第24話 メタトロン

 不気味なほど白く、塵一つない廊下をサハラは歩いていく。


「……!」


 後ろからデオンとアシェラがついてくるのがわかる。……と同時に廊下に足を踏み入れたときから、遠くで音叉が響くような小さい耳鳴りがしていた。


 すぐ目の前に、白い壁が見える。

 しかしサハラが近付くとそれは、音もなくその先の部屋を開いた。


「ここは……」


 そこは、研究室のような場所だった。

 大部屋の真ん中にガラスのような、こちらとあちらを隔てる壁がある。こちら側には計測器やよくわからない大仰な機械が多数据え付けられていた。

 そして何より衝撃的に映ったのは、ガラスを挟んだ『あちら側』。


「……っ!」

 サハラが息を飲む。


 そこにいたのは、まさに――天使だった。

 肩ほどまである銀髪。伏せられた眼から覗く金色。そして、背には白鳥のような一対の翼。

 中性的な容姿で、男女の区別はつかない。

 未来的でもあり、古代的でもある白い衣装を纏ったその人型は、ガラスの向こう側で半ば拘束されるように計器やコードを付けられていた。


「こいつ、は……!」

 サハラが目の前のものに困惑していた。


 これがなんなのか、こいつがなんなのかはわからない。……わからないが、サハラの脳裏には一つの『答え』が浮かびつつあった。いや、でも、まさか。


 戸惑い混乱するサハラへ、正体不明のそれの伏せられたその眼がゆっくりと開く。


「――…………」


 黄金の瞳がサハラをじぃっと見つめ、それは口を開いた。


「――矢張やはり、暁の残滓か」

「……っ!」


 やはり男とも女とも分からない声と共に、サハラは質の悪い頭痛にも似た、あの不快な響きを感じていた。それが意味するのは、つまり。


「お前やっぱり……天使か……!?」

「その通りだ」


 サハラの言葉に応じたのは、同じく部屋に入ってきたデオンだった。彼はアシェラと共にイヤホンのような機械を付ける。


「君の目の前にいるのは他でもない、我らの敵の天使そのものだよ」


 その表情は、時折見せる冗談を言うそれではない。

 つまり。


「これが、天使……」


 サハラは呆気にとられ、改めてその姿を見た。

 その姿は、まさに天使だった。宗教画やその他の絵画で見るような、天使のイメージそのままだった。

 先程一言話した天使は、再び沈黙したまま、しかしサハラを測るように見ている。


「でも、じゃあ何でこんなところに天使が」


 カトスキアでも最前線に位置する基地、テノーラン。

 その地下奥深くに、敵である天使を、何故隠しているのか。


「それは……彼が協力者だから」


 そう毅然と答えたのは、アシェラだった。


「協力者……!?」

 まさか、天使が?


 次々と事実を突きつけられ、混乱するサハラにアシェラが続けた。


「彼の名は、メタトロン。十一年前、カトスキアに『素体』と共に天使」

「投降した……!?」


 十一年前と言えば、『アズゼアルの昇天』よりも前。

 しかしそんな中で、天使が人類に投降したなんて話は、サハラは一度も聞いたことがなかった。


「その時は何が目的なのか我々も分からなかった。……が、天使の身柄が分析出来れば、我々としても突破口が見つかると考え、捕縛した」

 困ったら殺せばいいのだからね、とデオンが続ける。

「しかし彼は我々に様々なことをもたらした。最たるものが『素体』……なんらかの方法で活動を停止した聖天機だった」

「そしてその『素体』を基に開発したのが、《アズゼアル》よ」


 《アズゼアル》。十一年前に開発された、原始の堕天機。

 ……考えれば、不思議ではあった。アンゲロスではなく、聖天機を素体にした堕天機。ではその素体はどこから持ってきたのか。

 確かに、『天使が投降した』と考えれば合点もいく。


「でも、じゃあコイツの目的は一体」

「……それは私たちもまだわかってないの」


 サハラの疑問に、アシェラは低く答えた。


「わからない、って」

 どういうことだよ、と詰め寄ろうとするサハラをデオンが止める。

「まぁ、見ていなさい」


 デオンはそれだけ言うと、ガラスの向こう側のメタトロンへ呼び掛けた。


「君の目的を聞かせてほしい、メタトロン」


 しん、と部屋に静寂が降りる。

 ……しかし、メタトロンは目を伏せただけで全く応じはしなかった。

 デオンは肩を竦めると、サハラに説明する。


「……見ての通りだ。メタトロンは我々の質問には答えない。十一年前から、一度だって答えたことはない。先程の君への言葉のように、語るだけなのだよ」


 身勝手甚だしいがね、とデオンは再び機械の下へ戻った。


「ただ、質問に答えずとも彼がもたらした物は大きい。堕天機の開発も、我々が天使という存在を知るのも。そして最近で言えば、『楽園の蛇』計画も彼がヒントだ」


 機械を操作しながらそう語るデオンに、サハラは少し混乱していた。それでは、それではまるで……


「こいつがいなかったら、俺たちは戦えてないみたいな……!」


 サハラは混乱と同時に、怒りのような焦りを感じていた。

 結局自分たち人間では何も出来ていないじゃないか。その無力感が、目の前にいる未知を通して焦りに変わっていた。


 しかし。

「その通りよ」

 アシェラは否定しなかった。


「その通りって、母さん」

「そもそも『堕天機』という存在自体、聖天機ありきじゃない。異次元から来た天使という敵に対抗するには、私たち人類は敵の武器だってなんだって使ってでも、負ける訳にはいかない。……そうじゃないの?」


 機械を操作する手を止め、アシェラがサハラに向き直る。

 そこには、人として戦う科学者としての東雲アシェラが立っていた。


「サハラ、あんたの《アルヴァスレイド》と同じ。考えなきゃいけないのは『以前誰の力だったか』じゃなくて、『今誰の力か』でしょう?」

「『今誰の力か』……」


 その言葉はすとん、と胸に落ちてきた。

 自分に似た母の言葉だからか、不思議と焦りが静まる。


 アシェラはそんなサハラの様子を認めると、ヘッドギアのようなものをサハラに取り付けた。


「さて、サハラにはこれからメタトロンと会話してもらうわ」

「会話? でもさっき、質問には答えないって――」

「天使化が進む君なら、わからんだろう?」


 ニヤリと笑ったのはデオン。

 ヘッドセットを付け終わると、少し部屋の照明が絞られる。

 アシェラは何かに期待するような目でメタトロンを見つめた。


「彼はこれまで私たちを導いてきた。サハラのことも、あるいは」


 と、その時だった。


「――黎明の子よ」

「っ!」


 メタトロンが再び口を開いた。

 それは、カプセルで寝ていたとき耳元で感じた声。ここに来るときに聞いた声と全く同じだった。

 軽い不快感と、音叉のような耳鳴りが少し大きくなるのを感じながらサハラはメタトロンの言葉を聞く。

 彼は眼に仄暗い光を宿しながら、続けた。


「――貴様も同胞と成り果てるのか。第一の男と同じ轍を辿るのか」


 その意図するところを、サハラはすぐに気付いた。


「天使化の話か?」

「――理解せよ。無翼が呪光を纏えば、変化は必然だ」


 その眼はサハラを捉えてはいるが、会話は成立しない。メタトロンは淡々と続けた。


「――答えよ、黎明の子。貴様は何故、未だ叛逆の刃を振るう?」

「っ!」


 サハラが目を見開く。

 『叛逆の刃』……それはあの時、「声」が語った言葉だった。


「お前、この力が何なのか――」

「――答えよ」


 有無を言わせぬ強さだった。不快な響きが頭を跳ねる。サハラは少し顔を歪めながらも、答えた。


「それは……それは、どんな力でもこれは今は俺の力だからだ。どんな力だろうと、俺の力にして、俺は俺の戦うために使う」


 気付けば、直前に母に掛けられた言葉と同じだった。しかしこの言葉は母の受け売りではなく、《アルヴァスレイド》の名を冠したときに決めた自分の言葉だった。

 メタトロンが目を伏せる。


「――未だ理解出来ず。蛮勇、無謀。然し貴様もまた暁の残滓」


 メタトロンは再び顔を上げて、サハラに向かって言い放つ。


「――理解せよ。残滓と言えど暁は暁。翼は翼。人の身ではいずれ、激情に呑まれると知れ」

「メタトロン……お前、この力が何か知ってるんだな」


 サハラのそれは、確信だった。

 先程からメタトロンのそれはどこか忠告のようだった。あるいは、観察のような。どちらにしろサハラは、メタトロンが何かを知っていることを確信した。


「――……」


 一瞬、メタトロンは黙る。

 しかし次に語り出すときには、眼の金色はより一層強く輝いていた。


「――如何いかにも」

「質問に答えた!?」


 デオンが驚きの声を上げた。メタトロンはサハラを強く見つめ、続ける。


「――理解せよ。其は大天使の翼」

「大天使……」


 サハラが反芻する。体の奥が不思議と熱くなってくるのを感じた。音叉のような耳鳴りも大きくなる。不思議と、不快な響きは小さくなっていた。


かつて最も輝き、そむき堕ちた者。我が主にして、黒き翼を持つ者」

「黒い……翼!」


 サハラの脳裏にあの夢が蘇る。

 黒い翼の男。傷だらけの体。差し出された手。体の芯が熱くなり、何かが浮かび上がってくる感覚を覚える。

 その名前を、メタトロンは告げた。


「――其の名はルシファー」


 サハラは胸の奥で何かが灯ったのを感じた。


「ルシファー……」


 名前を口に出してみる。どくん、と何かが脈を打った気がした。体が更に熱を帯びる。耳鳴りが大きくなる。

 そうか、黒い翼の男の名前は……ルシファー。

 と、同時にもう一つの夢も脳裏に浮かび上がってくる。

 ルシファーが、三人の天使に囲まれたあの場面。


「――其の三人もまた、大いなる翼」


 まるでサハラの脳内を読んだかのようなメタトロンの台詞。サハラの金色の瞳を覗きながら、メタトロンは続けた。


「ミカエル。ラファエル。ガブリエル。叛逆の刃で在る為らば、大いなる翼はいずれ討たねば成らず。の成れ果てた翼も、また

「大いなる翼……大天使……!」


 耳鳴りがどんどん大きくなっていく。体全体が熱くなり、サハラが何かを口にしようとした――その時。


「そこまでよサハラ!」


 アシェラが唐突に叫んだ。途端、絞られていた照明が戻り部屋にはアラートが鳴り響いていたことにサハラは気付いた。


「共鳴反応が強すぎる! 呪光反応まで出始めたわ」

「虹彩反応が出ている。やはり長時間の対話は難しいか」


 ヘッドセットの何かが起動した音と共に、サハラは急激に我に返るのを感じた。


「……!」


 一気に冷水をかけられたような寒気と共に、先程まで感じていた興奮が『自分のものではない』ような感覚に陥る。確かに自分に起きていたことなのだが、どこか、別の感情だったような。


「……今回はここまでになるわね」


 サハラからヘッドセットを外し、アシェラはそう告げた。


「リェスタに戻って浄化しないと。……まさか、ここまで強い呪光反応まで出るなんて、ね」

「あぁ。いずれにしても、今回は大きな成果だ」


 そこまで言うと、アシェラとデオンはサハラに出ることを促した。

 しかし、サハラは少し立ち止まる。


「サハラ?」


 アシェラの問いかけを半ば無視するサハラ。その目は再び黙り込んだメタトロンを見ていた。その姿は、サハラが入ってきたときと変わらないように見える。

 しかし、サハラが彼を見る感情はこの数分で大きく変わっていた。サハラが純粋に、問いかける。


「メタトロン。お前は……お前は一体、何者なんだ?」


 しん、と部屋に静寂が降りる。

 メタトロンの目は伏せられたままだ。


「……」


 しかし、彼はそのまま口を開いた。


「――観測者。まみえるだろう、黎明の子よ」


 それだけ小さく語ると、メタトロンはまた黙り込んだ。サハラはその様子から、もう今語ることはないのだと悟る。


「……あぁ」


 サハラは確かに頷くと、アシェラ、デオンと共に部屋を出た。

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