第八章 憤奇の瞳

第29話 水面下で咲く百合

 《ガルガリン》をルディたちと共に撃退してから数日。

 サハラは、テノーラン基地全体にうっすらと『違和感』のようなものを感じていた。


「時間は……遅れてないよな」


 こうして、アシェラとデオンに呼び出され、廊下をただ歩いている際にも、それはなんだか雰囲気として感じられている。

 しかし、『違和感』は確信を持てるようなものではなかった。なんというか、まるで自分の見えないところで何かが動いているような感覚だった。


「疑心暗鬼……かもな……」


 少し自嘲ぎみに、サハラはそう呟く。

 メタトロン、そしてマオから聞いた〈智人ジルヴ〉。人類側のスパイ。裏切り者。自分の周りにも、と過敏になっているのかもしれない。サハラは『違和感』の正体をそう片付けることにした。

 間もなく、サハラはアシェラの研究室へ辿り着く。軽くノックをすると、中から応じる声が聞こえた。少しして、ドアの向こうからデオンが現れる。


「呼び出してすまなかったな。アシェラ博士は奥だ、入りたまえ」


 デオンに招き入れられ、サハラはアシェラの研究室に足を踏み入れる。四方を大きな本棚や機器に囲まれた部屋。本棚の中は整然と片付けられているが、机の上の資料は雑然としていた。見れば、《アステロード》や《デイゴーン》の設計図のようなものも見られる。隣の部屋に続く扉の向こうは、確かリェスタ――呪光を浄化する、例のカプセルのある部屋だ。


「おっ、よく来たねサハラ」


 最奥の机に腰掛け、何かの資料に目を通していたアシェラはサハラを目にしてにかっと笑った。


「先日の精密検査の結果が出たんだ。ま、座って座って」


 アシェラに適当なソファを勧められ、サハラは腰を下ろす。デオンはアシェラの隣に椅子を運び座った。サハラはそれを尻目に、アシェラへ疑問を投げる。


「その精密検査……なんでまた、急に」

「急に?」


 デオンが目を丸くする。しかし彼は少し考えなおした。


「いやそうか。君自身からしてみれば確かに『急に』かも知れないな」

「なんだよ……」


 困惑するサハラに、適当な飲み物を出しながらアシェラは説明した。


「先日の《ガルガリン》戦……。あの時、私とデオン博士にとってちょーっと気になるものが見えちゃったからね」


 彼女はそう言うと、二枚の写真を見せた。一枚は、《アルヴァ》の全身にうっすらと金色の何かが浮かび上がっているもの。そしてもう一枚は、《アルヴァ》が《ガルガリン》の剣を振り抜くその瞬間に、灰色の翼のようなものが見えているものだった。


「これは先日の戦闘で撮れたものだが……異天二号機、《アルヴァスレイド》に微妙だが変化が見て取れた。うっすらとだが金色の文様、そして灰色の羽。……我々はこれが気になってね。念のため、君自身も検査したという訳だ」


 デオンはそう語ると、アシェラから受け取った検査結果に目を通した。ふむ、と唸りその内容を述べる。


「はっきり言おう。君の天使化は急速に進みつつある」

「……なんとなく、そんな気はしてた」


 サハラは素直な感想を口にした。イーナク基地で天使化について知ってからこっち、《アルヴァ》に乗るときに意識しないことはなかった。


「最近、《アルヴァ》がよく馴染んでる気がして。……もしかしたらこれも天使化の影響なのかも、って思うことはあった」


 当然、同じ機体に乗り続ければ習熟度として、それは操縦にも現れる。しかしサハラが感じていた『馴染む』というものは、それよりももっと根本的な感覚だった。


「なるほどねー……」


 アシェラも何か思うところがあるのだろう、合点がいったように頷く。デオンも続けた。


「それも一概に否定は出来ないな。……経過を見ると、メタトロンと会ったあの日以降、徐々にだが加速度的に天使化している。それは君自身だけではなく、異天二号機、《アルヴァスレイド》も同じだったということだろう」


 デオンはそこまで話すと、アシェラに目をやった。ここからは君の領分だ、という風に。アシェラは了解したように片手を上げると、写真を指し示しながら説明する。


「金の文様、そして翼。……これらは第Ⅰ位聖天機、《セラフィーネ》に見られる特徴だ」

「《セラフィーネ》……」


 サハラは己が駆っていた《アルヴァ》を凝視する。その様子に、アシェラは肩眉を上げた。


「まさかサハラ、《セラフィーネ》知らない?」

「……」

「おぉっとー! 士官学校時代に聖天機の全位と名称は学科試験で必修だったはずだぞ我が息子」

「いや覚えてる、朧気だけど」


 カトスキアの博士二人を前にして、話が嫌な方向に逸れそうになったのでサハラは慌てて思い出した。


「《セラフィーネ》。確か上級の天使で……第Ⅰ位ってことは一番上、か……?」

「デオン博士。どうやら私の息子は学者にならなくて正解だったらしい」

「何を今更」


 アシェラは参った、という風に苦笑するとホワイトボードを引っ張り出した。


「まぁ、《セラフィーネ》なんてまず交戦することはないから仕方ない気もするけどね……。まぁ、いい機会だし簡単なお勉強だ」


 彼女はそう笑いながら、ホワイトボードに天使の名前、そしてその分類を簡単に纏め始めた。


「まず聖天機は全部で何種類だっけ、東雲くん?」

「えーっと……八種類」

「おっ、覚えていたか」

「馬鹿にしすぎだろ……」


 しかし馬鹿にされるような状況を生んだのは紛れもなくサハラだ。アシェラはその八種類の聖天機を書き連ねていく。

 第Ⅷ位聖天機、《エンジェ》。

 第Ⅶ位聖天機、《アルケン》。

 第Ⅵ位聖天機、《エクスシア》。

 第Ⅴ位聖天機、《ヴァーティス》。

 第Ⅳ位聖天機、《ドミニア》。

 第Ⅲ位聖天機、《ガルガリン》。

 第Ⅱ位聖天機、《ヘルヴィム》。

 そして第Ⅰ位聖天機、《セラフィーネ》。


「それぞれ階級分けみたいなものも存在するのは覚えてる?」

「あぁ。下級、中級、上級、だろ?」

「その通り」


 アシェラは小さく頷いて、それぞれの間に線を引いていく。《アルケン》と《エクスシア》の境、《ドミニア》と《ガルガリン》の境、そして《ヘルヴィム》と《セラフィーネ》の境、という具合に。


「下級はよく目撃される聖天機。そして中級は特化型。上級は、まぁ言わずもがな強敵ってことね」

「現場では位階より階級で呼ぶことが多いだろうな」


 アシェラの言葉に頷きながら、デオンもそう付け加える。サハラにしてみても、第何位という呼び方は聞き覚えがなかった。いや、聞いたことがないわけでない……はずなのだが。


「ん?」


 そこでサハラは、《ヘルヴィム》と《セラフィーネ》の間に光れたラインに気付く。


「《セラフィーネ》は上級の天使じゃないのか?」

「んー……そこはちょっと違うのよねぇ」


 悩ましい、と言わんばかりにペンの尻を噛みながらアシェラは答えた。


「確かに《セラフィーネ》は上級の聖天機だけど、その特異性から最近では最上級、として位置づけられることが多くてね」


 アシェラはそこでぐるりとホワイトボードを回転させると、題字のように大きく《セラフィーネ》と書いた。


「その問題の《セラフィーネ》……実は《セラフィーネ》、っていう聖天機は厳密には存在しないのよ」

「……どういうことだよ」


 言っている意味がわからない。サハラが素直にそう伝えると、アシェラは苦い顔をしながら説明した。


「《セラフィーネ》ってのは専用機、なの。多分以前メタトロンが言ってた大天使たちの。……詳しいことは未だにわかってないんだけどね」

「まぁ、最上級――いわば最強の聖天機。《セラフィーネ》に遭遇して、生きて帰った者が皆無なのもその原因だな」


 デオンが皮肉っている間、「でも」とアシェラはホワイトボードに二つ項を立てた。


「《セラフィーネ》について確実なことは二つ。翼が三対、合計六枚あることと、文様は金色だってこと」

「翼……文様……」


 そこでサハラは再び《アルヴァ》の写真に目を戻した。うっすらと浮かび上がった金色、灰色の翼……!


「その通りだ」


 デオンは気付いたサハラに仮説だが、と前置きした。


「異天二号機、《アルヴァスレイド》の完成形はもしかすると《セラフィーネ》なのかもしれない。……というのも、な」


 デオンは一瞬アシェラを見やると続けた。


「異天一号機もまた、同様に《セラフィーネ》の特徴を得ていたのだ」

「異天一号機……《アズゼアル》、か」


 《アルヴァ》より以前に、強く天使化を果たし次元のゲートの向こうへ消えた最初の堕天機、《アズゼアル》。


「だからサハラには、ちょっと知っておいて欲しかったの」


 アシェラは何かを思い出したのか、少し寂しそうに笑った。

 《セラフィーネ》、か。サハラはしかし、何故と訊いた。


「なんで、このことを俺に? 教えて貰ったって、どうしろって言うんだよ」

「今すぐにどうしろ、という話ではないさ」


 答えたのはデオンだった。彼は立ち上がると、微笑んで語る。


「このまま行けば《アルヴァスレイド》は、そして君はいずれ『何か』に変わる。その『何か』を知らないよりは、知っている方が色々と助けになる。いざという時にな。……そういう話だよ」


 サハラは己の掌をじっと睨んだ。何かに変わりつつあるのかもしれない自分。しかし、その先を知っていれば、何か出来るかもしれない。


「……わかった。わかんねぇけど」

「それでいい。はなっからわかるわけがないのさ」


 サハラがやや不完全燃焼ぎみに立ち上がると、アシェラはそう笑った。


「ちょうどいい、《アルヴァ》の様子も見てきたら? 残夜さんやユードが文句言ってたよ」

「おう、そうする」


 確かに、文句は言われるかもしれない。

 サハラは写真に写った《アルヴァ》の、消し飛んだ膝から下を憎々しく思いながら、研究室を後にした。




「おや。珍しいお客さんだ……ね」

 テノーラン基地の広い広い格納庫、その一角に佇む《アルヴァスレイド》の足元。サハラを出迎えたのは、白衣の青年だった。


「おう、ユードか。……おっちゃんは?」

「残夜さんなら……休憩。それよりサハラ、何か悩み事……かい?」

「悩み事?」


 ユードの質問に、サハラは首を傾げる。何か難しい顔をしていただろうか。ユードはおや、と一瞬驚くと、くつくつと猫背を揺らして笑った。


「サハラが格納庫こっちに来るときは、出撃か悩んでるときかだって、聞いた……よ」

「おっちゃん……!」


 サハラの脳裏に、豪快に笑うゴロウの姿が浮かぶ。作業中の雑談の種にでもされたのだろう。サハラはそれを否定すると、《アルヴァ》を見上げた。


「いいや、今回は《アルヴァ》の状態を見たくて」

「あぁ……! やられたからね……足」


 しかし、そのユードの言葉とは裏腹に《アルヴァ》は完全な人型をもって立っていた。件の膝から下は、元々は同じである《アステロード》のものを流用して修繕されていた。その部分だけ《アルヴァ》の赤と黒ではなく、黒一色なのが目立つ。


「まぁ、後は調整ってところ……さ。起動したら足も染まるだろうし、ボクに任せて……よ」


 少し怪し気な笑いを浮かべながら、ユードはそう告げた。長身痩躯の青年だが、ひどい猫背のせいで目線はサハラと同じだ。コイツはパイロットになれないな、とサハラが思っているとユードは何か思い出したように付け加えた。


「そうそう……ハウが探してた……よ」

「ハウ? ……双子の?」


 全く予想外の人物の名前が登場し、驚くサハラ。ハウと言えば、ルディと同じ新型パイロットの双子だ。突っかかってくる方がタオ、大人しい方がハウ。


「ハウが人に用だなんて珍しいけど……何かタオにした……のかい?」

「俺が? ……いや、そんな覚えはないけど」


 やはりサハラよりあの双子と付き合いの長いユードにとっても、彼女がサハラを探しているというのは珍しいことらしかった。

 サハラが思案していると、しばらくもしない内にユードが声を上げる。


「おや。噂をすれば……と」


 ユードがひょいと指をさす方向を見れば、格納庫の入り口でこちらを見るハウの姿があった。彼女はこちらを恥ずかし気に見たまま、何か言いたげにしている。


「多分用はサハラだろう。……行って」

「あぁ。じゃあ、《アルヴァ》は任せた」


 サハラはユードに一言断ると、ハウに駆け寄る。確かにハウの目的はサハラだったらしいが、彼女はサハラが近寄ると桃色の瞳を潤ませていた。


「えっと……ハウ、だよな?」

「うん、ハウ……」


 意味のない会話。まさかサハラでも、もう一人のタオと彼女を間違える訳はなかった。サハラはもう一度、尋ねる。


「俺に用がある……って、ユードに聞いたんだけど」


 俺はハウが苦手なのかもしれない、サハラは若干そう感じていた。そもそも年下の、ましてや臆病な少女と関わることなんてなかった。いつもなら隣にタオがいて、タオと言葉を交わせばいいのだが……いっそ、ああいう噛みついてくる方が楽だ。


「うん。……ついてきて」


 どうやら用があったのは本当らしい。ハウはそう言うと、サハラに背を向けて歩き出した。自分より頭一個以上小さい少女の背中を、サハラは追う。

 格納庫から出て、廊下を進む。サハラはまた妙な『違和感』を感じながらも黙ってついて行く。階段をあがり、また進む。


「――東雲サハラは……」


 しばらく進んで、ハウはようやく口を開いた。テノーラン基地でも人通りの少ない場所だ。サハラは少しだけ、マオとの会話を思い出す。


「俺がどうした?」


 サハラが純粋にそう、聞き返すとハウはくるりと振り返った。ちょうど影になって、その表情は見えない。


「サハラは……なにを、知ってるの?」

「何を……?」

「そう。例えば……〈智人ジルヴ〉とか」


 突然、ハウの口から飛び出した言葉にサハラは息を飲んだ。〈智人ジルヴ〉。まさか、ハウがそのことを語るとは。サハラの中でハウへの警戒が急速に高まる。


「〈智人ジルヴ〉……って?」

「……うそ。知ってる」


 無知を装って尋ねたサハラを、ハウは珍しく強い声で一蹴した。ハウは少し、サハラの方へ歩みを進めながら繰り返した。


「サハラは……なにを、知ってるの?」

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