第十章 覚醒の暁
第37話 イェーヴェ
「ぐ、ァァウウウ……!」
全身を覆う灼熱にサハラは獣のように唸る。背中が、腕が、眼が、全身が燃えるように熱い。そして、熱と共に燃え上がる憎悪。
それが自分に対してなのか、ウリエルに対してなのかサハラにも分からなかった。ただ、コックピット内で仁王立ちになりながら、純然たる憎悪のままに目の前の《フムス=セラフィーネ》を睨んでいた。
目の前のコイツを、いや、視界に映る全てを壊す。殺す。憎悪のままに、猛るままに……!
『――だが東雲サハラ……お前には同じ轍を辿ってもらう』
その一瞬。
ウリエルの言葉が耳に届くと同時に、コックピットを強い衝撃が襲い、サハラは眼前のモニターに頭を強打する。そしてそのまま――気を失った。
果てしない暗闇の中を、眼を爛々とさせながらサハラが走っている。
これは夢か現か、しかしそんなことは考えずサハラは走る。何かに突き動かされるように、何かに駆られるように。
ふと、サハラの脳裏に人影が立ち現れる。マオ、アシェラ。現れた二人はサハラの傍で、悲痛に何かを訴える。サハラには、それが聞こえない。サハラの咆哮で、それも掻き消える。
俺は何を憎んでいる?
俺は何故憎んでいる?
答えは返って来ない。帰って来ないが、最早サハラは憎しみそのものだった。もう、サハラは憎しみ以外の何者でも――
「――何者、でも? ……違う」
暗闇の中に浮かぶ影。ウリエルの顔を見て、サハラは頭を抱える。違う。違う。俺は、俺はお前とは……!
「――俺は、俺は人間の、東雲サハラだっ!」
その瞬間、サハラはハッと目を覚ました。ホワイトアウトした視界を慣らして、周囲を確認する。見知った《アルヴァ》のコックピット。しかし全天周モニターはノイズばかりで何も映さない。
「――……そうだ、頭を……」
気絶させられた直前、《フムス》に頭部を握り潰されたことを思い出し、サハラはサブカメラを起動する。機能することを願いつつ、モニターを睨んでいると小さなノイズと共にそれは外を映し出した。その光景に、サハラは思わずシートに腰を落とした。
「ここは……」
それは、宗教画のような光景だった。
黄金であり、白銀である空間。箱のような、巨大な空間の中で《アルヴァスレイド》は宙づりになっていた。巨大な腕のような何かで肩を上から掴まれているようだ。……いや、それよりも。
「聖天機……!」
全天周モニターを所狭しと聖天機が埋め尽くしていた。《エンジェ》、《アルケン》、《エクスシア》……無数の聖天機たちが《アルヴァ》と同じように吊り下げられていた。全ての機体の文様が停止しているのが、むしろ恐ろしい。
サハラの天使の部分が告げる。『此処だ』。操縦桿を握ると、サハラは脱出を試みる。……が、動かない。モニターは映るが、それ以外が全く反応しなかった。
「くそッ、どうした《アルヴァ》!?」
『――全く無駄だ、東雲サハラ』
その声と共に、コックピットが外側から開く。見上げれば、そこにはウリエルが立っていた。
「ウリエル、お前……何をした!」
「――俺は何もして居ない。舟の腕で、其れのアンゲロスが半停止しているだけだ」
「舟……?」
何のことだ、と吐き捨てようとした瞬間サハラの中で記憶が蘇る。それは、ルシファーの記憶。しかしそれに導かれるように、サハラはその舟の名前を呟いていた。
「――イェーヴェ……」
「――ああ、そうだとも。イェーヴェだ」
ウリエルは腕を大きく広げた。
「――お前たちが天使と呼ぶ者たちの舟。侵略の雷、翼の在処。故に、イェーヴェ」
「ぐっ……!」
サハラが頭を抱える。ウリエルの言葉に促されるようにモノクロの景色が脳裏に浮かぶ。箱舟のような作り。一つの街ほどもある大きさ。そして――巨大なアンゲロス。サハラはそれが写真のように、しかし朧気に見えていた。
「イェーヴェ……!」
サハラは自分が、敵の本拠地にいることを改めて確認する。同時に、ウリエルを強く睨んだ。
「――くく……威勢は良いが、然しそうは行かない」
ウリエルはサハラの思考でも読んだのか、フッと一笑するとその首を掴みコックピットの外へ投げだしていた。深く腰掛けていたサハラは、一瞬の出来事に理解が追い付かない。そしてそのまま無様に床へ叩き付けられていた。
「がッ……!」
「――イェーヴェの中で俺に、
「くそ……ぐっ、かはっ!」
悪態を吐こうとしたサハラだったが、急にむせる。息が出来ない訳ではなかった。ただ、むせかえる程濃い呪光に晒されていた。……いや、充満しているのか。
「――当然だ。
「知るかよ……!」
サハラは毒づきながら《アルヴァ》を見上げる。しかし、その眼に映ったのはいつもの《アルヴァスレイド》ではなく、白銀の《アルヴァスレイド》だった。失った両腕の奥には、三枚の片翼すら見える。
「おい、なんだこれ……!」
「――お前自身は未だ知らなかったか」
ウリエルはそう笑いながら、サハラを立ち上がらせた。
「――《フムス》だけが持つ能力で、強制的に覚醒させた。差し詰め《アルヴァ=セラフィーネ》とでも言った処か……」
「強制的に……まさか……!」
サハラは気絶する前に感じていた感覚を思い出す。《フムス》の緑腕に掴まれた瞬間の燃えるような痛み。そして、ウリエルの言葉。
「――但し、主と同じで未だ半覚醒の様だが……もう一人か?」
「何の話だ……!」
ウリエルはおかしくてたまらない、という風に笑いながら続ける。
「――もう一人程殺せば覚醒に足りるか? ん?」
「ウリエル……お前!」
「――
その瞬間、ウリエルがサハラの手を後ろに回しそのまま締め上げる。苦痛にサハラの顔が歪む。
「……どうするつもりだっ」
「――如何する? くははははは! 面白い事を訊く」
ウリエルはそのままサハラを歩かせながら、耳元でこう告げた。
「――捕虜を捉えた、次は将への謁見だろう?」
イェーヴェ。その内部は皮肉にも、テノーラン基地と似通っていた。白銀と黄金の廊下。無機質な景観。
しかし、テノーランと圧倒的に異なるのはやはりすれ違う影であった。
天使。全員が銀髪金眼の中性的容姿。背中には一対の翼、そしてひどく無感情な表情。抑揚の失せた声。まるでクローンの群れを見ているようだった。
いくつもの廊下と扉を超え、二人は大きな扉の前に立つ。白銀の扉に星、秤、魚、百合の装飾が黄金に煌めく。ウリエルはその扉を無造作に蹴り飛ばした。
「――ウリエルだ。入るぞ」
大きく開いた扉を乱暴にくぐる。サハラはその先の部屋に、見覚えがあった。
「ここは……」
いや、見覚えがあったがそれはサハラの見覚えではなかった。いつか見た、ルシファーの記憶。その場所と合致するように、そこには四つの玉座が並んでいた。
玉座の間。不意にそんな名前が脳裏に蘇る。そしてサハラはウリエルに投げ飛ばされ、部屋の真ん中に突き出されていた。四つの玉座がサハラを囲む形になり、再びルシファーの夢と重なる。
そして、当然――その玉座には三つの影があった。
「――
最初に口を開いたのは、青い玉座の天使だった。銀髪金眼は変わらないが、しかしその容姿は少年のように幼い。十歳ほどの体躯は玉座を飛び降りると、サハラをじろじろと観察し始めた。右腕に青い百合のような文様が見える。
「その声……ガブリエル……!」
耳を貫くトランペットのような声に、サハラは先日の戦いを思い出す。ハウとタオを嬲り、そして俺たちを叩きのめした相手。
しかしガブリエルはサハラの言葉には反応せず、観察を続ける。
「――未だ黒い。否、ルシファーの残滓なのだから黒いのか? 其れにしても『未だ』だな。ラファエル、貴様如何思う?」
ガブリエルが振り返った方、そこは黄色の玉座。対してその容姿は妙齢の女性の様であり、ラファエルと呼ばれた天使は深い吐息と共に静かに語る。
「――嗚呼、嘆かわしい。又、秤が燃える。嗚呼、嗚呼。其の憤怒は癒えず、其の
カリヨンのように澄んだ声が幾重にも反響する。その目には憐れみが籠もっているように見えたが、それは決してサハラの方を見ていなかった。ガブリエルすら見ない。
そして最後、赤い玉座の天使がサハラの後ろのウリエルを睨んだ。ルシファーとよく似た風貌の……確か、「ミカエル」。その荘厳な声が低く、鋭く鳴る。
「――是は、何だ」
睨まれたウリエルが哄笑と共に告げる。
「――是は何だ? 見れば分かるだろう。暁の残滓、黎明の欠片。ルシファーの生き残り」
「――貴様がルシファーを語るな」
怒号が響く。見れば、ミカエルは常に苛々しているようだった。いや、ここにいる天使たちは皆どこかが他と違う。ラファエルには憂いが、ガブリエルには興味が見える。
そして、サハラは確信していた。目の前の赤い天使――ミカエル。この男こそが全ての元凶だと、天使の本能が告げていた。
「お前が、ミカエル……!」
サハラは憎々しくその名を呟き、睨む。しかしミカエルは全く反応せず、突然サハラは別の何かに蹴り飛ばされた。床に頭を酷く打ちつける。見上げると、ガブリエルが無垢な瞳でこちらを見ていた。
「――成程。黎明の、と言えど未だ半覚醒か。脆いな」
サハラは頭にドロッとしたものを感じる。生暖かい血が額を覆っていた。
一方ミカエルは厳然たる怒りのままに続けていた。
「――彼奴は殺した。生き残りも、残滓も許さん」
ウリエルがそれに何か答えているようだったが、サハラにはその言葉は聞こえなかった。激痛が背中を襲ったからである。
「ぎぃぐぁあ……っ!?」
「――矢張り脆い。其れに翼もない」
ガブリエルの手がサハラの服の背中を破ったかと思うと、そのまま肩甲骨の辺りをゆっくりと抉り始める。ガブリエルはサハラの声も気にせず続ける。
「やめ……ろ……ッ!」
「――眼は確認した。然し翼がない。……ルシファーの加護か何かか……」
「が……ぎぁ……!」
そしてその声を覆うように、再び語るラファエル。
「――嗚呼……又、堕ちた明星が彼の心を苛む……」
その反響する声か、それともサハラの声か――苛々を募らせるミカエルが玉座を叩く。
「――煩い。秤は傾いた」
「――ガブリエル、其処までだ。壊してくれるなよ」
ミカエルが玉座の脇に置いた剣に手を掛ける直前、ウリエルがそう告げた。ガブリエルはやっと手を止め、首を傾げる。
「――他は?」
「――《アルヴァスレイド》。是が乗っていた箱だ」
「――そうか、好いぞ!」
その言葉を聞いた途端、ガブリエルは嬉々として飛び出していく。痛みで麻痺する意識の中、サハラは一つの事実に戦慄していた。
ミカエルも、ラファエルも、ガブリエルも。
一度として、サハラを見ていない。
サハラは唐突に、無力感すら覚える。なぜ? コイツらは、人間を、何だと……!
痛みをこらえながら顔を上げる。目の前のミカエルへ、サハラは悲痛にも叫んだ。
「天使は、お前たちは何故侵略する!?」
「――
ミカエルは金眼を煌めかせ、それだけを言い放った。サハラは愕然として、眼を見開く。なぜならそれは――
「――解った。だが獄番にサンダルフォンを借りる」
――それは、ウリエルに向けられた言葉だったからだ。
まるで、言語が通じていないような態度だった。何かが咆えた程度の煩わしさしか感じていなかった。コイツは、ミカエルは――人を人だとも思っていない!
「――くはははははははは!」
愕然とするサハラを見て、ウリエルが哄笑する。彼は再びサハラを立ち上がらせると、ミカエルとラファエルを一瞥して玉座の間を出た。ゆっくりと歩かせながら、ウリエルは楽しそうに語る。
「――くくく、彼奴等は人間を人間だとは思って居ない。……だが至極当然だとは思わないか?」
今度は地下へと向かうように歩く。サハラはその言葉が引っかかった。
「当然? お前、よくも――」
「――猿だ」
「……猿?」
サハラは突然出て来た単語に、思わず聞き返す。ウリエルはまるで笑いを堪えられない、という風に顔を覆いながら続けた。
「――東雲サハラ、お前は――お前は猿を、『人間だ』と思った事が在るのか?」
一瞬、サハラはウリエルが何を言い出したのか全く分からなかった。しかしすぐに、徐々にその意味を理解し始める。
「――なぁ東雲サハラ。山に住む猿を、木の上の猿を、檻の中の猿を――あの獣を、お前は人だと思った事が在るのか?」
「お前、まさか……!」
「――簡単な事だ。天使はお前たちを、猿だとしか思ってないんだよ」
気が付けば、サハラは真っ白い檻のようなものの前に立たされていた。ウリエルはそこを乱雑に開くと、そのままサハラを投げ入れる。唖然とするサハラの前で、ウリエルは掛けた鍵を踏み壊した。
「――猿には似合いの檻だなぁ? ん?」
「ウリエル、お前ッ!」
「――お前には覚醒して貰う。
「ウリエルッ! くそっ、出せ! 戻れウリエルッ!」
サハラの叫びも虚しく、ウリエルは離れながら「見張りは頼んだぞサンダルフォン」と言いながら消える。そして入れ違いのように、『サンダルフォン』は姿を現した。
「――貴様が、か」
「お前……!」
サンダルフォン。戦場で会ったこともなければ、ルシファーの夢にも、そしてまだこの舟の中でも会っていない天使だったが。
肩ほどまである銀髪。伏せられた眼から覗く金色。そして、背には白鳥のような一対の翼。中性的な容姿で、男女の区別はつかないその顔立ちと、その抑揚のない無感情な声をサハラはよく知っていた。
「メタトロン……!?」
目の前に現れた番人サンダルフォンは、テノーラン基地の地下深くに幽閉された天使メタトロンと瓜二つだった。
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