第46話 嗤う大翼、微笑む蛇

 五十嵐タオ。五十嵐ハウ。

 星影ルディと同じ、『楽園の蛇』計画に連なる新型パイロットの双子。黒い瞳のタオ。桃色の瞳のハウ。

 二人はいつも一緒であり、そしていつもタオが表に立っていた。奥手なハウはその後ろで、半ばタオに守られるようにして生きてきた。タオ自身も、ハウを守っているつもりだったし、これからも守るつもりだった。

 しかし。


『ねぇ、タオ……』

『ハ、ウ……?』


 今、目の前で自分に手を伸ばしているハウはタオの知る双子の片割れではなかった。自分の知らないハウの姿に、タオは混乱していた。


『何、してるんだ……ハウ……』

『何って、簡単なだよ……? ハウも、そうなの。ユードや、アランがそうだったように』

「――ッ!」


 長閑ユード。夕靄アラン。その名前がハウの口から出た瞬間、サハラの中で何かが繋がる。

 それは、前回のガブリエル戦。その直前、サハラはハウに呼び出された。あの不穏なハウの雰囲気。そして、その時にチラリと見えた背中の「青い何か」――つまり、ハウも……!

 そして、その結論に至ったもう一人が声を荒らげる。


『ハウッ!』


 もう一機の《デイゴーン》を駆る新型パイロット、星影ルディ。彼女はいつになく強い口調でハウへ呼び掛けた。


『ユードとか、アランとかよくわかんないけどさ』


 怒りか、迷いか。その声色は珍しく震えていた。しかし彼女は、或いは長姉のように、真っ直ぐな声で呼びかけた。


『その名前を名乗るってことはアタシも、タオも戦うことになる。アンタと。今ならまだ、アタシがどうにかする。だから、戻っておいで』


 サハラはその言葉に、どこか亡き母の面影を感じていた。『楽園の蛇』計画、その主任でもあった東雲アシェラ。彼女のように、ルディはハウへ真っ直ぐ呼び掛けていた。

 だが、その真摯な言葉に返ってきたのはきょとんとした無垢だった。


『戻る……どうして?』

『どうして……って……!』


 さも当然、といった風なハウの言葉にルディも唖然とする。そして、再び語りかけようとしたルディの言葉をハウが遮る。


『戻る必要……ないと思う。だって、ハウはタオと一緒に行くんだから』

『ハウ……? な、何言ってるんだ……?』


 タオは完全に状況が読めていなかった。そして、目の前の片割れが全く知らない何かに変わりつつある――否、変わってしまったことにただただ困惑していた。

 タオの声が届くと、ハウはいつもの調子に戻って優しく導くように笑いかける。


『大丈夫だよ、タオ。何も怖くない』

『タオは……タオはわからないよ……』


 ルディが一号機で、二人の姉のような存在。そして、ハウはかけがえのないもう一人の自分。しかし、目の前ではルディがハウに刃を向けようとして、ハウは敵である――しかも以前自分を追い詰めた――天使と並んでいる。タオはモニターから目を離せずにいながらも、混乱して頭を掻きむしっていた。彼女にとって脈絡もない現実に、眼帯をしていない方の目が大きく見開かれる。


『ハウは、ハウはどうしちゃったんだ?』


 問いかけたタオに、ハウはその名前を名乗る。自身の背中でどくどくと脈打つ青い百合の刻印を感じながら。


『ハウは、〈智人ジルヴ〉。……ハウはね、タオと一緒にいたいから、〈智人ジルヴ〉になったの……』

「ハウ……ッ!」


 確信に変わっていた疑心が現実になる。同時に、セイゴ隊の内線で隊長であるセイゴが苦々しく呟く。


『サハラ、シューマ……覚悟を決めろ。彼女がああ名乗った以上、俺たちが止めるしかない』

『……了解』


 くそ、と小さくシューマの悪態が聞こえる。裏切り者である、〈智人ジルヴ〉。ルディ隊の二人が手を出せないなら、俺たちが。サハラは目を伏せると、静かに操縦桿を握り直す。

 《アステロード》、そして《アルヴァ》がおもむろに自動小銃へ手を掛ける。それとほぼ同時に、ルディの《デイゴーン》もまた、その豪爪をハウ機へと向けていた。


『そう。……ハウがその気なら、アタシはケジメをつける』

『ま、待って!』


 攻撃へと移ろうとするルディ機。しかし、それを制するようにタオ機が前へ出た。焦ったその様子に、ルディ機が動きを止めた。そしてタオは、再びハウへ疑問をぶつける。


『〈智人ジルヴ〉って、どうして? タオの知るハウはそんなことするハウじゃない』

『ごめんね、タオ。……でも、これはタオのためなの』

『タオのため?』

『そう……』


 ハウは優しく肯定すると、ゆっくりと語り始めた。


『――この力が……〈智人ジルヴ〉の力があればね、誰にも邪魔されない。ハウとタオを、誰も邪魔できなくなるの』


 サハラの胸の奥が違和感を示す。ハウの言葉に、少しずつ妙な響きが宿り始めていた。


『――そう、誰も邪魔できなくなるの! ハウも、タオを守れるようになるの。それにね、この青い力……とっても、とっても気持ちいいの』

『は、ハウ……?』


 妙な響きだけじゃない。ハウの言葉には恍惚としたつやがかかり始める。その見た目の幼さからはとても考えられないような艶をもって、耽美にすら思える声色でハウは続ける。


『――タオも知ってるでしょ? この感じ……。ぜんぶが光に包まれて、気持ちよくなるの。天使化、ってユードが言ってた。天使化すればするほど、気持ちよくなるの』


 その言葉は更に艶を帯び、そして勢いを増す。その加速度とあまりの艶やかさにサハラはうっすらと気味悪さすら覚えていた。優しく、甘い口調。しかしその異質さが威圧感さえ放っていた。


『――この青い百合があれば、もっと気持ちよくなれるよ? 体が熱くなって、頭が痺れて……だから、タオも来て? ハウは、タオと一緒に気持ちよくなりたいの……』


 そうして、またハウの《デイゴーン》はタオ機へ手を伸ばす。その甘美な誘いに、タオ機は動きを止める。


『――……ね?』


 甘えるような――いつものような、ハウの声。しかし、少しの沈黙のあと、タオの《デイゴーン》は恐れるように後ろに後ずさっていた。


『――わかんない。わかんないよ、ハウ!』


 タオの言葉にも共鳴が始まる。その語気が強くなり始める。ハウの言葉に呼応するように、タオが混乱しながらも叫ぶ。


『――わかんないッ! タオは、タオは! タオは……!』


 ――タオは、どうしたらいい?

 そんな悲痛な叫びと共に、タオ機が動きを止める。

 周りでは、聖天機と堕天機が戦闘を繰り広げている。しかし、ガブリエルの周辺には重苦しい沈黙すら漂っていた。ルディ隊も、セイゴ隊もどう動くのが正解なのか惑っていた。

 その静寂を、無慈悲に切り裂く哄笑。


『――くく、かはははははははははははっ! 告白、更に困惑、沈黙、錯乱! 第二幕は酷く滑稽! 一幕の威勢は消え失せ、何と白い舞台!』

『ガブリエル……!』


 堪えられない、という風に沈黙を破ったガブリエルに、サハラは怒りを露わにする。この天使は、此奴は、この現状を愉しんでいる。そして、その子供のような無垢な笑い声がなおのことサハラの神経を逆撫でていた。


『――撒いた種は蛇に宿り、其の蛇を御するまでに至った! 次は如何どうだ? 如何狂う? 如何壊れる? 果ては我が身を喰らうか! い、好いぞ! 実に愚かだ!』


 まるで続きを待つ童子のような、その人を人とも思わぬ哄笑にサハラは反射的にペダルを蹴っ飛ばしていた。サハラの黒い炎に駆られ、《アルヴァ》の剣が《マイム=セラフィーネ》を襲う。


「――貴様ァァッ!」

『――くく、憎悪か黎明の! だがほとばしる魂魄は貴様だけでは無いと知れ!』


 《アルヴァ》の突撃を次元障で受けながら、高笑うガブリエル。そしてその言葉と同時に、《アルヴァ》の脇腹を鋭い衝撃が貫く。


「ぐッ!?」


 コックピットに鳴り響くアラート。損傷を告げるそれに耳を痛ませながら、サハラが睨んだ先には《デイゴーン》――ハウ機の姿があった。


「ハウ……ッ!」

『サハラは、だめ。サハラは、邪魔なの。ハウとタオがもっと気持ちよくなるためには、その先にいるサハラは邪魔なの……』


 その言葉は、サハラに向けたものだったが途中から自身に言い聞かせるようなものへ変わる。サハラの見る先で、《デイゴーン》の双眸がギラリと閃く。


『――邪魔、しないで!』


 叫びと共に、ハウ機の掌が光を宿す。呪光砲! 《デイゴーン》の得意とする戦法を思い出したサハラはペダルを蹴っ飛ばした。《アルヴァ》がハウ機を蹴り飛ばし、呪光砲は空を穿つ。

 脇腹から火花を散らしながら、体勢を立て直す《アルヴァ》。しかし、ハウの追撃が目前に迫っていた。一瞬、サハラは迎撃を迷う。海獣が唸りを上げ、その豪爪が《アルヴァ》の胸に迫る。次元障を展開しようと、腕を上げたが――その直後、横からの衝撃で弾き飛ばされた。


「なッ……!?」


 完全に意識の外からの衝撃。シートに軽く頭を打ち付けながら、サハラは何が自分を吹っ飛ばしたのかを確認する。そこには、二機の《デイゴーン》がお互いの腕を交わらせ激突する姿があった。


『悪い、サハラ!』


 飛んできた声は、ルディのもの。


『ルディもハウの邪魔をするの?』

『まだアタシとの話が終わってないだろッ! アンタの相手はこの星影ルディだ!』


 言い放つと共に、ルディ機の豪爪が薙ぎ払われる。たまらず退くハウ機。彼女の双眸が《アルヴァ》を見るが、その前に再びルディ機が立ちはだかる。ルディにここを通す気はなかった。


「……頼んだ!」


 彼女の相手をするべきは自分じゃない。《デイゴーン》の背中にそう感じたサハラは、再び大天使へ剣を向けた。応じるように大翼を広げる《マイム=セラフィーネ》。その翼が輝く前に、《アルヴァ》が赤い流星となって襲い掛かる。


「逃がすかッ!」

『――くく、くはははは! 猛れ黎明の! 我が愉悦の糧と為れよ!』


 次元翼を抑えられ、朱槍で剣を受けるガブリエル。その長い柄で剣を滑らせると、いなすようにしてひらりと身を躱す。受け流され、振り返り《マイム》を睨むサハラ。《マイム》は嘲るように文様を点滅させると、優雅に飛び上がった。黒翼を広げ、《アルヴァ》もそれを追う。

 雲を貫き、二機の《セラフィーネ》が戦場を縫うように駆け抜ける。後続の《アルヴァ》へ呪光砲を乱射する《マイム》。光弾の雨を次元翼で躱すと、サハラはガブリエルの上をとった。腰から抜き放った自動小銃でその翼を狙う。銃弾がその翼を捉える前に加速する《マイム》。射線上にいた下級聖天機の《アルケン》が爆散し、《アルヴァ》はその爆風を抜け《マイム》を追う。

 今度は煽るように堕天機の多い中を《マイム》が飛翔する。展開した次元障により、青い巨星と化したガブリエル。堕天機を次々と激突で破壊しながら、高笑いを響かせる。


『――くはははは! 砕け、壊れ、崩れ!』

「――貴様……ッ!」


 その瞳を微かに点滅させながら、無残にも爆裂する《アステロード》。その傍を駆け抜けながら、サハラはペダルを更に踏み込んだ。焼けんばかりの勢いでブースターが火を噴き、黒翼が羽ばたく。


「――お前は……どれだけの人を……ッ!」


 両脇でまた無残にも爆散する《アステロード》。その手から零れ落ちた実体剣を通り過ぎざまに《アルヴァ》は掴む。鈍色の刀身に刹那走る金の文様。サハラは操縦桿越しにその重さを感じながら、《マイム》の翼目掛け投げ放った。

 空で急停止すると、その二つの刃を朱槍で弾く《マイム》。その隙を逃さず、《アルヴァ》はその眼前に現れ、口のある頭部を掴んでいた。


「――の、此の甘言が幾人もを……!」

『――甘言? くく、其れは否だ黎明の』


 《アルヴァ》の掌の中で、軋みながらも《マイム》の口が歪んだ、サハラはそう錯覚する。そしてガブリエルはこの窮地さえも楽しみながら続ける。


『――我が施したるは単なる進化。宿主の意思を強いるたぐいでは無い』

「つまり、それは……ッ!」


 ガブリエルが促したのは、天使化の助長。つまり、それは〈智人ジルヴ〉の反乱は確固たる本人の意思であることを意味する。ユードも、ハウも、そしてアランも。


 一瞬迷いを感じるサハラ。しかし、〈智人ジルヴ〉が起こる原因をガブリエルに見るしかない。乱れたサハラを、ガブリエルは嘲るように笑う。


『――しか斯様かようにも乱れるとは! 如何様いかようためしてもきる事は無いとるぞ』


 それは、まるで虫を無垢に殺し悦ぶ子供のような台詞だった。その手で弄ばれた命がサハラの憎悪を燃やし、《アルヴァ》の腕に文様が烈火の如く奔る。


「――貴様は、人間を何だと……ッ!」

『――ていの好い獣だ、黎明の』


 はっきりと、ガブリエルはそう肯定した。何の悪意も無いその言葉に――そこに何の悪意もないということに、サハラは悪寒を覚える。


『――次元の先に観た、未知の獣よ。愚鈍で従順、更に壊せど咎められず。如何に扱おうと、如何に狂わせようと、代替は無限に有る! 是程好き玩具も在るまい?』

「――……!」


 なぁ東雲サハラ。

 僅か、数日前。次元のゲートの向こう、天使たちの舟イェーヴェでウリエルはそう俺に語りかけた。

 山に住む猿を、木の上の猿を、檻の中の猿を――あの獣を、お前は人だと思った事が在るのか?

 その言葉がフラッシュバックすると共に、背中がどうしようもなく疼く。それは、ガブリエルに弄られた傷跡。

 此奴は、此奴らは、人を人だとも思っていない。便利な獣程度の認識で、その認識の下で、アランは……!


「――貴様ァァァァァッ!」


 忘れていた。此奴らはそう云う奴らだったッ!

 サハラは燃え盛る胸の炎のままに雄叫び、《アルヴァ》が敵のあぎとを砕かんと文様を輝かせる。ガブリエルはサハラのその様子に可笑しくて仕方がないと長く哄笑を響かせる。


『――くく、かはははははははははははははははははははははは! 矢張り貴様も獣だ黎明の。翼を得ようと、彼の暁を背負おうと。先の蛇と何が違う!』


 その台詞と共に、一気に翼を広げる《マイム=セラフィーネ》。黄金の輝きと共に転移し、《アルヴァ》の掌は虚を握り潰す。どこに行ったか――サハラはその時、自分の中で何かが叫んでいるのを感じた。戻れ、と。同時に思い出される、百合を背負ったハウ。《アルヴァ》が黒翼を開き、金色に煌めく。


『……やっぱり、だめだよ……』


 次元翼で戻ったサハラの耳に届いたのは、そう話すタオの声だった。いつになく力がないが、それは確かなタオの意思のようだった。


『――だめ? どうして? 一緒に来てよタオ。一緒に気持ちよく……なろう?』


 ルディ機の肩越しにハウはタオにそう語りかける。片割れの、甘美な誘惑。懇願にも近いそれに、タオは言葉を詰まらせる。

 ルディは、そしてセイゴ隊の二人はいつでも動けるようにしながらもその動向を見守っていた。沈黙が、タオの結論を促していた。

 ……決めるのは、タオだ。

 小さく、ルディがそう呟く。そしてそれに背を押されるようにしてタオの《デイゴーン》はルディ機の前に出た。ルディ機からはがされたハウ機が、またタオに手を伸ばす。


『ハウ、タオは……』


 ゆっくりと、タオ機がハウ機に近付く。


『――嗚呼、タオ! わかってくれた。やっぱり、タオは――』


 弾むハウの嬌声。しかし、その言葉は鈍い衝撃で遮られた。伸ばされたハウ機の手を、タオ機は容赦なく払っていた。《デイゴーン》の腕同士がぶつかり、その鈍音がハウを殴る。


『――如何、して』

『今のハウは、ハウじゃないよ。それに、そんなのなくても、タオはハウと一緒にいる。ハウはタオが守る。だから、ハウはタオが助ける』


 それがタオの出した結論だった。誰も、それが正解かどうかはわからない。刹那の静寂。そしてそれを破ったのは、先程とは似ても似つかない――地を這うような、ハウの否定だった。


『――違う。タオはそんなこと言わない』

『ハウ……?』

『――タオは、ハウと一緒なの。離れたりしない。手を払うこともないの。タオは、ハウのタオ。ハウのタオは、そんなこと言わない。違う。其れはタオの答えじゃない。タオはそんなこと言わない!』


 まくしたてるように、何かに駆られるようにそう口走るハウ。ハウの《デイゴーン》もまた、錯乱を示すようにその双眸を点滅させる。彼女の言葉に天使化特有の響きが蘇る。


『――気持ち悪い。そんなのタオじゃない。気持ち悪い。タオじゃない。タオの言葉じゃない。タオじゃない。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!』

『下がってタオッ!』


 ゆらり、と急に動いたハウ機。ギリギリで反応したルディ機がその手を引き、タオ機はよろめくようにして後ろへ退く。そしてタオ機の居た空間で呪光砲が爆ぜた。

 サハラを始めとして、セイゴ隊の面々も武器を構える。彼らの見つめる先で、ハウの《デイゴーン》はその豪爪を光らせ、タオへ手を伸ばす。

 慈愛ではなく、敵意をもって。


『――貴女はもう、タオじゃない』

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