第36話 次元の穴

 警報と激震の中、マオはテノーラン基地の廊下を走っていた。

 寝起きなのか、髪は乱れ化粧もない。しかし彼女の眼は焦りと心配ではっきりしていた。その険しい表情に赤い警告灯がフィルムのように重なる。


「サハラ……!」


 マオは拳を握り締めながら、先を急ぐ。

 それは数分前。

 ベッドの上のマオは、轟音と振動で目を覚ました。パイロット時代の反応で、飛び起きて辺りを見回す。一瞬何が起きたのか焦る脳をなだめながら、取り敢えず外を確認した。

 マオの部屋からはちょうど、格納庫と外が見えた。空には新月が浮かび、月明りはない。しかし、彼女の眼には呪光の妖しい光によってその状況は確認できた。


「何、あの天使……」


 真っ先に飛び込んできたのは、外側から破壊された格納庫の壁。そしてそこに佇む、六枚羽の聖天機。全身を走る金色の文様が、闇夜にその姿を浮かび上がらせる。そしてもう一対の腕が、その禍々しさを表しているようだった。

 思わず圧倒されるマオ。その眼前で、謎の聖天機は翼を広げ、空へ飛び上がった。少しもせずして、後を追う影が一つ。その陰に、マオは見覚えがあった。


「あれは、《アルヴァスレイド》……?」


 闇夜なので断言はできない。しかし、堕天機とは少し違う形をしたあの機体には、見覚えがある。同時にマオの脳裏にそのパイロットの顔が浮かぶ。


「サハラ……!」


 サハラに何かあったに違いない。

 マオは電撃を受けたようにそう考えると、夢中で部屋を飛び出した。




『――如何だ! くくく、俺との闘争は如何だ東雲サハラ!』

「おおおおおおおおッ!」

 剣戟音。再び火花が散り、二つの機影が交錯する。響く哄笑にサハラは構わず雄叫びを上げていた。

 鍔迫り合い。《アルヴァスレイド》と《フムス=セラフィーネ》のよく似た実体剣がぶつかり合う。《フムス》の文様が煌めいたかと思うと、コックピットを衝撃が襲った。サハラの体が激しく全天周モニターに打ちつけられる。


『――矢張り今でもコックピットは其処か!』


 サハラは意識が飛ばぬよう歯を食いしばりながら、寄りかかったモニターを確認した。見れば再び、緑の巨腕が迫っていた。回避は間に合わない。直撃し、そのまま後方へ吹っ飛ばされる。


「がぁ……ぐッ!」


 シートに叩き付けられながら、しかしサハラは体勢を立て直して再び操縦桿を握り締める。腰を完全にシートから浮かせ、まるで獣のような体勢。


『――此方だ! 飛んでみせろ!』

「ウリエルぅぅぅぅッ!」


 急に横へ飛び去った《フムス》を、サハラは体で追う。《アルヴァ》の背中に一瞬だが黒い翼が現れ、ブースターが火を噴いて流星になる。正面に《フムス》の翼を捉えると、《アルヴァ》は呪光砲を乱れ撃った。

 光弾の嵐が《フムス》を襲う。しかし当然のように次元障がそれを阻んだ。《フムス》の掌から展開された障壁が光弾をことごとく防ぐ。しかしそこに、《アルヴァ》の剣が突き立てられた。激しい火花が散り、《フムス》の顔面がモニターに大きく映る。サハラはそれを睨み咆える。


「お前がッ! お前がぁぁッ!」

『――俺が何だと云う! 同類のお前が!』

「俺とお前は違う! お前なんかとは!」

『――違うものか!』


 《アルヴァ》の剣が次元障を破ろうとしたそのとき、またも緑腕が迫る。視界の隅で動くそれを捉えたサハラは、ペダルを全開に踏み込んだ。《アルヴァ》が飛び上がり、《フムス》の上を取る。


「死ねよォッ!」

『――まるで畜生だな!』


 再び剣を突き立てようとする《アルヴァ》だったが、《フムス》は翼を一度はためかせると、剣の下をすり抜けるように加速した。憎々し気に吐き捨て、サハラもその後を追う。弄ばれている感覚に、サハラの胸の黒い炎がまた熱くなる。ペダルから伝わったそれで、《アルヴァ》の全身にも刹那金色の文様が現れる。


『――はやい! 疾くなったな其れも!』


 一瞬現れた兆候に、ウリエルの声が更に興じる。


『――其れが表出化だ! 其れが、お前の憎悪のもたらす力だ東雲サハラ! お前の、お前自身に対する憎悪だ!』

「黙れッ! 黙れ黙れ黙れ! お前が、お前がぁぁッ!」


 《アルヴァ》の瞳が金色に閃き、《フムス》の翼を猛追する。その間も乱れ撃たれる呪光砲。光弾の中を嘲笑うように《フムス》は飛ぶ。


『――否! 俺が現れたのもお前の母親が死んだのも、お前が居たからだ東雲サハラ! 全てお前のせいだ! 何度言えば理解する?』

「違う! お前が、お前が殺した!」

『――いいやお前は既に理解して居る! 理解して居るからこそ憎悪する! 全て、あの覚醒から全てお前が引き起こした! 仲間のきずも! 少女の暴走も! 母の死も!』

「失せろぉぉぉッ!」


 腰にマウントした小銃を抜き放ち、狙いも定めず乱射する。その弾道はウリエルに掻き回されるサハラの心をそのまま表していた。

 憎悪の裏でまた青い可能性が浮かぶ。俺を庇わなければマオの腕は? 俺がルディを邪魔しなければハウとタオは? 俺が、俺がいなかったら母さんは……?


「ぅぁああああああああッ!」


 胸に熾った憎悪の炎が自分の身さえも焼き始める。それは更に燃え上がって、目の前のウリエルしか――可能性を映す鏡しか見えなくなっていた。


『――其の通りだ! お前が俺を憎むのは、俺とお前が同類だからに他ならない! 云って居る筈だ! お前も何れ斯う成ると!』


 最早サハラから言葉は返らない。悲痛に燃える咆哮だけが応じるように弾丸を撃ち尽くす。弾を失った小銃を投げ捨て、再び呪光砲を撃ち放つ。


『――お前の憎悪はお前自身への憎悪だ! 故に、故にもう抜け出すことは出来ない! くくく……嗚呼、そうだ! 鍵は開かれ檻は砕かれた! 東雲サハラが東雲サハラで居る限り、お前は憎悪から逃れられない!!』

「アアアアアッ!」


 更に加速する《アルヴァ》。猛りを増すその姿にウリエルは楽しそうに笑う。


『――此の闘争を待っていた!』


 翻った《フムス》の全身に金文様が光り、次元障を展開して《アルヴァ》に突っ込んでくる。サハラは先日のガブリエル戦を本能的に思い出し、弾かれたように飛び退いた。両機の運動性能はほぼ互角。その攻撃は届かない――かに見えた。


『――為らばもう一つ、見せてやろう』


 ウリエルの冷たい声がサハラの耳に届く。獣の勘のようなものが、危険を告げる。サハラが身構え、その眼前で《フムス》は翼を大きく広げたかと思うと――消えた。


「……な…………!?」


 それは刹那。刹那だったが、《フムス=セラフィーネ》は完全にサハラの目の前から姿を消した。跡形もなく。高速で飛び去った訳ではない。完全に、この空間から姿を消していた。

 そして。


『――未知とは恐怖で在り、強さだ』


 《フムス》は《アルヴァ》の後ろに現れていた。まるで突然現れたように、超至近距離で《アルヴァ》の背中を取っていた。何が起こったのか分からずに、サハラは振り返る。背面のモニターには構えられた次元障が迫っていた。

 完全に無防備な背中から、障壁に弾き飛ばされる《アルヴァ》。サハラは混乱する頭を必死に制御しながら体勢を立て直すと同時に身を翻した。

 しかし――いない。


『――是が大天使の翼だ!』


 ハッと振り返るサハラ。再び真後ろに現れる《フムス》。何が起こっているかわからないまま、《アルヴァ》が蹴り飛ばされ、体勢が崩れる。


「どこだ!」


 咆えるが、それは夜闇に吸い込まれるだけだった。居ない。《フムス》の翼の、一片すら。サハラの憎悪の炎が焦れる。じりじりと焦がれていく。


『――此処だ!』

「くそッ!」


 再び真後ろに現れた瞬間、サハラは操縦桿を勢いに任せて振り抜いた。《アルヴァ》が残光を描きながら振り向きざまに剣を薙ぐ。捉えた。視界の端に映った《フムス》の姿を見て、サハラはそう確信したが、しかし――剣は夜風を起こしただけだった。


「なっ……何が……」


 何が起こってる……!?


『――くくくく……はははははは!』


 哄笑に天を仰ぐ。そこには漆黒の月を背に、《フムス=セラフィーネ》がこちらを見下ろしていた。その翼は、緑色のオーラを纏っている。《フムス》の悪魔のような顔がこちらを睨んだ。


『――教えてやろう』


 次の瞬間、目の前に迫る《フムス》。それは、ユデック基地での戦闘と同じだった。これは単純な移動ではないと、サハラの全神経が告げる。

 そして反応する間もなく、《フムス》は《アルヴァ》の顔面を殴り飛ばした。後方へ吹き飛ぶ《アルヴァ》。再びその背に現れる《フムス》。今度は剣を構えていた。


『――再び同じ敗北を味わえ!』


 哄笑と共に、衝撃。《アルヴァ》の両腕が斬り落とされたことをアラームが告げる。サハラの脳裏にユデック基地での戦闘が思い出され、逃げるようにペダルを踏む。しかし、まるで弄ぶように眼前に現れる《フムス》。


『――次元翼。是が《セラフィーネ》のみに許された技の名だ!』




「サハラ……!」

 シューマの体は震えていた。アシェラの凶報。そして、モニターで蹂躙されるサハラ。何より、彼女はウリエルという未知の悪意に恐怖し、そして怒っていた。

 破壊された格納庫。シューマを始めとしたセイゴ隊とルディ隊の面々はそこで上空の戦闘を見上げていた。


「ありゃあもう機械じゃねぇよ……」


 ゴロウが、次元翼を見て唸る。格納庫に吸い込まれるその声は、ひどく重く感じられた。


「くそッ、アタシたちは出られないのかよ!」


 怒りに燃えるルディは近くのユードに掴みかかった。


「無理だよ、《アルヴァスレイド》以外はまだガブリエル戦の傷が……」

「ちッ!」


 ルディもそんなことはわかっていた。奥に見える愛機、《デイゴーン》は両腕を歪ませている。こんな状態では、戦いに行っても邪魔にしかならない。


「アシェラも……アシェラも……!」


 ルディは地面を睨み、近くに転がっていたスパナを蹴り飛ばした。その音と同時に、シューマもまた走り出そうとする。それをセイゴが止めた。


「離してください隊長ッ!」

「お前の《アステロード》だって使い物にはならないぞ!」

「使ってない《アステロード》でも《モレイク》でも使いますよ!」

「馬鹿を言うな、俺たちには出撃命令は出ていない!」


 それが、彼らの無力感の理由だった。ガブリエル戦で消耗したセイゴ隊及びルディ隊には出撃命令が出ていなかった。しかし、シューマはセイゴの腕を振りほどいた。


「いつまでサハラだけに戦わせるんですか!」


 セイゴの手が一瞬止まる。シューマはそれから逃れると、格納庫の闇へと消えて行った。残されたセイゴは少しの間その背中を呆然と見つめると、顔を伏せた。


「……そんなことは、俺だってわかっている……!」




『――遅かったが……頃合いか』

「ああああああッ!」

 ウリエルの声が、テノーラン基地から吐き出され始めた堕天機たちに気付く。一方、止まった《フムス》へ目掛け突っ込んできた《アルヴァ》はまた次元翼によって躱されていた。


『――邪魔だけは許さない』


 見上げれば、再び上空に現れた《フムス》。ウリエルはその掌を天高く掲げる。すると、次元のゲートが開き始め、そして多くの《エクスシア》と《ヘルヴィム》が吐き出される。それらは《アルヴァ》は無視すると後方の堕天機へと飛んだ。


『――覚醒者でもない並の堕天機に、是は圧倒的かも知れんな……また、お前のせいだ東雲サハラ』

「ウリエル……お前ッ!」

『――其れだ、更に憎め東雲サハラ! 俺が更なる高みへ導いてやる!』


 そう言い終わらない内に、《フムス》は再び《アルヴァ》の目の前に現れていた。飛び退くのでは間に合わない。サハラは残り少ない理性と戦闘本能で逆に突っ込んだ。

 しかし。


『――緑炎に穢れろ、東雲サハラ!』


 ウリエルの言葉と共に《フムス》が緑の怪腕を広げると、その掌を《アルヴァ》に向けた。怪腕の掌にある大きな半球が《アルヴァ》を映す。――そして。


「ぐ――ぁあああぁぁああああああ!」


 その半球が光を纏った次の瞬間、サハラは全身が焼かれるような痛みに襲われていた。痛みであり、痒みであった。コックピットが緑がかった白光に包まれ、頭蓋を音叉で直接殴られるような感覚。


『――くくく……くはははは!』

「――あ、ぐ、ぁ――がああああああ、ぐ――!」

『――天使に堕ちろ、東雲サハラ!』


 全身の水分が沸騰するような痛みにサハラはコックピット内をのたうち回る。何か、胸の奥の限りなく小さな理性が告げる。全身が、何か別物に変わりつつある。しかし、だからと言ってサハラにはどうすることも出来なかった。




「おい、サハラ! チッ、邪魔するなッ!」

 一機の《モレイク》が、悶え苦しむ《アルヴァ》へ迫ろうとしていた。慣れない、狭いコックピットの中でシューマは仲間の名前を呼ぶ。

 緑の怪腕を広げた聖天機に捕まった途端、《アルヴァ》は虹色に光り始めた。それはまるで、アンゲロスそのもののような――嫌な予感がして、シューマは一心にサハラだけを目指していた。

 先程まで響いていた絶叫。しかし、今はただ沈黙だけだった。不安になって、シューマは管制へ声を飛ばす。


「アラン! マオ! 《アルヴァ》は、サハラはどうなってる!?」

『オレだってわかんねぇよ!』

『で、でも呪光濃度が異常に高くなってて、このままじゃ――』


 そのときだった。


『――おオオオオオオオオオッ!!』


 最初シューマはその音が、その咆哮が何なのかわからなかった。あまりにも獣じみていた。しかし、すぐに空を仰いだ。


「サハラ……って……おい…………!」


 サハラに何かあったに違いない。シューマはそう思って《アルヴァ》と《セラフィーネ》のいた方を見たが、しかしそこには《アルヴァ》の姿はなく――変わり果てた姿があった。


『――くくく、くははははは! 是は面白い! くく、悦ばしい事に成ったぞ! はははははは!』

『――ぐ、アアアアアアアアア!!』


 ウリエルの哄笑に応じるように咆えるその機体は――いわば、白い《アルヴァスレイド》だった。黒と赤の機神は、その体躯のほとんどを白く染め上げられ、そして背には片側三枚の白い翼を持っていた。全身に走るのは金の文様。


「お、おい……こんなの……」


 まるで、聖天機ではないか。

 青ざめたシューマの目の前で、白い《アルヴァ》は再び咆える。しかし、それでも《アルヴァ》は《フムス》を睨んでいた。

 まだ、サハラは――!

 それに気付いたシューマが檄を飛ばす。


「おい管制ッ! コックピットをモニター出来ないのか!」

『やってるよッ! 映んねぇんだよ……クソが!』

『じゅ、呪光濃度更に上昇……こ、これじゃあほとんどアンゲロスと変わらない……』


 シューマは再び白い《アルヴァ》を見る。睨まれた《フムス》は少し考えるような表情を見せていた。


『――くくく……是は面白い! 未だ残っているとは! 何が、何がそうさせて居るのか……実に愉快だ!』

『――う、リィアアアアアアアアアア!』

『――だが東雲サハラ……お前には同じ轍を辿ってもらう』


 それは、一瞬だった。

 刹那、サハラの咆哮の間に《フムス》は《アルヴァ》の頭部を怪腕で掴むとそのまま握り潰し、同時にもう片方の腕で胸部を一突きしていた。貫いてはいないものの、胸部――コックピットの辺りがひしゃげる。


『――が、ウ……――』

「サハラッ!」


 猛り狂っていた白い《アルヴァ》から文様が消え、眼の光も消える。同時にサハラの咆哮も聞こえなくなった。《フムス》はそれを確認すると、《アルヴァスレイド》を担ぐ。


「おい、待てッ! くそ、このッ!」


 シューマは《モレイク》を飛ばす。しかし、眼前に迫る《エクスシア》に阻まれ、届かない。目の前で真っ白になった《アルヴァ》が《フムス》と共に飛ぶ。


「サハラ! くそ、眼を覚ませ、サハラ!」


 シューマが思わず、コックピットの中で手を伸ばす。しかしその手は虚空を切るばかりで、目の前の仲間には届かない。

 《フムス=セラフィーネ》はそのままゆっくり飛翔すると、白い《アルヴァスレイド》と共に次元のゲートを抜け――虚空へと消えた。

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