幼馴染は骨を埋める。
「これ、返す」と新聞紙に包んだそれをテーブルの上に出す。珍しく保健室で眠っていた純さんが細い首を見せて頭を擡げる。茶色いショートカットがさらりと落ちて、刺青の紅が少し見えた。ゆっくりと起き上がってわたしを見て、伸びを一度した。
「もう良いの?」
「ん、ありがとう」
「いーえ。きちんと仕留められた?」
その言葉に、返事をすべきか考える。純さんは滑らせるように鞄の中にそれをしまって、悪戯な笑みを見せた。知っていてそれを聞くのか、その真意は分からないけれど、わたしは答えることにした。
「ん」
「それなら良かった」
「ね、純さん。それに弾込めたのってもしかして内海さん?」
銃声が響いた。
震えて拳銃がカタカタと鳴っている。わたしの左手首が痛いくらいの力で掴まれていた。触れられている嫌悪感に雪成の身体を押す。拳銃が手から離れるのも気にせず力を込めたけれど、先日まで禄にご飯も食べなかったわたしと健康的に生きてきた雪成とでは比べ物にならない。裸足で地面に力を入れる。
わたしは死ななかった。
銃口は空を向いていた。でも弾は出なかった。つまり空砲だった。
「離して、離せばか!」
「楓、落ち着け」
「純さんと組んだの!?」
睨む。ぴくと雪成の眉が動いたのが分かった。それが答えだろう。空砲を仕込めるのは純さんだ。そのことを知っていた雪成が銃口を怖がらないのにも納得がいく。
雪成の肩に置いた手が未だにアネモネの赤と青の花を掴んでいたのが目に入る。茎がしなっとなっているけれど、花びらの色は鮮やかだ。
ひっく、と喉の奥から嗚咽が漏れる。
花の色はずっと変わらない。ずっと、わたしが生まれる何年も前から。わたしが見ている花の色と、昔ネアンデルタール人が埋葬するときに一緒にいれた花の色はきっと同じだ。
雪成を好きだと感じたあのときから、わたしの想いが変わっていないように。
力が緩められて、左手が離される、ぐずぐずと泣き始めたわたしを前にして雪成は何も言わずに肩を抱き寄せてきた。さっきまで突っぱねていたのに、そんな力はなくなっていた。
「錫見と話したことはないけど」
「うそ」
「会って何話すんだよ、今日の天気についてでも話すのか?」
「じゃあなんで空砲だって知ってたの」
会話が途切れる。泣きながら顔を見上げると、きょとんとした顔が見られた。わたしの顔もそれなりに間抜けだと思うけれど、今はそんなの気にする余裕はない。
理由だ。何事にも理由。
「え、空砲だったのか」
ぽかん、と口が開いた。涙がぴたっと止まる。
「知らなくてこんなに落ち着いてたってこと?」
「あれすげー音したけど……」
はっと気付く。静かな夜半が沈黙を深くしていた。
本物と間違える雪成もそうだけれど、あの音で家から誰も起きてこないことも奇跡に近い。
「変、可笑しい」
「殺される覚悟はしてきたけど、楓が死ぬのを見る覚悟はしてない。それに、死ぬ前に言いたいことがあったんだった」
「なに?」
「楓のこと、ずっと好きだ」
純さんは上履きを履きながら「たぶんそうだよ。あたしが内海に頼んだから」と言う。それなら合点がいく。内海さんは誰が使うとしても絶対に純さんの手に渡るものが人を殺すものにはしたくないのだろう。「せいぜいあがけ」って、警告でも忠告でもなく、結果を知っていて面白がっていただけなのかもしれない。
「どうして?」
「良い音がしたから。ありがとうございますって伝えておいて」
「うん。わかった」
わかってしまうのか。ヤクザの娘って底知れない、と感じる。純さんはこちらの椅子に座ってテーブルに肘をついた。わたしの顔をじっと見てくる。
なんとなく毅さんの顔を思い出す。あのひと、きちんと卒論をやっているのだろうか。どうでも良いけれど。
「ずっと思ってたんだけど」
「ん?」
「楓って内海に似てる。雰囲気かなあ、たまに野生の本能が垣間見えるところとか」
「なにそれ、嬉しくない」
「そうやって同族嫌悪してそう」
くすくすと笑う。チャイムが鳴った。あと十分でHRが始まる。わたしは立ち上がって鞄を持った。純さんも同じように鞄を持つ。
一緒に保健室を出ると、ちょうど保健室の先生と入れ違いになった。
わたしたちが朝から学校にいるのが珍しく、「行ってらっしゃい」と声をかけられる。
「あ、そうだ。誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「逆井先輩から何かもらえた?」
「んーとね、一緒に登校してきた」
怪訝な顔をされる。一緒に登校のどこがプレゼントなんだ、と言われてしまえばそれまでだけれど。
『わたしは、約束は絶対に守ります』
あの日、毅さんと交わした会話。
『祖母と戦争することになっても蕨で働くことにしますね』
そしてあの強張りながらも不敵な笑み。
なんだかんだあのひとの熱に浮かされたのかもしれない。
「分からないって顔してる」
「十人十色って言葉はこういうときに便利だよね。あたしも背中を彫っちゃうし、他人から見たらだいぶ頭可笑しいわ」
「そう? わたしは結構好きだけど」
「楓に同調されるとそれはそれで不安も感じる」
失礼な。
教室の前まで行くと、雪成が中塚と話をしていた。雪成が最初にこちらに気付いて、それから中塚が顔を向けた。このツーショットを見るのは初めてのような気がする。
「おはよー」
「おはよう、二人揃って朝から教室来るの珍しい」
「あたしは大体保健室にいるけど、楓は今日来るの早かった。ですよね、逆井先輩?」
にこ、と優しくない笑顔で雪成を見る純さん。びく、とわたしが分かるくらいの薄い反応で、雪成が肩を揺らす。この前尋ねたのが効いてるのか。
「あー、うん」
「じゃあ明日からは一緒に登校するんですね。俺も御役御免ってことで」
「えーちゃんと働きなよ、中塚」
「錫見先輩、今日席替えだから」
あ、と純さんと声が揃う。そういえば、今日から五月だ。ということは、わたしの近くの席に中塚がいる保障はできない。
「分かった、もう出欠確認は頼まない。それより早く教室入った方が良い」
腕時計を指で叩く。一年三人は急いで教室に入ると、同時にチャイムが鳴った。担任の先生が教室に入ってきて、わたしのことを見る。その驚いた顔に、同じように驚いた顔で返してしまった。
黒板の日付が変わっている。わたしが生きるはずのなかった日がきた。
わたしが一線を引いた向こうに、未来という今日があった。
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