曼珠沙華は首を傾げる。
あれ、いない。
逆井先輩が教室に来て楓と話すのを聞いて、中塚と先輩が生徒会室へ行った後、楓と共に校舎を出た。いつもは校門に目立つくらい黒い服の男が立っているはずだった。それに気付いたのは楓も同じで。
「今日は送迎なし?」
あまり表情を変えない子だけれど、意外そうな顔をする。そう聞きたいのはあたしの方で、首を傾げて答える。
「送はあったんだけどね」
「純さんの家って何個か向こうの駅が最寄りだっけ」
「あたし、ここから最寄り駅の道も分かんないや」
「……え?」
引かれた。
てか、何をやってるの内海は。
校門で立ち止まり、いつも車のある場所を見るけれど勿論何もない。携帯を出して内海の番号を出した。楓は隣に立ち止まって周りを見回している。
コール音は聞こえるけれど、本人は出ない。ついに『留守にしております……』と設定された声が聞こえたので切った。自然と眉間に皺が寄る。
「でない?」
「出ない」
「駅まで案内するのは良いけど、純さんってお金持ってるの?」
その言葉にハッとさせられる。今朝、母からお小遣いという一万円を貰っておけば良かった。今更後悔が喉の奥から迫り上がってくる。それを拒否したのは、今日あたしが財布を鞄に入れていなかったからだ。大抵学校に財布を持って来ない。たぶん、楓も持っていない。常に省エネスタイルの楓が財布を開けて何かを買うところがまず想像が出来ない。
額に手を当てて、ため息を吐く。これはまずい。
「持ってない……し、家に誰もいない日だ」
確か母は会食みたいのがあるとかないとか。父は居ないに決まっているし、兄は結構前に家を出ている。
「わたしも現金ない……家まで行けばあるかな。純さん、三十分以上歩ける?」
「歩ける、是非歩かせてもらう」
「じゃあ行こう」
楓は会ったときと少し変わった。と言っても、一ヶ月少ししか経っていないけれど。たぶん逆井先輩と何かあったのか、柔らかい雰囲気を出すようになった。ほんの少しだけ。
春が完全に終わって、日差しがきつくなり始めている。夏というより梅雨への移行期間みたいで、五月の下旬は湿気が酷い。
楓の家のことは知っている。内海に名前を伝えるとすぐに株式会社蕨の話が出た。うちでもよくあげたり貰ったりする和菓子屋のことだ。そこの一人娘らしい。本人だけ見ればそんなことは誰一人として分からないと思う。でも、ネットで株式会社蕨と検索すれば楓の家のことは詳しく載っている。今現在取締役社長である楓のお祖母さんのことから、前の代の会長、秘書、すべて蕨野と名字についていた。家族経営っていうものだ。
「大きい……」
「純さんの家ほどじゃない」
「日本家屋って感じ。すごい」
門から家まですべて木製。蕨野と書かれた表札が重々しく、気軽に遊びに行くには憚れる雰囲気。今まで会社の一人娘になんて会ったことがないので、驚いた。
楓は静かに門を開けて玄関を覗いた。あたしを玄関まで入れてくれて、「少し待ってて」と言い長い廊下を歩いていく。あたしは低い段差の上に鞄を置いて、腰を降ろした。決して新築というわけではないけれど、全部から木の匂いがする。落ち着くのはあたしが日本人だからか、これが楓の匂いだからか。後者だったら変態かな。
「楓さん?」
綺麗な声が聞こえた。足音と共に近づいてくる人物に顔を上げる。スーツを決めている清潔そうな女性。楓のお母さんには見えない、のは格好の所為なのか。
「勝手にお邪魔してます」
「すみません、ご友人でしたか」
「お世話になってます、すず……」
いつも、一瞬迷う。
「錫見純です」
でも、あたしはあたしだ。
「こちらこそ、赤羽と申します。蕨野楓の祖母である社長の秘書をしております」
「ああ、秘書さん」
「今、社長の着替えを……」
曲がり角から楓が現れる。赤羽さんとあたしの姿を見比べて、表情を固めた。赤羽さんも何かを感じ取ったらしく振り向いた。
「お帰りなさい、楓さん」
「ただいま」
「どこか遊びに行くんですか?」
「ちょっと送りに」
お待たせ、と言いながら楓はローファーを履き直した。手に持っていた二千円をスカートのポケットに突っ込んで、あたしの鞄を見る。
「行こ」
「うん、お邪魔しました」
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
赤羽さんに見送られて、あたし達は楓の家を出た。
駅への道を歩いていく。
「赤羽さんて、楓のお母さん?」
「違うよ、社長の秘書」
「うん。さっき聞いた」
振り向いて目をパチクリさせる。元から長い睫毛がパサパサと音をたてても可笑しくなさそう。楓は色素の薄い髪の毛を耳にかけて、視線を彷徨わせてからあたしに戻る。
「うち、母親いない。ずっと前に病気で」
「え、あ、ごめん」
「なんで謝るの。わたしが勝手に言ったのに」
肩を竦める。あたしが謝ったのは、教えて貰ったことに対してではなくて、この前、楓のお弁当を見て楓のお母さんの話をしたから。良いお母さんだね、という言葉に確かに苦笑いしていた。それを思い出す程に、そのときと顔は印象に残っていた。
「それより、内海さんがいないのってたまにあるの?」
「初めてかも」
「は?」
「物心ついたときから、いつも送迎してくれてたから。居ないときはちゃんと連絡あったし……」
本当に、何をしてるのだろう。
友達と遊びに行くときですら、気配を殆ど消して数歩後ろをついてきた。内海が近くにいなかった日の方が少ない。
朝、迎えに来ると言っていたのに。
「もっかい連絡してみたら?」
「うん」
でも、電話は繋がらなかった。
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