第十二章 快楽の蒼
第45話 飛翔
翼を広げ、イメージするのは戦場となった天空。サハラの心のままに《アルヴァ》は文様を輝かせながら格納庫から消えた。
そして次の瞬間、現れたのはその遥か上空。戦場さえも超えた蒼天に転移し、サハラは眼下へ目を向けながら顔を歪める。
「このタイミングで不調かよ……ッ!」
先のウリエル戦では使えていた次元翼が狂い、サハラはペダルを踏んで目標の《セラフィーネ》を目指す。あの時ほど天使化していないからか、それともユードら〈智人〉らの工作か。後者なら確かめる術も暇もない。サハラは目の前の弾幕に気を尖らせながら、己の天使の力を引き出し始める。
「……アラン……」
迫る戦場を前にして、不意に口をついて出る友の名前。
ちらりと先程までいた格納庫を除けば無残にも半壊し、あの巨大な瓦礫が空からでも確認できた。……あの下に、アランが。
「くそッ……!」
足は戦場に向いている。腕は武器を握り締めている。視線の先には、戦うべき強敵を捉えている。マオには「行け」と言われた。そしてそれを受け、今、飛んでいる。
それでも――それでも、サハラはまだ感情を引きずっていた。
どうして、どうして。もう尋ねることも出来ない疑問が今更自分の中で渦巻き始める。〈
そして。
どうして――どうして、アランは死ななきゃならなかったのか。
外から見ればただの不運だった。裏切り者の末路とも言えるかもしれない。それでも、サハラは何故死ななければいけなかったのかと自問していた。
「俺が……俺が……ッ!」
操縦桿を痛いほど握り締め、食いしばった歯が軋む。自分がどうしたら良かったのか。何が正解だったのか。自問が自責へと変わり始め、その髪が銀色へと完全に変わる。金眼の奥に、黒い炎が宿り始める。
どうしたらいい。俺は、どうしたらいい?
祈るように、虚空へ尋ねる。しかし、誰も答えはしなかった。東雲アシェラも、メタトロンも、夕靄アランも。……三人とも、もういない。
なら、どうしたらいい?
「――
ぎろり、と鋭い眼光で睨んだ先に見える青い、《セラフィーネ》。
白亜の機体に六枚三対の翼。金色の文様と、全身に装飾の如くあしらわれた百合。聖天機ながら確かに存在する口と、最も目を惹くは両肩から真横に突き出た巨大な青い百合の花。
そして、その奥に確かに感じる、無垢で邪悪な天使の笑み。
「――ガブリエルッ!」
感情に飲まれるな。突っ込み過ぎるな。……知ったことじゃない。サハラは大人たちの文句を頭から振り払う。
これ以上、誰も餌食にさせないためにも。
友への無念を、晴らすためにも。
サハラは全力でペダルを踏み込んだ。《アルヴァ》の翼が開き、青い尾を引いて空を切る。高速で敵へ接近した赤い機神は相手がこちらに気付くよりも早く、味方がその登場に気付くより早く――青い《セラフィーネ》を真下へ勢いそのまま殴り飛ばしていた。
『なッ……!』
シューマの声だったか。ガブリエルに応戦していた誰かが驚嘆する。まさに流星に激突された如く、ガブリエルは他の聖天機にもぶつかりながら吹き飛び、そしてこちらをゆっくりと見上げた。
『――
天から降ってきたサハラへ、まるで歓喜するように笑うガブリエル。そのよく通り爆ぜるような声と、頭の中を悪意で掻き回すような不快な響きに、サハラは黒い感情を露わにする。
「――俺は貴様を殺す。殺さねば気が済まない……!」
『――くく、かはははははは!』
向けられた殺意にすら、ガブリエルは愉しむように声を上げて笑う。サハラの殺意を書きたてるように、青い《セラフィーネ》の文様がぬるりぬるりと蠢く。
『――好い、好いぞ黎明の。イェーヴェにて邂逅して……くく、左様か。ウリエルを喰らった貴様は、そう変わるのか!』
其の貴様を待っていた! そう叫んだガブリエルが不意に呪光砲を撃ち放つ。その両の掌を向けられた瞬間、サハラは後ろに集まっていた仲間の下へ下がる。
『遅い!』
既に表出化の一端が見えつつあるタオの声に迎えられ、サハラはセイゴ隊及びルディ隊に合流する。
「悪い、タオ。現状は?」
『何も、ない! ……タオたちは完全に遊ばれてる……!』
『あぁ。壊れないように、壊さないように……まるで、お前を待ってたみたいだ。くそッ、嘗めやがって……!』
タオの言葉をシューマが継ぐ。その言葉には焦りと怒りが滲んでいた。サハラは損害がないことに安堵を覚えながらも、同時に焦る。《アルヴァ》と違って、堕天機には活動限界が存在する。多くても、あと半分。時間は掛けられなかった。
『《アルヴァ=セラフィーネ》! サハラか。無事だったんだな』
合流の際に回線が開き、管制から声が届く。春雷デオン。オペレーション特有のノイズにサハラは一瞬感傷を覚えながら、しかし振り切ってそれに応答する。
「あぁ。俺は俺で動ける。デオンは皆の支援を」
『任せてくれ。本職ではないが、努めてみせよう』
デオンからの指示が飛び始めて、五機の堕天機がそれぞれ武器を構え始める。そんな中、セイゴが静かな声色でサハラへ尋ねた。
『……アランと、マオは』
「――…………」
友の名前。サハラは再び浮上してくる青い《セラフィーネ》を強く睨みながら、それに答える。
「マオは無事です。……そして、俺は仇を討つ為にここにいます」
『……わかった』
シューマが何か言いたげにするが、セイゴの沈黙にそれ以上言葉は紡がない。そして何かを覚悟したように、《アステロード》二機の目が強く光る。
『――くく、かははは! 舞台は既に幕を開き、
まるで舞台のように、優美に青い《セラフィーネ》が翼を広げる。文様が金に輝く。《アルヴァ=セラフィーネ》の文様も呼応するように輝きを放ったその瞬間、トランペットは高らかにその名を告げた。
『《マイム》! 《マイム=セラフィーネ》! 蒼き大翼の名前だ!』
その声が響いたのは二つの隊の、真後ろ。次元翼を展開した青い《セラフィーネ》――《マイム=セラフィーネ》は掌を広げ、呪光砲で薙ぎ払う。しかし、黒い機体たちにその光は届かない。呪光の奔流は広く展開した《アルヴァ》の次元障によって阻まれていた。
『――くく、好いぞ黎明の! そうで無くては!』
「下がれ、此奴は俺に任せろ」
ガブリエルの狂喜を他所に、サハラは隊へ指示を飛ばす。相手は《セラフィーネ》。次元障も次元翼も持つ別格。並の堕天機では太刀打ち出来ようもない。
しかし、そう告げたにも関わらず一機として下がろうとはしなかった。次元障を展開する《アルヴァ》の横に、《デイゴーン》たちが進み出る。
『下がれ? ……嫌』
『コイツが嫌いなのは、お前だけじゃない。タオと、ハウもだ』
『そういうこと』
掌の呪光砲をガブリエルへ向けながら、ルディはそう続ける。その声色には、一歩も退却の気など感じられなかった。そして彼女は、いつものように不敵に笑う。
『アンタに言われた程度でアタシは退かない。だってアタシは――カトスキアのエース、星影ルディだからな!』
その台詞を合図にするように、堕天機たちが一斉に銃器を放った。実弾と光弾の壁がガブリエルの《マイム=セラフィーネ》に迫る。
『――是は、是は!』
『追うよ、サハラ!』
『――任せろッ!』
堕天機の一斉砲火。《マイム》は愉しむように、そして嘲るように文様を輝かせると上空へ飛び上がる。ルディの言葉に促されて、《デイゴーン》と《アルヴァ》がそれを追う。
《デイゴーン》を置いて、《アルヴァ》が翼を大きく開く。次元翼。チェイスを愉しむような《マイム》の前方で《アルヴァ》が剣を抜く。
「――貴様は、俺が殺すッ!」
閃く刃。《マイム》は予定調和のように次元障でそれを受けながら、察したような笑みを文様に浮かべた。
『――黎明の。……貴様、百合を
「――……ッ!」
百合。ガブリエルの薄ら笑いと共に、その言葉があの瓦礫を想起させる。サハラは再び燃え上がった黒い感情に任せてそのまま次元障を押し切らんと咆える。
「――貴様……貴様はァッ!」
『――くははははは! 黎明と云えど、所詮貴様も羽無しか!』
煽るように翼を開く《マイム》。一瞬の閃光の後、《アルヴァ》の刃は空を断ち、そしてガブリエルは追っていたルディ機の上に現れていた。
『――
《マイム》が朱槍を高々と構える。狙いは眼下のルディ機。しかし、狙われたルディはサハラへ向けたその言葉にも不敵に笑ってみせた。
『『『来ると思った!』』』
重なった三つの声。そして同時に、《マイム》は即座に現れた《デイゴーン》三機によって取り囲まれていた。罠にかかった獲物を睨むが如く、海獣たちがその爪を《マイム》へ向ける。
『次元翼……だっけ』
『ルディ隊に、同じ技は二度通じないッ!』
双子の威勢と共に、三機が一斉に組みかかる。半自動的に展開した次元障の中で、ガブリエルは感嘆と愉悦の声を漏らす。
『――成程! 流石は蛇と云わざるを得まい。未だに仮面の儘とは!』
『訳の分からないことをッ!』
ルディが咆え、次元障が《デイゴーン》たちの爪に引き裂かれんと閃光と火花を帯びる。寸前、というところでまた響く哄笑。
『――其れでは……蛇で無き者は失墜せよ!』
次元翼。消え入るような閃光を後にして、《マイム》はまた瞬時に移動する。再び現れたは、二機の《アステロード》――セイゴ隊の目前。新型ではない二機へ、《マイム》は無情にも瞬く間に掌で死を告げる。光を宿し始める呪光砲。しかし、《アステロード》たちは盾を構えることもなく、抗うようにアサルトライフルを《マイム》へ向けた。
『ルディ隊に同じ技は二度通じない……だったか? さすが新型は違うな』
皮肉るように、シューマがそう笑う。呪光砲が閃き、その奔流が二機を捉える直前セイゴが確かに言い放つ。
『だが、セイゴ隊も負けるつもりはない!』
放たれた光弾。それを再び阻むは、虹光の障壁。二機の《アステロード》の眼前に、次元障を展開した《アルヴァ》が黒翼を広げ立ち塞がる。
『――そう云う事だ……ッ!』
反撃。《アステロード》の銃弾が障壁の内側から《マイム》を捉える。呪光砲を次元障に切り替え、二つの次元障が衝突する。激しい虹色の光がコックピットのモニターを覆う。
『――黎明の、貴様覚醒したな! 其の黒き体躯、正しくルシファーを想起させる!』
「俺は俺だッ!」
咆哮と共に、《アルヴァ》のブースターが猛烈に燃える。烈火の如きパワーで《マイム》を押し始め、同時に次元障同士が干渉し、溶け合う。
『呪光の波長が重なる……今だサハラ!』
「おおおおおおおおッ!」
デオンの言葉通り、消える双方の次元障。その瞬間、《アルヴァ》の握り締めた拳が再び《マイム》の顔面を捉え、殴り飛ばしていた。
『――くく、好い。以前より格段に好いぞ、羽無し共……!』
ゆらり、と不気味に体勢を立て直す《マイム=セラフィーネ》。一見すれば不利にも見えるこの状況で、なおもガブリエルは愉悦と狂気に浸っていた。
堕天機の銃口が狙う中、《マイム》は天を仰ぐように手を広げる。そして、高らかに告げる。
『――其れでは……第二幕と参ろうか』
「第二幕……?」
その響きに、サハラは唐突に足に力が入った。天使の力が反応したのか――猛烈なまでの嫌な予感がサハラを襲った。
そしてそれは、意外な形で的中する。
『……二幕。それが合図。だよね……』
《マイム=セラフィーネ》を囲んでいた円陣が不意に欠ける。誘蛾灯に導かれる虫のように、ゆらり、とその機体は――《デイゴーン》が一機、《マイム》の隣に並ぶ。そこに戦意は、ない。
『……ちょっと、どういうことなの』
困惑と、そして威圧の声を漏らすルディ。彼女は問いかけるように、その異分子の名前を呼んだ。
『……ハウ』
《デイゴーン》の肩に刻まれた数字は、「Ⅲ」。パイロットは新型の双子の片割れ――五十嵐ハウ。
『……ねぇ、タオ』
ルディの呼びかけを無視して、ハウの《デイゴーン》はただまっすぐに自分の片割れであるタオ機を見つめる。海獣はその武骨な手を、「Ⅱ」と刻まれた同類へ伸ばす。それは異様な雰囲気で、タオ機が少しだけ後ろへ下がる。
『は、ハウ……?』
『答えてハウ!』
戸惑うタオと、怒号を上げるハウ。しかし、そんなものは見えていないように――片割れの言葉以外は聞こえていないように、ハウは優しい声色で微笑んだ。
『ねぇタオ。……おいでよ』
「……ッ!」
その声色。そしてその異変に――サハラは、青い百合の影をを見ていた。
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