第30話 蛇と馬鹿
「ハウ……?」
サハラは、目の前に立つ少女がわからなくなっていた。
五十嵐ハウ。ルディ隊に入った新型パイロット。双子のタオに対して、大人しく後ろからタオの動きを見ているような、そんな少女。
しかし、今影の中の姿は自分の思っていた「五十嵐ハウ」とは違った。彼女の口から出た〈
「お前、どうして」
どうしてその存在を知っている?
動揺するサハラが問いただそうとするが、ハウの言葉がそれを遮る。
「やっぱり……知ってる」
影の中にありながら、ハウの瞳が光る。
「誰から……?」
誰から聞いたのか、そう問いたいのだろう。サハラの脳裏に二つの影が浮かぶ。メタトロン、そしてマオ。二人ともサハラに〈
それに、マオはともかくメタトロンの存在を口走るわけにはいかない。サハラが考えを巡らしていると、ハウは呆れたように「ふぅん……」と頷いた。
「まぁ、いいけど……。……でも」
「でも?」
ハウはこちらへ足を踏み出す。サハラの目に、その口元が歪んだように見える。
「その人は……なんで、〈
「なんで……?」
サハラには、ハウの言いたいことは分からなかった。しかし、ハウがもう一歩踏み出したと同時に放った言葉が更なる動揺を誘う。
「〈
サハラが目を見開く。いや、ハウの言っていることは至極当然のことだった。再びあの二人を思い出す。メタトロン、小春日マオ。……いや、でもまさか。
「例えば……名前だけじゃなくて、何か詳しいことを知ってた人……」
ハウの言葉が甘言のように耳にするりと這ってくる。メタトロンは確かに深く知っていてもおかしくない。でも、マオは? マオが〈
思わず頭を抱えるサハラ。その様子に、ハウが再び口を歪めた。
「……やっぱり、何か知ってるんだ。……じゃあ」
不意に、ハウが少し身を屈める。サハラはその瞬間、襟の隙間から、背中に青い何かが見えたような気がした――が、即座に他のものへ目を奪われる。
それは、ハウの手元で光った何か。思わず後ずさるサハラ。ゆっくりと寄るハウ。その表情は見えない。サハラは目の前の少女が何者なのか、見失う。
「おい、ハウ……!」
一歩、二歩、三歩。サハラの背が壁につく。尚も寄るハウ。ハウが何をしようとしているのかはわからない。でも、このままでは……!
意を決したサハラが拳を握り締めたときだった。
「おっ、良い所にいた。サハラ!」
通りの角からそう言って現れたのは、ルディだった。ハウの足が止まる。ルディの青い長髪に不思議と安堵しながら、サハラは片手を上げて応じた。
「おう、ルディ。どうした?」
「いや、話したいことがね……ってハウ?」
ルディはそこで彼女の存在に気付いたらしい。サハラもハッとなって目の前のハウに目を戻す。ハウはいつもの様子に戻っていた。手には何も持っていない。
「なんだ、ハウと話してたのか。……アタシ邪魔した?」
「……いや、今終わったとこ」
そう答えたのはハウだった。彼女はサハラから離れると、もういい、とでも言わんばかりに踵を返す。サハラはさっきまでのことを夢のように思いながら、ルディの方へ歩きだした。
「……ハウとタオの邪魔は、しないで」
そんな声が届いたような気がして、サハラは振り返る。しかしもうハウはどこかへ行った後だった。そんな様子に、ルディが苦笑する。
「どうした、様子おかしいぞ?」
「いや、びっくりしただけだよ」
……本当に、さっきのは何だったのか。サハラは様子の違ったハウを思い出す。彼女が〈
「でも確かに、ハウが一人で誰かと話なんて珍しいな」
ユードと同じように、ルディもまたそう唸る。
「アンタ、タオになんかしたの?」
「何もしてねぇよ……」
身に覚えがないのは本当だった。しかし、ハウが何か動くとしたらタオのことだというのはサハラも思うところではあった。……本当に何だったのか。
「まぁ、アンタ初対面でもタオに絡まれてたし、本当に新型と縁があるのかもねぇ」
ルディはからからと楽しそうに笑う。そうだ、と手を打ったルディはサハラの顔を覗きこんだ。
「サハラ、アンタも新型になりなよ!」
「『なりなよ』って……なりたくてなれるもんなのかよ」
「ん~……どうだろ」
考えて言ってるのか、それとも全く考えてないのか。ルディは自分のことを思い出して語った。
「アタシは元々、ユードたちの方から誘われた一号だし」
「……って言うと?」
そう言えば『楽園の蛇』計画のことを詳しく聞いたことはなかった、と思いサハラは詳細を促した。
「あぁ、元々『楽園の蛇』計画ってユードがアシェラに提案したものなんだってさ。で、その一号パイロットがエースであるアタシってわけ」
「ユードが、か」
サハラはつい先刻会った、猫背の男を思い出す。そんな凄そうなヤツには見えねぇけど……。いや、母さんだって見た目からはそう見えないからそんなもんなのかもしれない。
「最初は難航してたんだってさ。そもそも呪光兵器を堕天機に積むって、安全性からアシェラは反対してたらしいし」
「それは確かに、そうだな」
サハラは己の掌を見る。呪光を兵器としても活用している結果、サハラも、そして隣のルディも通常のパイロットより天使化が進行している。それに加えて《デイゴーン》の活動時間が《アステロード》より短いことを考えればアシェラが反対するのも当然のことだった。
「でも」
ルディは相変わらずの自信と共に、言い放った。
「アタシは『楽園の蛇』計画、加わって良かったと思ってる」
それは、天使化の影響など全く気にしていないような言葉だった。ルディは続ける。
「確かに《アステロード》に乗ってた頃からアタシはエースだったけど、でも《デイゴーン》のお陰でより速く、より強くなった。今は、それが嬉しい」
ルディはサハラを見る。
「アタシもサハラも、もうこんな体じゃんか。……だったらさ、『戦士として』生きるってのが一番カッコいいと思うんだよね」
こんな体、とは天使化のことだろう。しかしルディはその上で『戦士』を貫くつもりだった。
「戦士として、なぁ……」
「そう。アタシもアンタもエースなんだから、さ。《アルヴァ》で、《デイゴーン》で誰よりも倒して誰よりも戦う。アタシたちは誰よりも強くなきゃいけないんだよ」
サハラはその言葉に強い共感を抱いていた。確かにそうだ、事は至極単純。しかし、サハラはそれでもまだ――そう、まだハウの言葉による疑心暗鬼から抜け出せないでいた。
マオが〈
ルディはそんなサハラを見てニヤリと笑うと、全力でその背中をぶっ叩いた。
「サーハーラッ!」
「ってぇ!」
乾いた音と主にサハラの声が廊下に響く。急に熱くなった背中をさすりながらルディを仰ぎ見る。彼女は笑っていた。
「サハラ、アンタ色々考えるの得意だったっけ?」
「いや……どうしたいきなり」
「いや、アンタなんか難しそうに考えてたからさぁ? そんなに考えるの得意だったのかなって」
ちなみにアタシは苦手、と笑いながらルディは続ける。
「あのさぁサハラ。撃たれる時は前からだろうが横からだろうが後ろからだろうが撃たれるの。どっから撃たれるかなんて延々考えてても無駄でしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「だったら考えるのは止めて、撃たれてから反応すりゃいいの。アタシたちはただ目の前の敵を倒すことだけ考えてりゃいい。そんな頭良くないでしょ。違う?」
「……いや、そうだな」
ルディからしてみれば何気なく放った言葉かもしれないが、サハラは感心していた。そうだ、撃たれるときは後ろからでも撃たれる。誰が〈
「なんかスッキリした。ありがとう、ルディ」
「ん? いいよ、なんせアタシはエースだからね」
「なんだよそれ」
サハラの迷いが晴れたのを確認し、ルディが意気込む。
「よし、じゃあスッキリしたところで模擬戦でも――」
そこから先はサハラにはよく聞こえなかった。ルディの声に覆い被さるように、頭の中に声が響いたからだ。音叉のような耳鳴りと共に、中性的なそれが届く。
『――暁の残滓、黎明の子よ』
メタトロンか!
ハッとしたサハラは思わず立ち止まった。メタトロンの声は相変わらず無感情なそれだったが、どこか張りつめているようにも感じた。
『――来る。大いなる翼が騎士を駆りて』
来る? 何が?
『――偽りの童子。青き百合。爆ぜる快楽。』
そこまで伝えるとメタトロンの声は何かに引き裂かれるようにして聞こえなくなった。『青い百合』? それは〈
「おーい、サハラ? どうした?」
ルディの声で我に返る。彼女からすれば突然廊下のど真ん中で立ち止まり、急に黙り込んだのだ。おかしく思われても不思議じゃない。サハラはメタトロンの存在を悟られないよう、適当にあしらった。
しかし、サハラは嫌な予感がしていた。そしてその嫌な予感はすぐに裏打ちされることになる。
『天使の襲来を確認。天使の襲来を確認。カトスキア職員はただちに第一戦闘態勢へ移行せよ。繰り返す――』
廊下に響き渡るアナウンス。辺りを一瞬だけ静寂が包み、ワッと騒がしくなる。サハラとルディも同時に格納庫へ走り出していた。
これか……!
サハラはなんとなく、メタトロンの指していたもの、そして自分の感じている漠然とした嫌な予感がこの襲来だという考えに至っていた。アナウンスは《ガルガリン》の時の特別なそれではない。しかしその予感は確信に変わりつつあった。
パイロットスーツを手早く着込み、サハラは警報と怒号の響く格納庫を走る。すぐに見えてくる愛機、《アルヴァスレイド》。そしてその足元には先刻と変わらずユードの姿があった。
「ユード!」
「あぁ、いつでも出られる……よ」
応えながら、ユードはサハラの顔を見る。彼は少し残念そうな表情をすると、《アルヴァ》から離れる。
「そうか……。キミはどうやら、そう思い悩む性格ではないらしい。馬鹿は厄介……かも、な」
さり気なく悪口を言われた気もするが、ルディの話に背中を押されたサハラにはそれは激励にしかならなかった。馬鹿上等!
《アルヴァ》が起動し、その緑眼が閃く。モニターが格納庫を映し出すと同時にアランの管制が入ってくる。
『こちら管制! セイゴ隊各機準備はいいですか』
『セイゴ機、完了』
『シューマ機、オーケイだ』
「サハラ機、いつでも出られる!」
『では早速ですが、発進シークエンスに入ります』
アランの言葉で、セイゴ機から順にカタパルトへ歩み出す。少し遠くを見れば、ルディ隊の《デイゴーン》たちはまだ動き出していない。
『戦況は?』
シューマの問いかけに、アランが答える。しかしその答えはやや曖昧なものだった。
『戦況……は、はっきり言うとまだ開始してない』
「まだ?」
『あぁ。次元の
「なるほど……それで俺らが取り敢えず見てくるってか」
『まぁ、そういうことになる』
まだ始まっていない戦況。そして己の抱える嫌な予感。『青い百合』。『大いなる翼』。頭でぐるぐると回るものを、サハラは己の頬を打つことで追い出した。
「考えても仕方がねぇしな……!」
ユードにも言われたが、こちらは生憎馬鹿だ。長々と考えるのは性に合わない。
《アルヴァ》がアランのオペレーションに従い、カタパルトに乗る。緑眼が洋上の
『――アンゲロス波長確認。カタパルト推力正常。進路クリア――』
淡々と読み上げるアラン。《アルヴァ》が前傾姿勢になり、そのブースターに仄かに白が灯った。
『――サハラ機、発進どうぞ!』
「東雲サハラ。四番機、《アルヴァスレイド》出るッ!」
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