第三章 双星の牙

第9話 双天の狩人

 そこに座る男には翼があった。


 漆塗りのように、艶やかで黒い翼。


 しかしその翼と彼の全身は、傷付いていた。


 男は僕の姿に気付き、乾いた笑いを漏らす。


 ――君は、この私を心配してくれるのか?


 僕は頷いた。

 すると男は、何かを確信したようにニヤリと笑った。


 ――やはり私の思った通りだ。彼らは蹂躙されるべき相手ではない。


 すると彼は、僕に手を差し伸べた。


 ――これが私の最期の力だ……君に託そう。


 何を?


 ――この黒い翼を。この私の……想いを。



 体の奥が熱くなるのを感じて――サハラは目を覚ました。

「……なんだ今の……」

 サハラは己の右手を見つめた。

 妙に生々しい、リアルな夢だった。幼い俺と、黒い翼の男。……まさか夢じゃない?

 記憶かと思い、サハラは頭の中を探る。しかし寝起きだからか、靄がかかったように思考が働かなかった。

「……まぁ、重要なことだったら思い出すだろ」

 サハラはそこで考えることをやめた。悩み続けても仕方がない。

 サハラが顔を洗い着替えた頃、部屋をノックする音がその耳に届いた。

 こんな朝から? サハラは不審に思いながらドアを開ける。するとそこに立っていたのは、例の上官だった。

「東雲サハラ、朝からすまないな」

「あっ……えーと」

 サハラは口ごもる。突然の来客で驚いたのと、よくよく考えれば彼の名前を知らなかったからだ。

「……朝霧アサギリ マイトだ、全く」

 彼――朝霧はサハラが名前を思い出せないことを察したのだろうか、自ら名乗ると手短に用件を語る。

「今回は単純に様子を見に来た。あれから数度戦闘もあったからな」

 朝霧の言う『あれ』とは先日、サハラがセイゴ隊に復帰したときのことだろう。

 サハラと《アルヴァスレイド》は正式にセイゴ隊に復帰したものの、未だデータを取られ続けていた。しかし当然ながら、今まで何も変化はない。

「定期的に検査も受けているな?」

「えぇ、はい」

 朝霧はサハラの言葉を聞きながらその全身を睨んだ。

 体に何も変化は起きていない。それは検査でもはっきりしている。……しかしサハラはその視線に何か怪しいものを感じざるを得なかった。

 そもそもサハラにとってこの男――朝霧マイトに良い印象はない。それが尚更、疑心を加速させていた。

 数十秒サハラを観察した朝霧は、キッと踵を返した。

「了解だ。これからも検査を受けるように」

 背中越しにサハラへそう吐き捨てると、朝霧はつかつかとサハラの部屋を後にする。

「……なんだったんだ……」

 サハラはその後ろ姿を見送りながら呟いた。何も気後れすることはないが、あの朝霧の視線はどこか心中を突き刺すように感じる。

「……嫌な感じだな」

 サハラが悪態を吐いていると、ドアを閉める前に今度は別の来客が現れた。

「今あの上官……えーっと、名前忘れた……。まぁ、すれ違ったんだけど、何かあったのか?」

 そう言いながら遠慮なく入ってきたのはアランだった。名前が思い出せなくてモヤモヤしているのか、手袋をした左手でポリポリと額を搔いている。

 サハラはそのまま、半ばアランに導かれるように部屋の中へ戻った。

「いや、単純に様子を見に来ただけらしい」

 勝手にベッドへ腰を下ろすアランを尻目に、サハラは手近な椅子に座った。

「様子、ねぇ……」

 アランが顎に手を当てる。

「なんか怪しいんだよなぁアイツ」

「アイツって言うなよ」

 一応上官だぞ、とツッコむ。まぁ言いたくなる気持ちはわからなくもないが……。

 しかしそれは口に出さず、サハラは『怪しい』と思った理由を聞いた。

「んー、勘だけどさ」

 アランはしかし、確かな口調で続ける。

「《アルヴァ》の一件以来やたらとサハラに突っかかってくるし、なんかなぁ……」

 首を捻るアランだったが、その疑念はなんとなくらしい。サハラはそれよりも、と話題を変えた。

「相変わらず似合わねぇな、それ」

 サハラが指したのはアランの手。アランは黒い革製の手袋を嵌めていた。しかも左手だけ、だ。

「仕方ないだろー。包帯でぐるぐる巻きにしたらそれこそ目立つ。トレードマークってことにしようぜ?」

 なんだそれ、とサハラは笑った。

 アランが片手だけ手袋をしているのは、過去に負ったひどい火傷後を隠すためだとサハラは聞いている。実際に見たことはなかった。

 アランはいつ如何なるとき――例え風呂でさえも――手袋を外さなかった。サハラはそれを、アランなりの気遣いなのだろうと感じている。

 まぁ、似合っていないことは確かなのだが。

 二人の話が雑談へと変わり始めたとき、聞き慣れた、しかし耳慣れない警報が部屋に響く。

『天使の襲来を確認。天使の襲来を確認。カトスキア各員は戦闘態勢に移行せよ。繰り返す――』

 サハラとアランの表情が切り替わる。二人は目を見合わせると、同時に部屋を飛び出した。アランは管制室、そしてサハラはロッカールームへと走る。

 中には既にカーテンが引かれていた。マオがいるらしい。サハラはそれを尻目に自分のパイロットスーツを取り出した。

「……よし」

 自分がエースであるということを再確認し、袖を通す。手に入れた力、全力で使ってみせる。

 着替えていると、すぐにセイゴとシューマが入ってきた。二人もまた、着替え始める。

 一足先にサハラが終え、格納庫へ向かおうとするとセイゴから声がかかった。

「サハラ、コックピット内で待機だ。機体は起動しておけ」

「了解です」

 指示に頷くと、サハラはロッカールームを飛び出す。

 騒音が全身を包む。駆動音、怒鳴り声、サイレン……その中を駆け抜け、第二格納庫へ辿り着く。

 そこでは堕天機ならぬ堕天機、《アルヴァスレイド》が主を待っていた。

 ちょうど調整を終えたのだろう、近くにはゴロウの姿がある。

「おっちゃん!」

「あぁ、いつでもいけるぞ!」

 ゴロウのサムズアップにサハラもまた同じ仕草で返すと、いつものように赤と黒の機体を駆け上がりコックピットへ入る。

 流れるようにシートへ、《アルヴァスレイド》を起動させる。

 ヴン、という音がコックピットを覆い、《アルヴァ》の緑眼が閃いたことを告げた。モニターが格納庫を映し出す。

 操縦桿や足元のペダルを確認していると、管制から通信が入る。アランだ。

『こちら管制。そっちは大丈夫?』

『セイゴ機、準備完了だ』

『シューマ機、オーケイ』

『マオ機、大丈夫です!』

「サハラ機、いつでもいけるぜ」

『よっしゃ、じゃあ出撃準備どうぞ。その間に説明します』

 アランの指示で第一格納庫の《アステロード》三機と第二格納庫の《アルヴァスレイド》が出撃へ動き始める。

『今回、次元のゲートが現れたのは山岳地帯』

 山岳地帯。

 海に面するユデック基地の陸側、少し離れたところに山が広がる場所がある。今回はその上空に現れたということだろう。

ゲート自体はまだ開いてて、《エンジェ》《アルケン》が確認されてるんですが……』

『ですが……?』

『どうした、歯切れ悪いな』

 マオとシューマが聞くと、アランは不思議そうな声で報告した。

『実はそれらの動きが不自然で……こう、いつもみたいに市街地へ向かう機体もいるんですが、半数がゲートのある中空を哨戒してるんです』

『哨戒? ……ふむ、警戒しよう』

 セイゴがそう言うと、シューマが皮肉った。

『うちはエースパイロット見習いのお陰で先陣切るからな』

「うるせぇ」

 サハラが言い返そうとすると、セイゴが呆れたようにたしなめた。

『シューマ』

『わかってますって。俺も働きますよ』

『市街地へ向かう天使は他の部隊が撃破に向かいます。セイゴ隊はそのまま山岳地帯の方へ向かうように、との指示です』

 タイミングを見計らってアランが指示を飛ばす。

『では、そろそろ出撃ですよっと』

 アランの声に呼応するようにセイゴ機、シューマ機、マオ機、そしてサハラ機が順番にカタパルトへ入る。

『――アンゲロス波長確認。カタパルト推力正常。進路クリア――』

 ぐっ、と《アルヴァスレイド》の膝が沈み込む。視界の先には、雲一つない青空が開けていた。サハラが操縦桿を握り締める。

『――サハラ機、発進どうぞ!』

「東雲サハラ。四番機、《アルヴァスレイド》出るッ!」

 アランの声に弾き出されるように、サハラは出撃した。



 先陣を切るセイゴ隊。離れた後ろに他の隊の《アステロード》たちが続く。

『見えてきたぞ』

 セイゴがそう言った頃、天空にはぽっかりと開いた次元のゲートとその周りを飛ぶ天使が見えてきた。

『確かにアレは哨戒だな……』

 シューマが呟いた通りだった。

 半数の天使は通常通り、山を下り市街地の方へ向かっている。しかし残りの半数は、まるで穴から出てくる何かを警護するように動いていた。

『サハラ、先日の《ヘルヴィム》が出てくる可能性もある。特に警戒しろ』

「了解」

 セイゴの言葉に先日の戦いを思い出す。

 上級の天使、《ヘルヴィム》と謎の男ウリエル。

 次こそは、とサハラは先に闇の広がる穴を睨みつけた。

『では各機、散開!』

 セイゴが言い放つと同時に三機の《アステロード》と《アルヴァスレイド》が動く。

 《アルヴァ》を駆るサハラは通常の動きをする《エンジェ》《アルケン》を撃ちつつ、穴の方を警戒することにした。

「そこッ!」

 山を下ろうとする天使の一群を狙い、掌の呪光砲で薙ぎ払う。《エンジェ》数機が爆散する中を、《アルケン》が反撃に飛び出してくる。

 《アルケン》は文様を光らせると、爆風をかいくぐりながら呪光砲を放つ。

「食らうかよッ!」

 サハラは空を蹴るように光を躱すと、一気に《アルケン》へ接近する。

 《アルケン》は朱槍を突き出し迎撃。サハラがペダルを軽快に踏み分けると、《アルヴァ》はその槍を最低限の動きだけで躱す。

「ここッ!」

 サハラが操縦桿を突き出す。《アルヴァ》はその雄叫びに呼応するように朱槍を叩き折ると、折れた先を掴み、振りかぶる。

 《アルケン》の文様が驚いたように点滅する。《アルヴァ》は構うことなくその頭部を貫いた。同時にブースターを燃やし、その爆発から逃げる。

 サハラはアンゲロスの光を尻目に穴を見上げた。

 すると。

「隊長! ゲートに動きが!」

 《アルヴァ》が睨む、その視線の先。

 天にぽっかりと口を開けた虚無から今まさに、二機の天使が新しく現れようとしていた。

 一機は、長大な砲を携えた天使。

 《アルケン》よりも細身のシルエットで、走る文様の色は赤。頭部の文様は単眼のようなデザインをしていた。

 一機は、一対の両刃剣を構えた天使。

 こちらはより武骨なシルエットで、太い腕には多くの文様が走っている。その色は青。

 明らかに《エンジェ》でも《アルケン》でもない機体を前に、カトスキア側の緊張が一気に高まる。

『ま、また上級の天使……!?』

『アラン、解析急げ!』

 不安を口にするマオ、檄を飛ばすセイゴ。

 サハラはなんとなく――なんとなくだが、その二機が何かを探しているように見えた。物色と言い換えてもいいかもしれない。辺りを見回しているというか、なんというか。

 そしてすぐに、アランからの報告が来る。

『敵機判明! 赤い方が《ヴァーティス》、青い方が《ドミニア》……共に中級の天使です!』

 《ヴァーティス》。《ドミニア》。

 中級の天使ということは何かに関しての特化型であるということを意味していた。

「じゃあ遠距離機と近接機ってことか……」

 サハラがそう呟いたときだった。

 何かを探していた二機の視線がぴたりと止まった。天使の機体には目らしき造形はないが、サハラはそう感じた。《ヴァーティス》、《ドミニア》の文様がより一層、輝く。

 そしてその直後。

「ッ!?」

 《ヴァーティス》がその長大な砲を構え、放った。狙いは――《アルヴァスレイド》。

「俺かッ!」

 探していたものは自分かもしれないと、サハラは今更ながらに予感する。

 砲から放たれたのは《アルケン》たちのそれより一層強く輝く呪光。間に合わない。サハラは躱すことを諦めると、腕部のシールドで受け止めた。

「畜生がッ!」

 その輝きに目を細めながら、サハラは操縦桿を握り直した。すぐさま反撃に移ろうとする、が。

 光が晴れたそこには、既に赤い文様と二振りの刃が煌めいていた。近接型の、《ドミニア》。

「くそッ!」

 焦ったサハラが実体剣を抜こうとする、その一瞬を狙い、《ドミニア》は刃を時間差で振り下ろした。一撃目をシールドで受けた《アルヴァ》だが、弾かれ胴がガラ空きになる。

「ちぃッ!」

 ペダルを踏み、後退を試みる。しかし二太刀目は容赦なく振り下ろされ、結果アルヴァは眼下の山肌に叩き落とされた。

「ぐぁッ!」

 衝撃が容赦なくコックピットを襲う。腹部を殴られたような痛みが襲い、サハラは呻いた。飛びそうになる意識を、歯を食しばって繋ぎ止める。

 土を被った《アルヴァ》が見上げた先では、《ドミニア》と《ヴァーティス》が並ぶように《アルヴァ》を見下ろしていた。

 サハラが緊張した面持ちで睨む。次はどっちが来る? そんなことを考えていると。

『――ハシウマルよ、如何どう思う?』

 そんな言葉が耳に届いた。

 冷たく、高圧的な声。その知らない声、そして謎の不快感に顔を歪ませながらサハラが辺りを見回すと、声に呼応して《ヴァーティス》の文様が光っていた。

 すると返事をするように、《ドミニア》の青い文様もまた光る。

『――如何どうも。無翼の出来損ないだ、サドキエル』

 変わって、「ハシウマル」と呼ばれたのは落ち着いた低い声。しかしその冷たさは「サドキエル」と変わらない。

 無翼の出来損ない。きっと己のことだろうと思いつつサハラはまた顔を歪ませる。

 二人の天使の声――サハラはウリエル以外の声を聞くのは初めてだったが、その声は何故か胸に言い知れぬ不快感を生んでいた。同時に頭の中で響くように聞こえ、頭痛に似たそれさえも感じていた。

 シューマも同じだったようで、苦々しい声があがる。

『こいつら……オープン回線で……』

 そう、天使たちの声は全ての堕天機にも聞こえていた。しかし二人の天使は構わない、という感じだった。まるで言葉を理解しない動物の前のように、平然と続ける。

『――堕天の件は、如何する?』

『――如何も。おのずと知れる』

 サハラを見下ろす二機が、再び得物を構えた。

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