第七章 侵攻の砦
第25話 智人
「……!」
メタトロンとの邂逅から数日。
サハラは毎日のようにその言葉を思い出していた。
天使の口から聞かされた、呆気ないほどの裏側。
黒い裏切りの天使、ルシファー。
「……!」
しかし、ベッドに腰掛けて己の掌を見つめるサハラの頭の中にあったのは、ルシファーのことではなかった。
「ガブリエル、ラファエル、ミカエル……!」
メタトロンが名前を挙げた、三人の大天使。
サハラは同時に、かつてユデック基地で見た夢を思い出す。
トランペットのつんざくような声の天使。
カリヨンの響くような声の天使。
そして、オルガンのように荘厳な声の天使。
「あれが、大天使」
サハラはメタトロンの話していた者たちが、あの日夢で見た三人だということを確信していた。
「俺が、倒すべき敵……!」
ぎり、と拳を強く握り締める。
大天使という名前。夢で見た玉座。そして夢でのルシファーの言葉を考えればあの三人が少なくとも上位の存在であることは確かだった。
新たな敵を見定めたサハラは「それだけじゃない」と続ける。
「ウリエル……!」
ユデック基地を半壊させ、サハラたちセイゴ隊を蹂躙した天使。メタトロンの口からその名前は出てこなかったが、しかしサハラが倒すべき相手であることは変わりなかった。
「母さんやデオンは『また謎が増えた』とか言ってたが……」
サハラは不敵に笑ってみせる。
「倒すべき相手がはっきりしたんだ。俺にとってはこの方がやりやすい」
考えることは考えるのが得意なヤツがやればいい。俺は倒すべき敵を俺が倒す――サハラは現状をひどくシンプルに捉えていた。
「……さて」
サハラは気持ちを新たに立ち上がった。
目標が分かれば後は動くだけだ。
「おっちゃんかユードにアルヴァの調整でも――」
そこでサハラの言葉が止まる。
いまサハラのいる自室には他に誰がいるわけでもない。しかしサハラの耳は、遠くで音叉のなるような耳鳴りを感じていた。
……この感じは……!
サハラは半分賭けに思いながらも、誰もいない虚空に小さく尋ねた。
「……メタトロンか」
『――
どこからか、頭の内に響くような声がする。
少し不快な響きと、全く抑揚のない声。サハラはその主がこの基地の奥深くに幽閉された天使、メタトロンであることを確信した。
「わざわざお前から話し掛けてくるなんて、どうした?」
純粋な疑問をサハラは口にする。
しかしメタトロンは相変わらず質問には答えない。
『――百合が咲き始める』
「……なんだって?」
メタトロンの口から出た、まるで時節の挨拶のような言葉にサハラは思わず聞き返す。
『――蒼き百合だ』
「おい、お前ちょっと」
『――歓喜の百合であり、忍び寄る毒だ。其れは間違いなく貴様らを蝕んでいる』
「……待て、何の話だメタトロン」
最初は全く掴めない話だったが、メタトロンの言葉に嫌なもを感じてサハラは聞き返す。
『――……』
しかしメタトロンは沈黙を守っていた。これ以上は出過ぎた真似だと自分で語るような沈黙だった。
沈黙ながら、不快な響きと音叉の耳鳴りからサハラはまだメタトロンと繋がっていることを悟る。改めて、問いかけた。
「それは何の話だ、母さんなら知ってるのか?」
『――待て、暁の残滓』
サハラの言葉に、メタトロンが突然強く制止をかける。
『――此の会話は秘匿せよ。何者にも口外するな』
それは強い否定だった。誰にも話すな、というメタトロンの意志が伝わってきて、サハラはよくわからないながらも頷く。
「……わかった。誰にも話さねぇ」
言いながらサハラはもう一度部屋を見回す。
……まさかとは思うが、盗み聞きなんてされてないよな。
少し不安になりながらも、確認する術もない。時間があれば確認は出来るが、メタトロンから話し掛けて来たこの偶然を逃すのは惜しかった。
「続けてくれ」
サハラは少し声をひそめながらメタトロンを促した。
メタトロンは元の語気に戻って続ける。
『――其は見えぬ敵。音の無い刃。獅子を殺す蟲。其の躰には
「くそ、相変わらずわかんねぇけど……」
でも、その言葉選びからサハラはなんとなく嫌な予感だけがしていた。何かこう、知らない敵の情報を諭されているような。
『――黎明の子よ、心せよ。その名は〈
それだけを言い残すと、脳内に響いていた不快感は少しずつ薄れ、また音叉の耳鳴りも収まっていく。
「おい、待て!」
サハラは思わず虚空に叫んだが、その時には既にメタトロンの声は聞こえなくなっていた。
よくわからないわだかまりだけが残って、サハラは再びベッドに腰を下ろす。
「〈
メタトロンが最後に残した言葉を、しかめっ面で繰り返す。
聞いたことのない響きだった。でも、なんとなく嫌な予感がする。
微かにざわつく心に、サハラはアシェラの研究室へ行こうと考えた。
もしかしたら母さんなら何か……いや、母さんが知らなくても母さんと一緒ならメタトロンにまた……。
「いや、ダメだ」
サハラは歩き出そうとしていた足を止めた。
メタトロンは口外するなと言っていた。サハラにはそれが何か、大事なことであるように思えていた。
「〈
サハラは少しだけ考えようとしたが、しかしそれは来客を告げるノックで阻止される。
誰だろう。
サハラは先程のメタトロンの会話から、少し警戒しながら扉に近付く。いつでも飛び退けるように腰を据えながら、扉を開けた。
「よっ! ……どうしたサハラ」
「アランか……」
そこにいたのは見知った顔。
サハラは無駄な警戒だったと安堵して、アランを招き入れた。
「お前どうしたんだよ、さっき扉開けたとき怖かったぞ?」
まるで自分の部屋のようにベッドへ腰かけながら、アランが尋ねる。
「あぁ、実はな……」
サハラはそこまで話しかけて、どう説明したものか迷った。
メタトロンとの話はもちろん秘密にしたいが、そもそも彼の存在は普通のカトスキア職員は知らない。
不味い、とサハラは思って咄嗟に誤魔化した。
「そろそろ朝霧が見回りに来るからな、警戒してたんだ」
「はーん……」
なるほど、というアランの顔。しかしその瞳は何かを探るようにも見える。
サハラは仲のいい友人を誤魔化したことに少しの後ろめたさを覚えながら、探られる前に話題を変えた。
「そう言えばアランは何の用だよ」
「あぁ、そうそう」
怪しげな瞳を向けていたアランだったが、自分の用事を思い出したらしく、ニヤリと笑った。
「お前『楽園の蛇』計画って知ってるか?」
「知ってるも何も……」
サハラは何を今更、と呆れた。
母・東雲アシェラと春雷デオンが加わっている『楽園の蛇』計画。
それは呪光を操る技術を向上させ、今まで防戦一方だった戦況を覆すべく始まったカトスキアの新たな道だ。
ルディやユードはその一員であり、新型堕天機である《デイゴーン》はその成果物の一つである。
サハラが知っていることを伝えると、アランは少し詰まらなさそうにした後に、「でも」と続けた。
「これは知らねぇだろ。……ルディみたいな『楽園の蛇』計画のパイロットも《デイゴーン》みたいに新型って呼ばれるんだけど、また新型が戦線に加わるらしい」
「新型、か」
サハラはどこか納得するようにその話を聞いていた。
今まで会った新型はルディ一人だ。でも計画の大きさや《デイゴーン》のことを考えると、他にパイロットが居ても全然おかしくはなかった。
「んで、話はここからなんだが――」
アランが手袋をした右手を握り締め、何かを言おうとしたが。
「それはアタシの話だから」
突如割って入った声にサハラとアランは驚き、その方向を見る。サハラの部屋の入口。そこには話題に上がっていた星影ルディの姿があった。
「ルディ! ……ってアランお前、閉めなかったのかよ」
「悪い。お前が閉めたと思ってた」
話を邪魔された男性陣が顔を見合わせていると、ルディは入り口からそのまま告げる。
「でもちょうど良かった。……セイゴとアシェラが呼んでる」
「呼んでる?」
アランが聞き返すと、ルディはドヤ顔で返した。
「さっきまで話してた『新型』が到着したの。顔合わせ、だってよ。おまけもいるみたい」
それだけ言って去ったルディの背中に、アランが立ち上がる。
「ちょうどいいタイミングじゃねーの! 行くぞ、サハラ」
「お、おう。……おまけ?」
足早に出ていくアランに腕を取られながら、サハラはその後を歩き始めた。
会議室のような広い空間。
ルディからなんとか聞いたそこには、セイゴ隊の面々とアシェラ、デオン、そして朝霧の姿があった。
「おっ、来たわね」
最後に来たアランとサハラの姿を見て、アシェラがニヤリと笑う。彼女は全員の顔を見渡すと、朗々と語り始めた。
「今回集まってもらったのは、隊の再編成にも関わるからなんだけど……そういうことよね、朝霧くん?」
「ええ。雪暗セイゴ始め、セイゴ隊に集まってもらったのはそういうことだ」
並んで説明を始めたアシェラと朝霧。しかしサハラはその後ろに、見慣れない人影を見つけていた。
ちょうどアシェラの後ろほどに、二人。そしてその二人は双子だろうか、よく似ていた。
少し幼く見えるところを見ると、年は十五、六辺りだろうか。後ろ髪は肩に届くほどの姫カットで、その髪色はグレー。背丈も変わらず、顔も中性的。違うのは眼の色くらいで、片方は薄い桃色、そして片方は黒い瞳だった。
よく似た二人。しかし、その区別は簡単そうだった。
同じような顔のつくりをしていたが、表情が全く違うのである。桃色の瞳の方は伏し目がちでなのに対し、黒い瞳の方は常に怒っているかのようだった。性格は全く違うのかもしれない。
また、黒い瞳の方だけが右目に眼帯をしていた。見分けはそれだけでも十分か。
「それに……」
サハラはもう一つ、気になっていた。
それは双子の方ではなく、朝霧の後ろ。そこにもう一つ、人影があるのだが……よく見えない。完全に朝霧の陰に隠れていた。
「――ちょっとサハラ、聞いてた?」
と、そこでサハラはアシェラに睨まれていることに気付いた。
……聞いていなかった。
サハラは負けを認めるようで気に食わず、自分が聞いていなかったことを口にしなかったが実の母にはお見通しだったようで、
「……じゃあ改めて簡単にまとめるけど」
と強く睨まれることになった。
「今回、『楽園の蛇』計画の新型パイロット二人がこのテノーラン基地に配属になったのだけど、それによってセイゴ隊が再編成されます。はい、後は朝霧くんよろしく」
前置きを簡単にアシェラが話すと、朝霧もサハラを睨みながらその言葉を継いだ。
「再編成と言っても解体ではない。加わった新型パイロットが星影ルディの部下という形になる。つまり、ルディ隊とセイゴ隊で連隊を組むことになるわけだ。隊としては別々だが、行動は共にすることが多いだろう。……以上だ、わかったか東雲サハラ」
「……あぁ」
名指しされたサハラは小さく頷く。
……要するに、ルディ隊とセイゴ隊に分かれるということらしい。
サハラが理解したことを表情から悟ったのだろう、アシェラは身をずらして後ろの二人を見せた。
「では紹介しようか。『楽園の蛇』計画の新型パイロットの二人だ。……ハウ、タオ、自己紹介を」
アシェラに前を行くように進められ、二人は揃って前に出る。……こうして見ると、『よく似ているが全く似ていない』という不思議な感想を抱くようだった。
「……」
「ハウ、ほら」
桃色の目の方が俯いていたが、黒い目の方に急かされておずおずと口を開いた。
「……
ハウ、と名乗った声は非常に可愛らしいものだった。中性的な顔だが、スタイルがややふっくらしているところを見ると女性……だろうか。
続けて、黒目に眼帯の方が挨拶をする。
「五十嵐 タオ。よろしく」
こちらは少し低い声でのぶっきらぼうな挨拶だった。顔は似ているものの、ハウとは対照的で締まった体つきをしている。
二人の簡素な挨拶を聞いて、アシェラはその頭をよしよしと撫でる。
「見ての通り、ハウとタオは双子だ。ちなみにどちらも女の子。タオの方はこんなんだけどね」
「うるさい。余計なこと言うな」
べし、とタオがアシェラの手を跳ね除ける。アシェラは「つれないなぁ」と愚痴りながら、ルディに声を掛けた。
「二人の世話はルディに頼むよ。顔見知りだろうし、構わないでしょ?」
「もちろん」
ルディはお得意のドヤ顔で請け負った。
「アタシを誰だと思ってるの?」
「『楽園の蛇』計画のエース、星影ルディだねぇ」
「そういうこと!」
扱いが慣れているようで、デオンが上手く流すとルディは満足げに頷いた。
そんな中。
サハラはさっきから眼帯の方――タオに鋭い視線を投げられていることを感じていた。
目が逢う。タオは隻眼でサハラを更に睨むとつかつかと歩み寄ってきた。
「お前が東雲サハラか」
「……あぁ」
サハラとタオは身長差がニ十センチ近くあるため、自然とタオがサハラを見上げる形になる。しかしその上目遣いは全く可愛らしいものではなかった。
すると、タオはサハラの予想外の言葉を吐いた。
「お前、さっきハウのこと睨んでただろ」
「!?」
有無を言わせぬ口調だったが、サハラはもちろん睨んでなどいない。観察はしていたが。
しかしタオは問答無用といった具合に問い詰めてくる。
「ハウのこと虐めるならタオが許さないからな」
「タオ、いいよ……」
もう少しでサハラを掴まんというところで、おずおずと出て来たハウがタオの袖を引く。
「ハウはタオがいればいいから……」
「……わかった」
……どうやら助かったらしい。
サハラはこの双子のペースがいまいち掴めない初対面となった。その様子を見ていたアシェラが楽しそうに笑う。
「サハラってば、新型パイロットに好かれるんだね」
「そうか……?」
まぁ似た者同士かもしれない。
『好かれる』という単語には少し難色を示しながらも納得するサハラだったが、そこでアシェラは思い出したように告げる。
「そうだ。もう一人、紹介しなきゃだったね朝霧くん」
「ええ」
アシェラが問うと、朝霧が相変わらず淡々と継いだ。
「セイゴ隊とルディ隊は戦闘時も協力して貰う。しかし、管制を夕靄アラン一人に任せる訳にはいかない」
「……まぁ、オレもさすがに六人いっぺんにはね」
じろり、と朝霧に見られてそう零すアラン。朝霧は仕切り直して続ける。
「という訳で、ルディ隊側に新しくオペレーターが配属される。もちろん、戦況によってはセイゴ隊のオペレーションも行うだろう。……では、自己紹介を」
簡単に説明をすると、朝霧は自分の後ろに隠れていた人物を前に引き出した。
その姿が見えた途端、サハラとアラン、そしてシューマは息を飲んだ。
「……っ!」
セイゴは知っていたのか、いつもと同じ――よりは少し柔らかい表情をしていた。アシェラはどうだ、と言わんばかりの満足顔。
そして三人が『驚き』を漏らす視線の先には、茶色いボブカットに少し低めの身長の女性。そして眩しく光る白い左腕。
「お前っ……!」
サハラがその左腕を見間違うはずはなかった。サハラが驚きに絶句していると、彼女は口を開く。
「では。……これからルディ隊、並びにセイゴ隊のオペレーターを担当します」
女性は束の間柔らかく微笑むと、キリッとした表情でサハラたちを見据えた。
「――小春日マオ、です。……よろしく」
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