幼馴染は星を待つ。
クッキーをもぐもぐと食べる音が部屋に響く。
シベリちゃんはあれから眠ってばかりいて、純さんはそれに飽きたようでクローゼットの奥から囲碁盤を取り出してきた。
「純さん、囲碁するの?」
「できないよ?」
「それ囲碁盤だけど、将棋する気?」
「ううん、オセロするの」
言葉通りオセロの駒を持ってくる。こんな和洋折衷な遊びを作り出して良いのか、と疑問に思いながらそれに参加した。
中心4つのマス目に駒を置いて、パチパチと始める。私は白で純さんは黒。
開いた瑠璃紺のカーテン。綺麗に磨かれた窓の向こうに強い光と青空が広がっていた。こんな天気の良い日に屋内でオセロをしているわたしたちは一般に暗い部類に入るのか否か。どっちでも良いか。
「知ってるの、ご両親」
「この遊び? いやー知ったら怒られるだろうね」
「純さんの背中」
「それは知ってるよ。そっち方面で隠し事は出来ない」
へえ、と感心する。怒られはしなかったらしい、呆れられただけで。
「内海はすごいショック受けた顔してた」
「あの人ショック受けるんだ」
「だよね。あたしも産まれて初めて見た」
パチン、と白が反転される。黒が有利になっていく。わたしは次に置く場所を目で探した。そういえば、と純さんが思い出したように声を出す。注いだ紅茶から良い香りがした。あまり飲まないので種類は分からないけれど、好きな香りだと思う。
その続きを聞く前に黒の駒を置く。二つの白を反転させてから、脚を崩して膝を抱いた。
「もうすぐ誕生日じゃない?」
「純さんの?」
「楓の」
「また、よく知ってる」
錫見に関わったら情報は全て筒抜けなのか。それってどうなのか、と思案する。思案したところでどうにかなる問題でもないけれど。怖いと思うわけではなく、仕方ないという思いが大きい。
にこりとする純さんはまた優しくない笑顔を見せる。
「あたしの背中に墨をいれてからすぐに、相手は婚約者と結婚したんだ。その結婚式にあたしも呼ばれて、喜んで出席した。殺してやろうと思って」
「ばいお……」
「両親ですら気づいてなかったそれを内海は見通してた。普通なら止めるところ、あいつは『自分が殺す』って言い始めた。馬鹿みたいでしょう?」
「ばいおれんす」
そうそれ、と純さんの手が止まり苦笑した。
「その人、まだこの世にいる?」
「うん、きっと新婚生活でも楽しんでるんじゃない?」
「殺さなくて正解だよね、そんな人」
「まあね。生き地獄を味わえとも思ってるけどね」
「それに、内海さんが本当に殺したかったのはその人じゃなかったと思う」
わたしには分かる。
内海さんを見たとき、同じ匂いを感じた。わたしと同じ、普通のひとからはしないもの。勿論純さんからも、中塚からも、雪成からもしない。
その危うさを、誰が分かってくれるのだろう。
オセロを終えて、夕方には錫見邸をお暇した。
お昼寝から起きたシベリの頭を恐る恐る撫でて、純さんのご両親に挨拶をして玄関を出た。その先に黒ではなく青いシャツを着た内海さんが車の前で待っていた。駅で見たときは黒い二人組だと思ったけれど、少しは軽くなった気がする。
「駅まで送ってくれるって」
純さんが通訳のように言ってくれたので、感謝を述べた。確かにここまで車だったので、ここから一人で帰れと言われても難しい話だと思い返す。
来たときと同じ、後部座席に乗り込む。純さんは助手席に座ってフロントガラスを覗き込む。その光景を見て、あ、と思い出した。
「雨」
「傘」
純さんが振り向く。わたしは錫見邸を指差していて、「傘忘れた」と短く告げる。本当は運転手に告げるべきなんだろうけれど、ここは通訳の純さんに任せた。純さんが何か言わなくても内海さんは路肩に車を停めてくれて、バックミラー越しにこちらを見る。
「玄関ですか?」
「はい」
「取りに行ってきます。待っててください」
うん、と純さんが頷いたのを見て内海さんが車を出る。自分が忘れたものを人に取りに行かせるというのは道理に合わないように思えて、わたしも車を出た。小雨から本降りになりそうな気配がする降り方。春の雨は冷たい。
錫見邸の玄関に立つと、扉が開いて内海さんがわたしの番傘を持っていた。ぎょっとした顔でこちらを見ていて、同じ顔をわたしもしていたのだろう。
玄関の開く音に純さんのお母様が現れて、タオルを持ってきてくれた。再度お礼を言って、玄関を出る。内海さんは番傘の他にもう一本ビニール傘を持っていた。
「自分のも取りに行くつもりだったので、来なくて大丈夫でしたよ」
「あ、どうも」
それを開いて、空にさす。雨粒が叩く度に鳴って、それが耳に心地よく感じた。
青いシャツが濡れて濃くなっている。鬱陶しくなったのか捲くられた内海さんの腕に、紅が見えた。わたしなら、と考える。
純さんが他人の為を思って彫った背中を見て、内海さんはショックを受けたらしい。わたしなら、どうするだろう。その答えは、考える前から既に出ていた。歩き出さないわたしを怪訝に思ったのか、こちらを振り向く。
葉は花を思い、花は葉を思う。
その燃えるような紅で、この人は誰を殺そうと思ったのだろう。誰を殺せると思ったのだろう。
わたしにも、殺せるだろうか。
「その曼珠沙華、純さんは知ってるんですか?」
相手はヤクザだ。こんなふざけた質問をしてぼこぼこにされないのは、わたしが純さんの友達だから。
内海さんは、目を一瞬細めて答える。
「知らないです。一生言う気もありません」
それがこの人の覚悟なんだ。
「純さんの為?」
「自分の為です」
「一番信用できる答え」
「俺はあんたが何をしようとしてるのか、わかりますよ。あの人に安いロシア製を借りて何をしようとしてるのかも」
全て、調べはついてるとでも言いたげな。
雨音が響いていた。
「ま、せいぜいあがいてください」
似ているから分かったのか、それともただのハッタリかは、わたしに判断できない。
内海さんが歩いて行くのを見て、わたしも番傘をさしてその背中を追う。雨粒が大きい。その音に安堵していた。
なんで傘に入れてあげないのよ、本当に気が利かない。と車に戻って早々に純さんは眉を顰めた。傘を取ってくるのに何分かかるんだ、と怒る前にだった。
「今日はどうもありがとう」
「こちらこそ、またオセロやろうね」
「あれはもうしたくない。際限なくて頭が参るし」
内海さんはあれから一言も話さず、車を駅前に停めてくれた。そんな別れ際の会話を思い出しながら歩く。
「じゃあ違うゲーム考えておくね」
「ん、じゃあまた」
「また学校で」
内海さんはこちらを見なかった。さっきまで本降りだった雨が段々と弱くなっている。眩しい光が目に入ったかと思えば、夕日が雲の切れ間から顔を出していた。雲が晴れていく。
「楓?」
傘を畳んでいると、後ろから声をかけられる。振り向くと同じく傘を持った雪成がいた。制服ではなく私服で、学校に行くときとは違うショルダーバッグを背負っている。予備校の帰りかもしれない。わたしの顔を見て、少し驚いて近くに来た。
「誰かと会ってた?」
「ん、錫見邸に遊びに行ってきてた」
「ああ、錫見の」
「家が大きかった。あとシベリも見てきた」
「楓の家もかなりでかいと思うけど。シベリって?」
「犬の名前」
シベリアンハスキーか、と雪成が推測する。そんな犬種だった気もする。並んで家路を辿る。道にできた水溜りを飛び越えたり、靴を沈めたりしてゆっくり歩く。
雪成はその隣を静かに歩いていた。空を見上げているので、その理由を聞いた。
「金星どこかなと」
「ふうん」
「楓、犬苦手じゃねーの?」
「ん、でもシベリは大丈夫だった。それに、今日楽しかった」
「良かったな」
ん、と答える。
日が沈んだ空が群青色に染まっていく。黄色と赤と青が交じる。視界の端にきらめくものが見えた。
楽しかった、ともう一度呟いた。
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