、大事なことは忘れない」
にこ、と純さんが笑う。あ、優しい笑顔だ。
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