第五章 碧甲の壁

第17話 甕

「うっぷ……ふぅ……」

 陽に煌めく洋上。

 見渡す限り水平線が広がるそのど真ん中を進むカトスキアのふねバアルゼーヴェ。

 その甲板で、サハラは柵に持たれながら飛ぶカモメを眺めていた。

 深呼吸で、胸中のモヤモヤを落ち着かせる。潮の香りが鼻の奥を撫でる。

「まーた外にいたのか」

 声を掛けられ、顔を向けるとにやにやと笑いながらアランが近付いてきていた。

「ちょっと落ち着きたくて、な……」

 サハラが笑うと、アランがサハラの隣に立つ。

「まさか、堕天機を乗りこなすお前が海に弱いなんてなぁ」

 セイゴ隊を乗せた艦が、ユデック基地を出発してから数日。

 サハラはよく甲板に出るようになっていた。

「出発してから数時間でお前がゲロったときはそりゃあ驚いたぜ」

 思い出し笑いするアランに、俺もまさかって感じだよ……とサハラが苦笑する。

 本当にまさか、だった。

 まさか堕天機の空戦を得意とする俺が、船酔いするなんて。

 しかも乗っているのは堕天機すら運ぶ輸送艦。ほとんど波に揺れないこの状況でさえ吐いたのだ。どれだけ弱いかということである。

「どうだ、もう慣れたのかよ?」

「あぁ……言っても吐いたのはあの一回だけだからな」

 茶化してくるアランに、馬鹿にするなと睨む。

 ちなみにその吐いた一回が信じられなくて、自分の船室で傷心に暮れていたことは誰にも知られていない。

 実際は今も少し気持ち悪いのだが。

「まぁイーナクまであと少しらしいし、気にすんなって」

「なら良いけどな」

 サハラは空を仰ぐことで少し顔が青いのを誤魔化す。

 だがアランはそこまでは気付かなかったようで話題を切り替えた。

「そうだサハラ、ゴロウさんが呼んでるらしいぜ」

「おっちゃんが?」

 柵に預けていた体重を戻して、サハラは聞き返す。

 残夜ゴロウ。《アルヴァスレイド》も担当しているメカニックで、その関係もありセイゴ隊の異動に同行する形となっていた。

「《アルヴァ》の話か……? わかった、行ってくる」

「おーう、いってら」

 アランから話を聞いたサハラは甲板に足音を響かせながら駆けていく。

 それを見送るアラン――その表情は打って変わって、静かなものに変わっていた。

「船酔い、か……。弱点……でもない、な」

 疼いたのか、手袋をした左手の甲をさするとアランは元の様子に戻って部屋へ戻るのだった。


「おうサハラ、船酔いはもういいのか?」

「おっちゃんまで……」

 輸送艦内の、格納庫にて。

 ちょうど呼びに来ようとしていたのだろうか、入り口付近にいたゴロウにまで笑われ、サハラは頭を抱える。

「はっはっは、すまんすまん。空中と海上は別ってな」

「そういうことにしてくれよ」

 サハラが苦笑すると、ゴロウは顎で格納庫の最奥を示した。

「ついて来な、話しておきたいことがあるんだ」

 サハラが頷くと、ゴロウは腰に差した工具を揺らしながら歩き出した。ユデック基地のそれよりも随分小さい格納庫を見回しつつ、サハラもそれに続く。

 格納庫の真ん中を貫くように走る通路、その右側にはセイゴ隊の《アステロード》二機が並んでいた。

 片に『Ⅰ』を刻まれたセイゴ機と、『Ⅱ』を持つシューマ機。それぞれ取り敢えずの応急処置は済ませてある状態らしく、《アルヴァ》ほどの損傷は見られない。

「とは言っても……」

 サハラが小さく呟く。その目には《アステロード》たちに刻まれた確かな傷跡が写っていた。当然、先日のウリエル戦によるものである。

「しかしこんな状態じゃあなぁ」

 ゴロウもセイゴ隊の《アステロード》を見ていたのだろうか、心配げに息を吐いた。

「こんな状態?」

 少し言葉に気になったサハラが聞くと、ゴロウは事情を話す。

「あぁ……ユデックがあんなんなっちまったからな、実はアンゲロスの整備がちゃんと出来てねぇんだ」

 アンゲロス。天使を撃破して得られる、堕天機の動力だ。

 あれの整備にはしっかりした設備が必要だからな、と加えながら話すゴロウ。

「だからよ、今あの二機の活動時間は七分もねぇんだ」

「あぁ、活動時間……」

 堕天機には活動限界が存在する。

 それは動力源であるアンゲロスが機体や人体に及ぼす影響を考えてのことなのだが、サハラはそんな当たり前のことも忘れていた自分に気付いた。

「まぁ、いざという時はこっちがあるしな」

 ゴロウがそう言って目をやるのはセイゴ隊の《アステロード》から通路を挟んで反対側。そこにはまた別に二機の《アステロード》があった。

 この艦に護衛としてついている二機である。セイゴ隊のそれとは違い、万全の状態だった。

「……さて、問題はこいつだ」

 ゴロウがそう言って足を止めたのは、黒い堕天機に囲まれた赤い、文字通り異色の機体――サハラの愛機、《アルヴァスレイド》の前だった。

「見りゃわかると思うが、少し応急処置を施した」

 ゴロウの言葉に、サハラはもう見慣れた愛機を観察する。切り飛ばされた左腕など、剥き出しだった破損個所が《アステロード》の部品で塞がれている。

 しかしそれはまさに修理でもなんでもなく、『塞いだだけ』と言った感じだった。

 一通り確認したサハラは礼を言った上で尋ねる。

「じゃあ戦闘は出来るのか?」

「うーむ、戦闘か……」

 途端に難しい顔をするゴロウ。

 彼もまたサハラとは短い付き合いではないため、その気性は知っている。

「一応飛べはする状態だが……被弾すると落ちるかもわからん」

 未だに全貌のはっきりしていない《アルヴァ》の性能と今の状態を加味して、ゴロウはそう告げた。

 つまり、《エンジェ》や《アルケン》相手の戦闘なら可能だが中級以上だとやや危ない……サハラはそう結論付けた。

「だがもう少しでイーナクだ、大丈夫だろう……あぁ、あとな」

「どうかした?」

 思い出したようにゴロウはサハラへ注意を促す。

「《アルヴァスレイド》……先日の戦いから、どうにもコイツのコックピット内呪光量がちょっと多い。コックピットだけじゃない。全身から染み出しててな……」

 アンゲロスにとっての呪光とは、核動力にとっての放射線と言える。簡単には、強力な動力故に発生する副作用のようなものだった。人体や機体への影響が未だに分からないのもこの「呪光」である。

「もしイーナクまでに乗ることがあったら、重々気をつけろ。あと乗る時は整備員用のヘルメットを被っていけ」

 ゴロウはそれだけ告げると、自分の持ち場に戻ろうとした――が、突如として艦を赤い警告灯とアラートが包む。

「うぉっ!?」

驚き少しよろめいたゴロウの腰からスパナが格納庫内に音を響かせ、それを合図かのように放送が鳴り響いた。

『各員へ非常連絡! 艦後方の洋上に次元のゲートの発生を確認! これより本艦は第一戦闘態勢に入る! 繰り返す――』

「ちぃっ、言ってるそばからこれだ!」

 スパナを拾いながらゴロウは悪態を吐くと、近くに掛けてあった整備員用のヘルメットをサハラに手渡す。

「戦闘態勢ってことはお前たちパイロットはコックピット内で待機だ、無理はするなよサハラ!」

「あぁ!」

 ゴロウは改めて、他の整備班と共にせわしなく動き始めた。それを見送ったサハラは、格納庫の隣にあるロッカールームへ走る。

 アラートと警告灯の赤で頭が完全に戦闘のそれへと切り替わる。つい十数分前まで感じていた吐き気などもう忘れ去っていた。

 誰もいないロッカールームに駆け込むと、サハラはベンチに借りたヘルメットを置くと、素早くパイロットスーツへ着替える。

 そうしていると遅れてシューマが飛び込んで来る。

「ったく……もうイーナクだってのに」

 シューマがそんな愚痴を零しながら着替えていると、セイゴも到着して指示を出した。

「セイゴ隊各員はコックピット内で待機だ。指示が通るように、回線だけ繋げておけ。護衛隊の戦況次第で我々も出る」

「了解!」

 先に着替えてしまったサハラはヘルメットを掴むと、再び格納庫へ戻る。

 途端に、体を強い潮風が包んだ。

「うおお、こうなるのか……」

 格納庫の中心――ではなく、隅の細い通路を駆け抜けながら、サハラは奥を見やる。

 先程まで壁でしかなかったそれはがばりと大きく開き、外へと通じるようになっていた。カタパルトがない代わりに、ここから歩かせて出撃するらしい。

 そしてセイゴ機シューマ機と向かい合っていた二機の《アステロード》も動き始めていた。生身の人間に注意しながら、慎重に外へと足を進めている。

 《アルヴァ》はその開いた壁の一番傍だ。サハラは風に煽られないように気を付けつつも、一気にタラップを駆け上がる。

 胸元にあるスイッチでコックピットを外から開けると、ヘルメットを被って乗り込んだ。

「首と額が苦しいな、これ……」

 慣れないヘルメットに文句を言いながら、サハラは回線だけを起動させる。

 その中でふと、右腕の近くにあるメーターを見る。堕天機のコックピットには必ずある残り活動時間の表示……《アルヴァ》のそれは、真っ黒で何も映してはいなかった。

「活動時間、か」

 改めて自分が忘れていたものを呟く。

 《アステロード》が《アルヴァ》になってから、このメーターは何も表示しなくなっていた。故障かどうかも分からないまま、今に至っている。

 一応未だに《アステロード》と同じ時間内で出撃しているが……それが何を意味しているのかはサハラはまだ知らなかった。

『サハラ! シューマ!』

 護衛隊の《アステロード》二機が出撃してからそう経たない内に、セイゴからの通信がヘルメット越しに聞こえる。

『《エンジェ》《アルケン》に加え、別の天使が現れたらしい。救援に向かうぞ』

「了解」

 一番出口に近いサハラは返事をすると、《アルヴァ》を起動させてその足を進める。

 別の天使? 《ヴァーティス》、《ドミニア》、それとも《ヘルヴィム》か……?

「……よし」

 いずれにしろ気を引き締めなければならない。

 サハラはヘルメット越しに己の頬を叩くと、《アルヴァ》を甲板に進めた。

 堕天機に乗っても狭いとは感じない甲板で上空を見上げる。するとそこでは二機の《アステロード》と天使たちが戦闘を繰り広げていた。

 サハラはそれを確認すると、ペダルを強く踏み込んだ。ブースターが波を立て、《アルヴァ》が甲板を蹴り飛び上がる。

 数としてはもちろん天使が多い。サハラは飛びながら戦況を確認する。

 大半は最下級の天使である《エンジェ》。その中に数えるほどの《アルケン》が見える。

「おらぁッ!」

 飛び上がった勢いのまま、《エンジェ》一機を殴り飛ばしながらサハラは首を回した。モニターは全天周だが、ヘルメットのせいで脇目での確認が出来ない。

 見ると、後を追ってくるセイゴ隊の《アステロード》、そして遠くには護衛隊の《アステロード》がそれぞれ《アルケン》と戦闘しているのが見えた。

 さすがはテノーラン行の護衛と言ったところだろうか、《アルケン》相手に一歩も引けを取らない。

「これなら《アルケン》は任せられるな……っと!」

 顔を正面に戻しつつ、右腕の呪光砲で辺りを薙ぎ払う。乱雑な攻撃ではあるが、群れる《エンジェ》たちが数機、爆裂する。

 だがその狭間から見えたものに、サハラは違和感を覚えた。

「なんだアレ……?」

 アンゲロス特有の虹色の爆発が晴れると、それらは姿を現した。そしてサハラはそれが、報告にあった「別の天使」であることを瞬時に悟る。

 しかし。

「なんだアレ……!?」

 サハラの感想は変わらなかった。

 そのシルエットは言うなれば――かめ

 短い手足と、丸みを帯びた重厚な胴。

 腰に付いた翼も添え物程度の大きさであり、それよりも平らで太い、甲虫のような腕部装甲が目を引く。

そして胸に見える砲門。

 全身に走る緑色の文様が天使であることを物語っているが、そのずんぐりとしたシルエットは異質だった。

 サハラの目の前にはその天使が五機ほど並んでいる。

「なんだコイツら……アランッ!」

 距離を保ち警戒しつつ、サハラは艦へ通信を飛ばす。アランが管制に入っているかどうかは分からなかったが、応じたのは幸いなことにアランだった。

『データ出た! 中級の天使、《エクスシア》だ!』

「《エクスシア》……!」

 ヴゥン……!

 サハラがその名を呟くと、横一列に並んだ《エクスシア》の文様が一斉に光る。

「……上等!」

 サハラはその様子に妙な緊張感と高揚を覚えると、ペダルを踏みこんだ。《アルヴァ》が勢いをつけて突っ込む。

「まずはッ!」

 サハラはそう叫ぶと、腰にマウントした剣を抜き放った。大上段に構えると、それを《エクスシア》一気に振り下ろす。

 戟音。

 そして次にサハラの口から洩れたのは、驚きだった。

「なッ……コイツ、正面から!」

 そこには、腕の装甲で《アルヴァ》の剣を正面から受け止める《エクスシア》の姿があった。

「このォ……ッ!」

 サハラは力任せにレバーを押し込んだ。《アルヴァ》の緑眼が閃き、火花が散る。しかし、《エクスシア》は全く動じていなかった。

「中級の天使……まさか」

 サハラが一つの結論に辿り着いた瞬間、《エクスシア》の文様が鈍く光った。

 次の瞬間、《エクスシア》は一旦身を引いたかと思うと、そのまま勢いをつけて体当たりしてきた。

「ッ……!?」

 予想外の行動と衝撃に、サハラがヘルメットの中で呻く。体勢を立て直すべく操作しようとした――が、気配を感じて振り向いた。

 ヴゥン……!

 見えたのは鈍い緑色の残光と丸い白のシルエット。別の《エクスシア》だろうか。ヘルメットのせいでよく見えない。

 そう考えていると、後ろからまた衝撃が襲った。

「ゔぇ……ッ!」

 首が締まり、潰れた蛙のような声が出る。また体当たりかよ!?

 このままだとピンボールにされかねない。サハラはそれを察すると全力で体勢を立て直した。

「ふッ……!」

 顔をあげると、《エクスシア》たちは横一列から一転、《アルヴァ》を囲むように並んでいた。

「『中級の天使は特化型』……」

 訓練生時代に叩き込まれたフレーズを口にするサハラ。その目には静かな興奮が宿っていた。

「《エクスシア》……防御特化って訳かよ……!?」

 ごめんおっちゃん、これ邪魔だ。

 サハラは心中で謝りながら、借りた整備用のヘルメットを脱ぎ捨てた。視界が開け、喉も額も自由になる。

 《エクスシア》を睨みながら、深呼吸。……大丈夫だ。別段頭痛とかはない。

 サハラは操縦桿を握り直すと、その不気味な輪に向かって咆えた。

「こっから仕切り直しだッ!」

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