幼馴染は愛を知る。


母親の葬儀が終わって、父親と元の家を出た。祖母の家は大きかったけれど、祖母以外にお手伝いさんしか居ないと知って驚いた記憶がある。父親から、祖父はずっと前に亡くなったことを聞かされた。

お手伝いさんたちはわたしを甘やかした。一方で祖母はわたしを厳しく躾けた。そのことに関して父親が知っているのかどうかすら定かじゃない。叩かれたことも張っ倒されたことも告げ口することはなかったし、それをしたことによって祖母が狼狽えるとも思えなかった。

母親との記憶はあまりない。奥底に忘れ去られたように眠っていて、わたしはそれを不用意に開けようと考えたことはなかった。きっとそれは開けたら消えてしまう。



なんでそんなに人生投げやりなのか、と問われた。答えをぐるぐると探している。

母親が居ないから。身体が弱いから。我儘に育てられたから。雪成が好きだから。

全部が理由で全部が言い訳だ。

いや、理由なんてほとんど言い訳みたいなものか。


「四歳か五歳のとき、心臓が弱くて二十歳まで生きられないって言われたんです。それが原因か分からないけれど、何度か母親が泣いてるのを見ました。母親も身体が弱くて、わたしを産むときも死ぬか生きるかの瀬戸際だったとかで」


視線が自然と庭園の方へ向く。


「病弱であることが母親との唯一の繋がりで、亡くなった今もどこかで求めていて。少しずつ辞めていったら、わたしも母親みたいになれるかな、とか思ったり」


起きること、学校に行くこと、食べること、友達をつくること。

ひとつずつ、少しずつ。

花びらが散るように、星が燃え落ちるように。


「それが投げやりな理由か」

「んー半分そんなところのような」

「は? あとの半分は」

「試してた。それで、気を引きたかった、のかも」


目を伏せる。何を話しているんだろうか、今日初めて会った男に。それでもずっと誰かに聞いて欲しかった。これはただの愚痴か。

目を開く。


「……え、俺は今高校の恋バナを聞かされてんのか?」

「恋バナって、なんか可愛い。恋の花みたい」

「それで、お前の花は咲いたの?」

「咲かせるつもりない。毅さんは、不幸せにしたくないなって思う人いる?」


不幸せとは、幸せじゃないことだ。人間は簡単に幸せになれる。同じくらい簡単に不幸せにもなれる。

毅さんは少しだけ考えて頷く。右に指輪が嵌められているのに今更気付く。


「いる、不幸せにしたくない奴」

「わたしもその人のこと、絶対に不幸せにはしたくないんです。予測できるなら、その人に降りかかる不幸を全部取り除きたいし、わたしがそれを被ったって良い」

「それは恋というより、」


びし、とまた人差し指を向けられる。だから、とその指を畳もうとした。


「愛だな」


かこん、と思い出したように音がした。

そういえば、今日わたしの誕生日だったなと同時に思い出す。この気持ちは、愛というのか。

素敵なことを知ってしまった。


「勿体無い。そんなに想う相手を置いてここに来るなんて」

「わたしと居ると幸せにはなれないから」

「人に決められる幸せほど、悲しいものってないよな」


毅さんは少しだけ笑って、少しだけ俯いた。ピアスがキラリと光る。耳を穴が貫通しているのが新鮮に思う。針とかで空けるのだろうか。血、出たのかな。


「お前さ、もしかして社長から逃げたくて、その男も捨てたの?」


捨てた? わたしが、雪成を?

神様を潜ませている雪成のことを、どうして、誰が捨てられるというのか。

目の前のテーブルをひっくり返して、毅さんの顔面に投げつけたい気持ちになる。にゃあ、と猫の鳴き声がして、庭園の方を見た。二つの双眸がこちらを見ている。わたしだけを見ている。


「悪かった、つか怒るな。俺にとってそんなのはどうでも良くて、一番はお前が働く気があるかないか。無いなら、まあ二人でこの業界から干されて生きてくしかないな」

「……その返事、少し待ってもらえますか」

「働く方に傾く可能性があるならいくらでも待つ」


口を噤む。この人は、本気だ。

本気でこの婚約を破棄して、本気で働こうとしている。初めて会ったわたしの前で、そんな決意をしている。

きっとこの人は、こういう人なんだ。こういう風に生きて、こういう風に壁を乗り越えて来たんだろう。


「わたしは―――――」











月明かりがその陰を濃くしていた。

立ち上がる。見上げていた顔が下にあって、いつしか隣の子がうちに入って来たことを思い出した。昔なのに、昔じゃない。

雪成がここに来たのは、少し前、椿の花を持ってきてくれたときだ。

今雪成は赤と青のアネモネの花を持っている。


「誕生日おめでとう」


それを差し出される。透き通るような色が月明かりさえ通してしまう気がした。素直にありがとうと言えない自分がいる。


「来たら殺すって言った」


呟いて、パーカーのポケットに手を突っ込む。そこには純さんから貰ったものが入っていて形を確かめるように形をなぞった。気持ちを決めて指を掛けてそれを雪成へ向けた。

安物で良ければ、と純さんは揶揄した。ロシア製は質が悪いとか。純さんや内海さんのように拳銃に詳しくないので、わたしは殺せればそれで良い。

雪成はわたしを真っ直ぐ見ながら、手を下ろす。黒猫が雪成の向こうに現れた。青い目がこちらを見ている。


「俺は起こしに迎えに来ただけ」

「……早すぎ」

「本当はどっちでも良かった」


理由なんて、と続ける。花の持っていない方の手が、わたしの右手に伸びる。怖くないのだろうか、雪成は。銃口を自分に向けられるなんて普通の高校生なら経験のないことだろう。

なぜ、どうして。わたしたちはそれを求めすぎる。理由があれば安心して納得して、自分を慰めることができるから。だから、何につけても理由が必要だ。


「ただ、楓に会いたかった」


ぐいっと引っ張られてその銃口が雪成の胸元に当たる。引き金を引けば雪成を殺せる。わたしは雪成を殺す理由を探す。

好きだから、愛してるから。わたしのものにならないなら、誰のものにもなって欲しくないから。

幸せになって欲しいと願いながら、不幸せになって欲しくないと祈りながら、本当はわたしと一緒に地獄に堕ちて欲しいとも思っていた。線を引いて「ここから入ってこないで」と提示したのはわたしなのに、本当はその線をひょいと飛び越えてわたしの手を握って欲しかった。

だって、雪成は絶対に来てしまうから。


「わたし……わたし、雪成が好きなんだ」


地面に裸足を晒すのは冷たかった。小さな小石が足の裏を突いてくる。

言葉は春の夜に溶ける。


「でも、全然違うところで生きて、全然違うところで幸せになって欲しい」


今日で16歳になった。わたしは少し大人になった。

手を離して、雪成の花を受け取る。アネモネの花言葉って何だろう。それを知っていて雪成は持ってきてくれたのだろうか。それとも見た目が美しいから持ってきてくれたのか。どちらでも良い。わたしにとって、雪成がしてくれることの理由より結果の方が大事で、大事にしたいことだ。

他人とちゃんと関わってこなかったわたしに他人の気持ちを想像したり理解するのは難解だと思っている。


「ありがとう」


素直に言えた。胸元に向けていた銃口を自分のこめかみに当てる。左手の指に脳みそが命令を出す。動け、引け。

さよなら、さよなら、全部。



銃声が響いた。




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