幼馴染は盾を捨てる。


髪を切りに行こう、と思った。


「お話が、ありまして」


声が震えた。余命幾ばくも無いと言われても、わたしにとってこのひとは未だ恐ろしいもののひとつ。


「あら、どんな」


細い腕に何本かの点滴が刺されていた。辛そうに身体を起こして、小さく息を吐いた。それからわたしは、目の前にいる祖母の身長を疾うに越していることに気付いた。そんなことを考えていて、それを見ていることしか出来なかった。


「あの、まずは、お見合いを駄目にしてごめんなさい」


わたしを一瞥して、丸椅子を指した。


「座りなさい、落ち着きのない子ね」


あ、はい。父親がそうしたように丸椅子をひとつだけ出す。ベッドの傍に置いてそこに座った。一連の動作を見て、祖母はゆっくりと瞬きをする。それが父親に似ていた。

恵都子さんも似ているのかな。


「あの見合いは向こうから申し込まれたものを引き受けただけなので支障はありません」

「あの、あと、わたし……」

「まだ何かあるの?」

「蕨で働きたいです」


言った。わたし今言った。

勢いに乗せてだけれど、きちんと言った。


「貴方、まだ千秋さんは視えるの?」


その視線は強かった。質問の意図を考えて、考えるほど不安になる。


「え……」

「楓さん、雅臣が海外転勤が決まってこちらに引っ越してきた理由を覚えているかしら」

「理由?」


前に純さんに父親が海外の支店勤務のことを話すと、「家族なのに海外転勤とかあるんだね。可愛い子には旅をさせよみたいな?」と疑問を呈していた。それを聞くまでわたしは不思議には思わなかったけれど、父親が家業だからってコネ入社がないというのを聞くと更に普通に思えた。

祖母はわたしが何も言わないのを見て、呆れた顔をする。顔色は良くないけれど。


「ひとつくらい質問に答えなさい。貴方の母親、千秋さんはまだ視えているの?」

「……視えません」


そう答えたものの。その答え方だと、わたしがまるで昔は視えたみたいな。

今は視えないみたいな、言い方だ。


「……お祖母様も霊感あるんですか?」

「私はありません。雅臣もありませんし、あるのは貴方だけです。尤も千秋さんがあったかどうかはもう聞けませんけれど」

「じゃあどうして千秋さんがって……」

「貴方がここに来る少し前、貴方がそう言っていたんですよ。『お母さんがそこにいる』って」


驚きというより、ショックが大きかった。わたしはここに宣言をしに来たはずだった。なのに、どうしてこんな。こんな話を。


「千秋さんが亡くなって雅臣だって参っている中、一人娘が視えるって言い始めた。誰でも心細くなりますよ。

だから私は雅臣を海外にやって、貴方を引き取ることにしたんです」

「知らなかった、です」

「知らないのではなく、忘れたんでしょう」


じゃあどうして今視えないのか。わたしには今、足元でこちらを窺っている黒猫の姿が視えるのに。中塚の、他人の妹の姿ですら視えるのに。

握りしめた拳の中が熱いのを感じた。きっと開いたら手汗がすごいだろう。

こんなに長く祖母と話をしているのは初めてだと思う。わたしが覚えている分には。

存外祖母は穏やかな表情でそれを語っていた。


「今は視えないんです、本当なんです」

「私が言いたいのは昔の貴方が視えていたのか今の貴方が視えないかという話じゃありません。貴方がそう言ったことで雅臣は更に参ってしまって、私は貴方に対してより厳しく接したということです」

「わたしがお祖母さんに厳しくされた理由は、わたしにあるってことですか?」

「その通りです」


言われたことはきちんと理解している。急に妻が亡くなって、一人娘と残される心細さと寂しさと悲しさ。それに整理をつける間もなく、娘が『お母さんがそこに居る』と言い始める。それは参ってしまうに決まっている。そんな息子を苦しめる孫の存在が憎く思えても仕方ない。可愛いばかりが身内じゃない。

息を吸う。ゆっくりと手を開いた。


「好きにしなさい。そしてきちんと自分で責任を取れるようになりなさい」


その手に祖母の薄く細い手が乗せられた。汗ばんでいるけれど、その手がカサカサしているのが分かる。わたしより冷たい体温。


「はい……」

「ああは言いましたけれど、雅臣は貴方の味方ですからね」

「それこの前言われました、あとわたしはお祖母様に似ているって」


手が震えている。涙が祖母と自分の手に落ちた。

ぼろぼろと零れる。鼻水を啜る。


「あら、私はとても可愛かったのだから、似ているのは当たり前でしょう」


そんな風に最初から最後まで一度も謝らず、わたしの祖母は言って退けたのだった。




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