幼馴染は戦争をする。


父親がまだ家にいる。

赤羽さんも父親も毎日忙しそうにしている。それでも毎日父親は家に帰って夕飯を食べて自分の部屋で眠っている。今まであの人がいなかったこの屋敷は静かだったけれど、今は人の気配がする。声、足音、呼吸音、名前。

朝はわたしよりも早かったり遅かったり、夜は絶対に遅いので、生活空間や時間が重なることはない。祖母がいたときと同じだ。同じ家にいるのに、全く顔を合わせることがない。現代の理想なシェアハウスというのはこういうものだと前に夕方のテレビで放送されているのを見た。わたしは父親とシェアハウスをしているらしい。


「お……ふっ、びっくりした」


夕飯を一人食べていた父親を引き戸の隙間から見ていると、父親がこちらに視線を向けて味噌汁を吹きそうになっていた。静かに開けて静かに閉める。


「おお」

「何」

「日本人女性らしいなと思って」

「貴方の母親に躾けられたんですよ」

「だろうね。昔から煩かったから」


知っていたのか。わたしは父親の正面に正座してから崩す。今この家には緊張感というものがない。ふあ、と欠伸が出る。

髪の毛が伸びた。前髪は定期的に自分で切っているけれど、後ろの髪は伸ばしっぱなしだ。元々地毛が茶色いのも相まって、髪先が死に始めている。それが目に入って気になってしまった。

父親がリモコンを持ってテレビの画面を消す。


「お父さん」

「小遣い?」

「違う。お父さんって英語ペラペラ?」

「ペラペラかどうかは兎も角、普通に話すくらいは出来ないと外国で暮らすには支障がある」

「わたし英語全然できないんだけど」

「千秋さんも英語とか国語苦手だった」

「……そうなの?」


この家で母の話をする人はいない。あの人はもちろんのこと、赤羽さんもお手伝いさんもお母さんのことを知らないので話題にあがることがまずない。だから聞けることが出来るのは嬉しいことだ。

父親はそんなわたしの表情を見て、少し懐かしそうに目を細めた。父親も、母の話をするひとって、もしかしたらわたししかいないのかもしれない。どこに行ったって、蕨野千秋が母であったのはわたしと父親の中でしかないのだから。


「ん、小説をあんまり読まないひとで、昔楓に絵本を読み聞かせてあげていたとき、一緒に感動してたっけ」

「それ知らなかった……じゃなくて、それはまた聞くけど。英語出来なくても、会社で働ける?」


ごちそうさま、と父親が箸を置いた。どんなに海外生活が長くても、父親の日本作法はしっかりとしている。もしかしたら、と今考えつく。もしかしたら、うちで和食しか出なかったのは祖母の為ではなく、父親がいつ帰ってきても和食を食べられるようになのかもしれない。その証拠なのか、祖母がこの家からいなくなった今でもこの家では和食が出されている。

んー、と唸る。父親は考えるそぶりを見せてから、茶碗を重ねていった。


「それはうちの会社の話?」

「そう」

「それは難しい。というか、現在は何だってグローバル化だからな。英語は出来るに越したことはない。うちの店は特に、海外にも支店を持っているから必然的に触れることにもなる、楓」

「……そっか、なに?」

「蕨で働きたいのか?」


率直な質問。わたしが知る中で、父親がわたしを嘲笑ったことや欺いたことや誤魔化したことは一度もない。また、それはわたしも同じことで。


「そう、です」


瞬きをして、立ち上がる。さっき違う部屋で洋服にアイロンをかけていたお手伝いさんがちょうど台所に来て、父親の茶碗を受け取っているのが見えた。それからこちらに戻って来る。


「高校辞めて?」

「じゃなくて、卒業したら……とか」

「大学行かずに? 合コンとか、ゼミとか経験しなくて良いのか?」

「んーと……、正直いつとかは考えてなくて」

「誰かに何か言われた?」


言われた、見合い相手に。

と、口に出すかどうか迷った。これはあの人の……名前なんだっけ、まずい忘れた。何とか製薬の……有名な胃薬を作っている……無理だ。

兎に角、あの見合い相手に言われたからわたしは今質問しているわけではなく、わたしが本当に働こうと思ったから。わたしは何かを得る為に何かを捨てるという選択をするのは辞めたから。


「違う」

「俺は反対しないけど、うちは家業だからってツテ入社とかはないから。入りたいなら入社試験と面接通ってからだな」

「え、あ、うん」

「あと、何の仕事するにも大卒くらいしてないと採用は難しい」

「ん」

「楓」


よく名前を呼ぶ日だな、と思った。顔を上げて、父親の顔を見る。昔と比べて老けたような気がする。じゃあ、わたしはどうだろう。父親から見て、わたしは昔に比べて成長しているのだろうか。

時計が鳴る。午後零時を報せる小さな鐘の音。


「今更父親面をするつもりはないけどさ」

「ん」

「いやそこは否定してくれよ」

「そんなことないとおもう」

「お前の味方でいるから、それは覚えておいてくれ」


ぽん、と頭に手を置かれた。


「ん、ありがと」







病院に行くことを告げると、純さんが「一緒に車乗っていこう」と提案した。それを断る暇もなく純さんは内海さんに電話をかけに行ってしまった。


「誰か悪いの?」

「祖母がね」

「早く良くなると良いな」


中塚の声に頷いて返す。明日は生徒会選挙なので、中塚は今から緊張しているようで何度も原稿を見直している。応援演説は隣のクラスの男子にしてもらうらしい。

明日で雪成の生徒会長姿を見るのも最後ということになる。


「中塚はゆくゆくは会長になりたいの?」

「いや、会長はいいや。副会長か、このまま会計が良い」

「どうして?」

「会長は流石に荷が重い」


純さんが廊下から戻ってきた。親指をたてて、わたしに笑いかけてくれる。

わたしは戦争をしに行く。



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