曼珠沙華は行方を晦ます。


内海藤吾は謎の多い人間だ。

高校を中退した後、その頃チンピラをしていた錫見に拾われた。その経緯を知る人間は数少ない。


「どこに居るか分からない」


父が言い放つ。電話も出ない。事務所の人たちも連絡が取れないらしく、本格的に行方不明ということになった。母が内海の分の夕飯にラップをかけている。


「今日よく一人で帰ってこれたな」

「楓に最寄り駅まで送ってもらった。お金も借りた」

「そうなの? 今度何かお礼しなくちゃ」

「誰かに後ろつけられたか?」


母と父の緊張感の違いに、空気が安定しない。あたしはソファーに座ってテレビの音を小さくした。


「分かんない」

「その友達……楓って子は何か言ってなかったか?」

「うーん……」


そういえば、駅に着いてから何度か振り向いていた。学校の最寄り駅まで送ってくれると言っていたけれど、改札を入ってうちの最寄り駅まで来てくれた。それから、タクシー乗り場でタクシーを拾ってくれた。楓は持っている全額をあたしにくれたんだけど、自分はどうやって帰ったのだろうかと心配になって、家に電話した。楓は携帯を持っていないから。


『もしもし』

『もしもし、楓さんのクラスメートの錫見です。楓さん、帰ってきていますか?』


内心どきどきした。電話に出た声は赤羽さんでもなく、楓の祖母というよりも若く、誰なのか全く予想が出来なかった。いったいあの日本家屋には何人が住んでいるのだろう。


『あらあら、お世話になっております。帰ってきていますよ、少しお待ちください』


聞いたことのある音楽が流れてくる。少ししてから楓の声が聞こえた。


『もしもし、代わりました』

『楓? 今日はどうもありがとう、ちゃんと帰ってて良かった……』

『それわたしの台詞だから。わたしもタクシー拾って、帰ってからお金払った』

『ねえ、さっき電話に出た人誰?』

『お手伝いさん。住み込みの』


すごい、やっぱりお嬢様なのだ。楓はあたしが思ったことが分かったかのように、少し笑った。


『内海さんと連絡とれた?』

『ううん、まだ』

『シベリ大きくなった?』

『うん、もう子犬とは言えないかも。うちの庭で駆け回ったりしてる。また見に来る?』

『遠慮する。じゃあシベリに番犬頼んだ方が良いね』


迷いのない返事に苦笑。楓は犬が苦手らしい。この前ドーベルマンを散歩させている人を静かに睨んでいたっけ。

番犬って、内海の代わりにはならなさそうだ。シベリは顔や骨格に比べておっとりとした性格。ちょっと天然な一面があったりする。


「言ってはないけど。何回か振り向いてた」

「それでタクシーに乗せてくれたのか。機転の効く子だ」


父が褒めるなんてよっぽどだ。今やヤクザもエリートの人間が多い、なんて言われている世の中。近くに父や内海が居れば尚更それを感じてしまう。

父の言ったことと楓の行動から考えると、あたしは誰かにつけられていた可能性がある。それが内海と関係あるのかどうかは分からない。ただ、ついてきた人間が内海ではないことはよく分かる。それにあたしが気付かないはずが無い。


「兎に角、明日は土居に学校まで送らせる。友達も一緒に帰られるようなら乗せて来い」

「うん」

「気をつけなさいね」

「はーい」


自分の返事を聞いて、あたしが一番緊張感がないなと思った。







次の日、内海の代わりとして来た土居はうちの前に車を停めて煙草を吸っていた。あたしの姿を見て靴底でその火を消して、きちんと拾った。煙草のポイ捨てを父に見られたらど突かれるから。

挨拶をして後部座席に乗る。後ろに撫で付けられた髪がブリーチされていて、実年齢より若く見える。実際若くて、二十代前半だった気がする。

内海や土居を含め父の直属の部下は何人かいる。全員と会ったことはないけれど、土居にはお正月とかお盆などの節目には爺の家に来るので、知らないわけじゃない。でも、あたしは結構人見知りだ。留年して浮くからと一年の教室に一人では向かえないほど。


「帰りは何時くらいすか」


赤信号。バックミラー越しに聞かれる。


「四時くらい、かな」

「んじゃそれくらいに正門出て角曲がったところに停めますね。正門まで迎えに行きます」

「うん」

「純さん」


車が発進した。呼びかけられて、あたしは土居の後頭部を見ていた。会社でいえば上司の娘の送り迎えをしている、って感じだ。それに疑問を呈さないのは、身についているからか。それとも疑問に思っているあたしが気にしすぎなのだろうか。

ちょっと引っ掛かっているのは、生意気に内海に「結婚しないの?」とか言ったこと。もしかしてそれに怒ってどこかへ行ってしまったのかもしれない。……考えすぎだ。


「内海さんなら大丈夫っすよ。あのひとがぼこぼこにされてるなんて想像ができないので」

「あー……うん」

「なんか腑に落ちてないっすね?」

「ツキノワグマには流石に勝てないと思って」







中塚がルーズリーフに何かを熱心に書き込んでいる。因みに、五月の席替えで窓際の席をゲットした。あたしの斜め前中塚、後ろに楓がいる。前から送られてきたプリントを後ろに渡すとき、たまに眠っている。その眠り方が猫みたいなので、いつか写真におさめたい。


「中塚何してるの?」


振り向くと楓が起きていた。黒板の数式を手元を見ずに写している。日直の榎本さんがこちらを見て、楓が写し終えるのを窺っていた。ぱっとシャーペンを放して、中塚の方へ視線を動かす。


「生徒会の原稿? みたいのを書いてるらしい」

「あ、そっか。もうすぐ総会なんだ」

「眠くならないように面白いの考えてもらわないと」

「楓は逆井先輩が話すときだけ起きてるんでしょう」

「ん、ばれた?」


笑う顔が可愛い。悪戯っ子のように言っているけれど、これは本気だ。楓はたぶん逆井先輩以外に殆ど興味はない。


「聞こえてるんですが」

「ファイト中塚」

「楓を起こせるような原稿頑張れ」

「それは不可能に近い」


中塚がこっちを向いて大きく溜息を吐く。随分お疲れのようだ。あたしは鞄から梅の飴を出して投げる。「ありがとーす」と言って中塚は片手でキャッチした。

そういえば、と楓がノートを閉じながら頬杖をつく。


「内海さんいた?」

「朝の時点では行方不明」

「どこかで伸びてたりして」

「ツキノワグマにでも遭遇しない限りそんなのあり得ないよ」

「いまどきのツキノワグマは簡単に山からおりてくる」


どきり、とした。


「なんてね」


付け加えられた言葉はなんの効力も為さなかった。




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