第50話 開かれし虚空
いつか、サハラはセイゴに言われたことがある。『エースのつもりか』と。手に入れた《アルヴァ》の力に酔っていたサハラの目を覚ませた言葉だ。
今は、サハラには自分はエースだという自覚があった。それは奢りから来るものではなくて、自信と誇りだった。エースが何か、ルディの姿からそれを感じ、今は自分のものとして持っていた。
力を持つ自分は、力を持つ敵と相対する。それはサハラにとってエースとしての仕事であり、天使の力を手に入れた自分の責任のようなもの。大天使との戦いはまさにそうだった。
しかし、決戦はそうではない。
「でも、大天使は俺が……!」
「あぁ。今まではそうだった。しかし、君には仕事がある。こちらは君以外には不可能な以上、大天使は他の者が相手取る他はない」
机に大きく広げた地図を眺めながら、朝霧はあくまで淡々と告げる。
「東雲サハラ。君を除けば、大天使との交戦経験があるのはセイゴ隊のメンバーだけだ。故に、大天使はセイゴ隊が対応する」
その言葉は至極もっともだった。サハラは驚きのまま一歩後ずさるが、しかし俯いて沈黙する。
大天使――《セラフィーネ》と、堕天機の戦力差は大きい。それは新型である《デイゴーン》であっても届かない差だと、サハラは感じていた。
「確かに、今まで大天使はアンタに頼ってきたよ。サハラ」
重苦しい沈黙を破ったのはルディだった。彼女はそっと眼帯を撫でる。その言葉にいつもの勢いこそなかったが、しかし熱い何かを秘めていた。
「ウリエル、ガブリエル。二人とも、サハラが倒した。それは、事実だ。確かに、ただの堕天機じゃあ難しいかもしれない。ただのパイロットじゃあ難しいかもしれない。そんなこと、アタシだって、マイトだってわかってる」
でも。
ルディはそこで大きく息を吸うと、いつものように胸を張ってみせた。その眼に確かな闘志を燃やして。
「アタシはエース、星影ルディ! たとえ大天使だろうとアンタの《アルヴァ=セラフィーネ》だろうと負ける気はない。アタシにだって『力』がないわけじゃないし……今のアタシは一人じゃないからさ」
自信満々にそう言ったルディがやはりエースだということをサハラは痛感する。彼女は鼻息荒くもう一度ドヤ顔をキメると、今度は残り二人のパイロットへと言い放つ。
「で? アンタらはどうなのさ」
問われたシューマが、天井を仰ぐ。彼は何かを考えているようだったが、下した拳を小さく握ると、口を開いた。
「……俺はさ、変わりたいんだよ」
そこにいるのはいつもの飄々とした青年ではなく、確固とした意志を握り締めた青年だった。シューマは天井を見つめながら続ける。
「サドキエル。ハシウマル。ウリエル。……サハラが天使の力を使うようになってから、俺はサハラのアシストしか出来てない自分が嫌だった。……だから、俺は変わるんだよ」
シューマはちらりとサハラの顔を見ると、ルディへと言い返した。
「俺はやってやる。そのための《デイゴーン》。そのために、俺は新型に加わったんだからな」
シューマへとルディは満足げに頷き、そのまま最後に残ったセイゴへ向く。セイゴはしていた腕組みをほどくと、サハラの肩に手を置いた。
「なぁサハラ。……お前は、俺たちを信じられないか。俺と、シューマと、ルディを」
「そういう訳じゃ……!」
「いや、それだけでいい。信じられるか。大天使を任せられるか。それだけ答えろ」
戦力の差を口にしようとしたサハラの言葉をセイゴは遮る。サハラはその言葉を受けて、三人の顔を見る。自信に満ちたルディ。闘志を宿したシューマ。そして、セイゴ。直接戦場に出るわけではないマオやデオン、朝霧も含めてそこにいるのは信用に足る仲間たちだった。
そしてサハラは不思議と、彼らが大天使に負けるとは思わなかった。それを自覚して、セイゴへと応える。
「……任せられる。信じられる、仲間だ」
「じゃあ任せろ」
セイゴはそれだけ告げると、また腕を組んだ。彼にとってはそれで十分だった。
「決まりですな」
それを見て、満足げにデオンがそう頷く。マオの表情もこわばってこそいたが、それは仲間を信用していない訳ではなかった。各人の表情を確認すると、朝霧が今度はサハラへと顔を向ける。
「では東雲サハラ。君の仕事を告げよう。それは、
「舟の……破壊?」
「私が説明しよう」
聞き返したサハラへ、デオンが前に出て何か資料を広げた。そこには箱舟のような図が描かれている。
「サハラから聞いた話と、観測データを基に仮定したイェーヴェの予想図だ。天使たちが次元の
全員の顔を見回すデオン。それぞれが承知しているのを確認すると「続けよう」と説明を始めた。
「我々の仮説だが、その『次元の
思わず熱を帯びようとしたデオンの口調だったが、隣のルディに小突かれて眼鏡を直し、話を元に戻す。
「……つまるところ、舟を破壊してしまえば次元の
「人類の、勝ちになる……!」
「そういうことだ」
マオの呟きに、デオンはウインクで応える。そして続けたデオンに寄れば、舟にはどこか動力部――すなわち心臓があるはずであり、サハラの任務はその破壊だった。
「簡単に言えば、サハラ、キミの仕事は『王手』だ。『チェックメイト』でもいい。テレビゲームの対戦で勝てないから相手のゲーム機の電源を落とす――そういう任務なんだ」
まぁ問題は相手が次のラウンドで本気を出して来ることなんだがね――とデオンは自嘲する。しかし、その例えも含めてサハラは自分の仕事を自覚する。例えセイゴ隊の大天使戦がどうなろうと、サハラが自分の仕事を全うすれば全てを終わらせられる可能性があるのだ。
「わかったけど、なんで俺じゃなきゃいけないんだ?」
「……東雲サハラ。全く分かっていないな。君でなければいけない理由は二つ」
サハラは疑問符を浮かべ、呆れたように朝霧は眉間を抑えた。
「まず、場所がイェーヴェであること。君自身が語っていただろう。尋常ではない呪光濃度だと。そんな場所に一般のパイロットを送り込めるか?」
「いや、無理だな……」
ウリエルと共に舟へ入ったときのことを思い出す。半分天使化していたサハラの天使化さえも促すあの空間。完全に天使の力と同化した今のサハラならば影響は少ないかもしれないが、通常のパイロットでは秒で天使化、もしくは灰化するのは明らかだった。
「そういうことだ。それに天使側が全戦力を投入するとは限らない。舟内での戦闘も多いにあり得るだろう」
朝霧は簡単にそう付け加え、二つ目の理由を話す。
「もう一つだが……肝心の動力部の場所を我々は知らない」
「……えっ?」
「はははははははは!」
作戦の前提をひっくり返すような言葉に、サハラは呆気にとられる。じゃあ、どうしたらいいんだ俺は。呆然とするサハラを見て、デオンが笑ってしまう。
「いやぁ申し訳ない! こんなに少ないデータでは舟の内部構造すらサッパリだ! ははは!」
「そ、そりゃそうだよな……」
当然と言えば当然だった。未知の存在の内部構造を外聞と次元の
「そこでお前の能力だ、東雲サハラ。お前、呪光を感知できるだろう? 舟の動力というくらいだ、巨大なアンゲロスが存在するだろう」
「……あぁ! つまり、デカい反応の方へ行けば俺は自然と動力部に行ける!」
「そういうことだ。そこも含めて、お前以外には対応しようがない」
サハラの中で任務の構築が完成する。開いた巨大な『門』から《アルヴァ》で舟の内部に入り、巨大な呪光反応を追って、その先にあるはずの舟の動力を破壊する。任務内容を理解して、サハラは一人で頷く。大丈夫だ、特別難しいことはない。やれる。
しかし、その様子を見て、デオンが苦言を呈した。
「サハラ、一見簡単なように見えるが……この任務の最も難しいのは、破壊した後だ」
「破壊した……後?」
デオンは模式図を見下ろしながら、難しい表情でそれを伝える。
「動力を破壊すれば、当然門が閉じる。サハラ、君にはその間にこちらへ戻って貰わねばならない」
「……戻れなかったら?」
誰かの喉が鳴る。サハラは意を決してそう尋ねた。
「次元の狭間を永久に彷徨う、或いは――いや。単純に言おう。もう二度と地上には戻って来られなくなる。あぁ、二度とだ。我々にも門の収縮スピードは予想できない。《アルヴァ》の次元翼をフル回転させても間に合うかどうかは定かではない。……我々は、そういう仕事を今君に頼んでいるんだ」
成功すれば、この戦争を終わらせることが出来る。しかし、その代償として自分は二度と地上へ帰れないかもしれない。その事実を突きつけられ、サハラは先程まで感じていた自信が揺らぐ。少し不安を感じて、周りを見渡した。
マオは不安げに見つめている。デオンは真剣な表情で問うている。セイゴは目をとじて腕を組み、ルディは試すように、シューマは信じるようにこちらを見つめていた。
その時、朝霧が口を開いた。
「東雲サハラはどうする?」
「俺は……」
東雲サハラはどうするか。東雲サハラなら、俺なら、どうするか。それを意識した途端、サハラの中から不安が消えて、闘志の火が
「俺は、やる。やってやるよ。脱出が出来るとか出来ないとかじゃねぇ、やってやる。……ただし」
「……ただし?」
朝霧が眉をひそめる。サハラは構わず、いつもの様子で正面からその条件を提示した。
「残る大天使は二人。そのうち、男の方――ミカエルは俺が倒す。それが条件だ」
「おい、話を聞いていたのか? 大天使は――」
「わかってる。だけど、あいつは俺がやる」
サハラはいつか見た夢と、舟の中での邂逅を思い出す。天使たちを総べる大天使、ミカエル。その姿を思い出すと、不思議とサハラは自分の手で倒さねばならないような気がしていた。ルシファーの残滓がそうさせるのかもしれないが、サハラ自身そう思っていた。
我が強く、サハラの目の光は意見を曲げる気はさらさらない。それを覗きこみながら、朝霧は再び問う。
「本気か」
「あぁ。ミカエルは俺が倒す。俺が倒す必要があるって、この胸が言ってる。当然、舟も破壊する。全部やって――全部やり遂げて、戻ってきてやるよ。それが東雲サハラの答えだ」
「……やれるのか」
「やれるとかやれないとかじゃない。俺はやるッ!」
サハラの表情に、朝霧は天を仰ぐ。堅物の彼が思い出すのは、《アルヴァ》の初出撃。謹慎を受けていたのに、この青年は飛び出していった。毎度毎度、聞かない。無茶をする。そして――無茶を通して来た。それが、目の前にいる東雲サハラという男だった。朝霧マイトは手元の資料を描き直しながら、渋々頷いた。
「……実に東雲サハラらしい答えだ」
「だろ?」
「では、セイゴ隊の作戦会議は以上だ。決戦は門が開き次第。各自、それまでに己の出来ることをやっておけ」
月高い深夜。金色の三日月は傾き、もう数時間もすれば空が白む。空を覆う冷たい静寂の中、それは姿を現した。
虹色の光が魔法陣のように天空に浮かび上がる。地表を見下ろすように現れたその魔法陣は、月光を呑むようにして、虚空へと繋がる。
天に現れた巨大な虚空。そしてその中から、徐々に、白い機体らが現れる。
黒の足なき天使――第Ⅷ位聖天機、《エンジェ》。
橙の貌なき天使――第Ⅶ位聖天機、《アルケン》。
緑の盾ある天使――第Ⅵ位聖天機、《エクスシア》。
青の銃ある天使――第Ⅴ位聖天機、《ヴァーティス》。
赤の剣ある天使――第Ⅳ位聖天機、《ドミニア》。
紫の巨大な天使――第Ⅲ位聖天機、《ガルガリン》。
銀の騎士たる天使――第Ⅱ位聖天機、《ヘルヴィム》。
無数の聖天機が、夥しい数の文様を浮かべながら音もなく地上へと現れる。小型の《エンジェ》はもちろん、巨大な《ガルガリン》も数機現れる。まるで無尽蔵のように吐き出され続けるそれの中に、一つ、現れる圧倒的な翼。
六枚三対の翼。全身に走る文様の色は金色。騎士のような《ヘルヴィム》に護られるように現れたそれには足がなく、代わりに黄色をしたスカートのような形状が見られた。上半身以上の大きさを誇るスカートから虹色の光を零しつつ、その機体は天を仰ぐ。
天を覆っていく白い翼たちに、カトスキア第一基地テノーランの司令室は騒然となっていた。オペレーターや職員の声が飛び交う中で、朝霧マイトは覚悟したように巨大モニターを見上げる。駆けて来たデオンがその隣に並ぶ。
「いよいよだ、春雷デオン博士」
「確かに予想はしていたが……実際に見せられると本当にこの世の終わりのようですな。『黙示録』、とはガブリエルもよく言ったものだ」
「ああ。だが我々も、滅ぼされる気は毛頭ない」
「もちろん。古代の信心深い人類ならいざ知らず……我々は悪魔の名を用いて、その白き終末を打ち破るのです」
『シューマ、調子は大丈夫?』
『あぁ。心配するな、マオ』
警報と轟音の響く格納庫。仲間の通信を聞きながら、サハラはコックピットの端に灰の詰まった小瓶を置く。いよいよ、この時が来た。サハラは小瓶を見つめながら、深呼吸をする。
『おや、サハラ深呼吸かい? 珍しいね。ビビってる?』
「ルディだって深呼吸くらいするだろ。ビビってねぇよ、俺はセイゴ隊のエースだぞ」
『待った、アタシもエースなんだけど!?』
『おうおう、うちにはエースが二人もいて頼もしい限りだ』
『サハラ、ルディ、シューマ。もうすぐ出撃だ。落ち着け』
通信越しに届くいつもの仲間の声に、サハラはそれらを頼もしく思う。激戦になるかもしれない。でも、大丈夫な気がしていた。俺たちは、いつも通り大丈夫だ。いつだって、どんなピンチだって切り抜けて来た。
「あぁ、いつも通りやってやるだけだ」
操縦桿を握り締めて、胸の奥に炎を灯すイメージ。体が芯から熱くなって、髪の色と目の色が変わるのが分かる。天使の力を、全部使って、勝つ。
少し浮足立った、しかしいつもと変わらないセイゴ隊の通信に、マオの声が再び届く。
『こちら管制。セイゴ隊各機、準備はいいですか』
『セイゴ機、完了』
『シューマ機、オーケイだ』
「サハラ機、いつでもいける!」
『ルディ機、任せな!』
『では各機、発進シークエンスに移ります!』
マオの管制に従って、《アステロード》、《デイゴーン》、そして《アルヴァ》がその双眸に光りを宿し、足を進め始める。一歩ごとにコックピットが揺れて、その足音が格納庫中に響く。並び順はセイゴ機、シューマ機が続き、先にルディ機、そして別の格納庫から合流したサハラ機が続く。
警告灯が《アルヴァ》の四肢を赤く照らす。全天周モニターを少し顧みれば、小さくこちらを見つめる人影。整備班である残夜ゴロウも、同じセイゴ隊の仲間だ。その視線を熱く感じて、サハラは前に向き直る。
マオの通信に従って、《アルヴァ》の足をカタパルトに乗せる。開いた先は、闇夜を覆いつくす文様と白翼の群れ。その圧倒的な物量を前にして、サハラは不敵に笑う。
「上等じゃねぇか……!」
『本当サハラ、変わらないんだから……』
管制の向こうで、マオが呆れる。しかしその言葉は、どこか嬉しそうだった。
『でもその調子なら、大丈夫だね』
「あぁ、当たり前だ。俺は絶対勝って帰ってくる」
『……知ってる』
マオはふふっ、と微笑むと声を張って発進シークエンスを読み上げる。
『――アンゲロス波長確認。カタパルト推力正常。進路クリア――』
機体の膝がぐい、と沈み込み全身に金の文様。そして背中に淡く呪光を帯び始める。緑色の双眸が、赤い両腕が、目の前に広がる敵を睨む。
『では各員、発進どうぞ!』
『雪暗セイゴ! 一番機、《アステロード》出る!』
『白雨シューマ! 二番機、《デイゴーン》出るぞ!』
『星影ルディ! 五番機、《デイゴーン》行くよ!』
ブースターに火が灯る。操縦桿をしっかりと握り締め、そして行く先をしっかりと睨みながら、サハラもまた後に続いた。
「東雲サハラ! 四番機、《アルヴァスレイド》――行くぞッ!!」
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