第19話 迫る
「天使化……」
サハラはその言葉を、自分の中に落とし込むように反芻する。デオンは一旦立ち止まると、その様子に納得したように頷いた。
「あぁ。最近になって君も聞くようになったはずだ。……さて」
デオンが足を止める。そこは小さな診療室のような場所だった。だが似つかわしくなく、本や資料がうず高く積まれている。
「元々私が医者……というのはどうでもいいか」
奥へと入りながらデオンはそう言った。
「ここが私の研究室だ。まずは何か、飲み物でもどうだい?」
「まぁ、紅茶しかないがね……私はコーヒーが飲めないんだよ」
お道化るように肩を竦めながら、デオンはデスクにつく。一人用には少し大きく見えるそれを挟んで、サハラは彼と対面していた。
「あぁ、どうも」
応接用のソファにどかりと腰を下ろすサハラを見て、デオンが大きく笑う。
「実に気持ちがいいな君は。堅苦しい学者よりよっぽどいい。そのまま楽に聞いてくれ」
デオンは自分が淹れた紅茶に口をつけると、さて、と本題に戻る。
「天使化……の話だったか。まずはこれを見てほしい。あまり気持ちの良いものではないがね」
デオンはそう言うと、操作したパソコンの画面をこちらに向けた。彼がエンターキーを押すと、何か動画が再生され始めた。
映されているのは倉庫のような、格納庫のような場所。それにしては厳重に管理されているようで、多く並べられたケースの中には虹色に輝く球体があった。
「これはこのイーナク基地で半年前撮影された、アンゲロス保管庫の映像だ」
アンゲロス。
人類が天使から得た戦利品であり、堕天機の動力。
映像にはその保管庫で、作業をする職員たちの姿があった。
「アンゲロス、と呼んでいるがこれは呪光の結晶体だ。わかりにくようなら『水』に対しての『氷』くらいに思ってくれて構わない」
映像を再生しながらデオンはその説明を始めた。
「全く未知の、地球上には存在すらしていたかったエネルギー、それが呪光だ。天使側のメインエネルギーであり、そして聖天機、堕天機の血液とも言えるものだ」
職員たちは非常に慎重に、それを取り扱っていた。大きさとしては直径2メートルほどか。
「それ故に、呪光が我々や地球上のものに及ぼす影響は知れていない。唯一判明しているのは――」
そこでデオンが、画面の右側を指差す。そこでは若い男の職員がケースを開け、中のアンゲロスの状態を確認しているようだった。
と、その瞬間彼が足を滑らせてアンゲロスの方へ倒れる。彼の伸ばした手とアンゲロスが触れた。
『うあああああああ!!』
断末魔。
刹那、画面が真っ白にとんたかと思うと、そこにはもう彼だったもの――灰のような残骸しか残っていなかった。アンゲロスは微かに点滅している。
「……このように、高濃度の呪光に晒されたものは一瞬のうちに灰燼と化す。聖天機の掌には必ずある呪光砲もこの作用を応用した兵装だろう」
デオンはそう話すと、ぱたんとパソコンを閉じた。
「だが稀に、人であろうと機械であろうと呪光と適合し、進化することがある。それを私たちは、天使化と呼んでいる訳だ」
その原因が何かは分からないが、今は置いておこう。
デオンはそう告げると、サハラの目を正面から見据えた。
「『アズゼアルの昇天』……先ほども話したが、アレは天使化に他ならない。そして君もその瞬間を見ていたはずだ」
「……」
問われ、サハラは幼い頃の記憶が蘇る。
突然輝き出した《アズゼアル》。苦しんでいるような、悦んでいるような男の声。虹色の光。六枚の羽。開く次元の
デオンはその表情から察すると、話を続けた。
「《アズゼアル》は天使化し、最上位の聖天機――《セラフィーネ》となって次元の向こうへと消えた。確認こそされていないが、パイロットであった旭ウリュウも天使化したことだろう」
そして、とデオンは人差し指を立てる。
「最近また、同じような事例が確認された……それが君と、《アルヴァスレイド》のものだ」
『あの力がお前に扱えるのか。『アズゼアルの昇天』の二の舞になるぞ』
かつてセイゴにかけられた言葉を思い出す。自分が、いや自分だからこそあの事件と今自分の状態が似ていることはわかっていた。
しかしそんなサハラの考えを、デオンは覆す。
「だが今回と前回では明らかに違う。違い過ぎる」
「違う?」
「あぁそうだ」
聞き返すサハラに、断固としてデオンは答える。
「カトスキアの上層部は再来だの二の舞だの言っているらしいが、全てが違う。ただの火災とキャンプファイヤーを同じ『炎』だと騒いでいるようなものだ」
もちろん、今回はそんな愉快なものではないがね。
デオンはそう付け加えた。
「でも違うっつったって、どういう」
「説明しよう」
サハラが訊こうとすると、やや食い気味にデオンが語り始めた。
「まずは事前の状態だ。《アズゼアル》は天使を素体にし、元より呪光の影響を受けやすかったのに対し、君が乗っていたのは《アステロード》だろう? 活動限界が近かったとは聞いているが、それでも《アズゼアル》のときとは全く異なる」
デオンは後ろにあったホワイトボードに次々と相違点を書き出していく。
「次に変化だ。光を放ち、姿が変わった。確かにこれだけ見れば同じだ。しかし《アズゼアル》は即座に《セラフィーネ》とう形で分かりやすく聖天機化したのに対し、君の《アルヴァスレイド》はどうだ? まだ羽すら、文様すらない。今の君の機体は堕天機でも聖天機でもない、中途半端な状態なんだよ」
デオンは勢いよくまくしたてると、しかしそこでペンを置いて再び座った。その目はより真剣なものになっている。
「……だがそれ故に心配だ。心配なのはそこだよ。君の戦闘データは最新――とは言え先日の《ヘルヴィム》までだが、朝霧という職員を通じて目を通した。はっきり言おう」
そこで一旦目を伏せたが、デオンは躊躇せず言い放った。
「《アルヴァスレイド》の天使化は確実に進行している。あの《ヘルヴィム》と渡り合うのだ、確実に
私は君に聞きたい、とデオンは告げた。
その面持ちは重い。真剣そのものの表情から、彼は尋ねた。
「東雲サハラ。君は徐々に、天使化しつつあるのではないか?」
「……!」
その時サハラが感じたのは不気味さだった。
自分の中の得体の知れない何かが、振り返ったような。目の前で天使の文様が光ったような……そういう部類の気味の悪さだった。
「あくまで仮説だが」
と前置きして、デオンは続ける。
「君の機体はもしかすると、《アズゼアル》が一瞬にして遂げた変化を徐々に起こしているのかもしれない。……いや、あくまで仮説だ。そもそも君に起きているこれと、《アズゼアル》のそれが同じ現象かも定かではないのだから」
そう言いつつも、デオンはどこか焦っているようでもあった。
「だが君が、君だけが天使化しないというのはどう考えてもおかしい。一瞬ではないにしろ、それこそ乗機と共に静かに変わりつつあるのかもしれない」
サハラは己の掌を見つめる。前と変わっただろうか。……わからない。このまま話を聞いていれば、サハラは自分が何者かもわからなくなるような気がした。
「……わからない」
サハラが素直にそう答えると、デオンはふむと腕を組む。
「ならば些細な変化などはなかったか? 天使に身体的に近付きつつあるとか。そうだな、例えば目の色が――」
しかし、そこから先は鳴り響いたサイレンによって遮られた。
『天使の襲来を確認。天使の襲来を確認。カトスキア各員は戦闘態勢に移行せよ。繰り返す――』
いつもとは違う声。しかし聞けば体の動く文言だった。
「ッ!」
「あぁ、待て!」
サハラが椅子から立ち上がり、飛び出そうとするとそれをデオンが止めた。
「どこに行くつもりだ?」
「どこって、出撃を」
「《アルヴァスレイド》は修繕中だぞ?」
その言葉に、開いた口をどうしようか迷うサハラ。しかしもう足は走り出そうとしていた。
その様子を見たデオンが、やれやれと首を振る。
「君は言っても聞かないタイプだな。良いだろう、自分の目で確かめれば諦めもつくだろうさ!」
デオンはそう言うと、白衣を羽織り直して研究室を飛び出した。
「こっちだ、来たばかりの君では分からないだろう? ついてくるんだ!」
「助かる!」
サハラはその後を追って走り出した。
先程までとはうって変わって騒がしい基地の廊下を駆け抜ける。響くアナウンス。サイレン。
デオンの白衣を追い駆けて辿り着いたのは、機械音と怒号の飛び交う格納庫だった。
「ここは第三格納庫、外部から来た君の機体ならここに……あれだ!」
デオンが指差した方向には、作業員に囲まれ、そしてなにやら大仰にシートまで被せられた《アルヴァ》の姿があった。
「おっちゃん!」
サハラはデオンを追い抜き、愛機の足元で作業を仕切っていた残夜ゴロウに声を掛ける。
「なんだ、サハラ」
目を丸くするゴロウへ、サハラは詰め寄る。
「《アルヴァ》、出せるか?」
「馬鹿言うんじゃねぇ」
その言葉に呆れながら、ゴロウは作業を見上げた。
「もう本格的に弄り始めてんだ、アンゲロス周り以外にも、左腕って大仕事があるしな……腕を諦めたとしても、出撃には二時間は要るぞ」
そんなに待てるはずはなかった。聞けば、セイゴとシューマは既に修繕の終わった《アステロード》で出撃したという。サハラは更に焦る。
「焦る必要はないだろう」
息を切らしながらも、そう言ったのはデオンだった。
「イーナクにだって堕天機はあるんだ。それに、君は君で知らなければいけないことも多い」
さぁ、研究室に――デオンがそう、手を差し出したときだった。
轟音。
その場にいた誰もが振り返る。
眼に映ったのは、崩れた格納庫の壁。
そして空を背にこちらを覗きこむ《エクスシア》の群れだった。
いや、衝撃的なのはそれよりも。
「なっ……!?」
空を覆いつくさんばかりの天使――《エクスシア》の大群だった。
「《エクスシア》……しかも肩に黄のエンブレム……?」
デオンが呟く。確かに、いまこの第三格納庫を覗きこんでいる《エクスシア》には他と違い、黄色の翼のようなエンブレムがあった。
ヴヴィゥゥン――!
その《エクスシア》たちの文様が妖しく光る。
まずい!
サハラがそう感じた瞬間、横から飛来した《アステロード》の部隊がそれを蹴散らした。
『ここはもう危険です、避難を!』
イーナクのパイロットだろう、一機はそう告げると逃げた《エクスシア》たちを追った。
作業員たちの声や手が止まる。彼らもまた、避難しようとした……が、デオンが叫んだ。
「違う……黄のエンブレムの《エクスシア》はその
見れば、空から別の黄のエンブレムを持った《エクスシア》たちが、こちらへ静かに近付きつつあった。
「くそッ……!」
愛機が狙われ、更に焦るサハラ。何か出来ることはないのか、そう思って闇雲に辺りを見渡す。
何か。
何か……!
「……!」
サハラは何かを見つけると、弾かれたように飛び出していた。
それは格納庫の隅に並べられた、機体。
牡牛のような頭部にT字のバイザーと、逆三角形の上半身。腕には《アステロード》のものより小ぶりだが、シールドもある。
堕天機ではあるようだがうっすら埃を被っていた。長く使われていないらしい。
「東雲サハラ、君!」
走るサハラの後ろ姿にデオンが気付く。しかし迫る《エクスシア》を前にどう動くことも出来ない。
その間にもサハラは通路の階段を駆け上がり堕天機の胸元まで辿り着くと、そのコックピットを開けようとしていた。
「くっそ……ハッチのスイッチが固い……!」
普段なら手で難なく動くスイッチが動かない。本当に長く使われていないらしかった。
その間にも、戦線の《アステロード》たちをすり抜けて、《エクスシア》が迫りつつある。
「おらァッ!」
業を煮やしたサハラは乱雑にスイッチを蹴り飛ばした。すると鈍い音を立ててコックピットが開く。
その埃っぽさに一瞬だけ顔をしかめて、サハラはその中に潜り込んだ。
「くそ、モニターは全天周じゃないのか」
《アステロード》や《アルヴァ》のそれよりも窮屈なコックピットで機体を起動させながら、文句を言うサハラ。
だが背に腹は代えられない。そもそも起動するかも怪しい。
「頼む、動いてくれよ……!」
焦りで動く足を鎮めながら、サハラが祈っていると、モニターが点く。
起動。そして機体がサハラに己の名を告げる。
「AIGS-03……《モレイク》……!」
あぁ、なんということだ。
デオンは状況に困惑していた。
もう第二波の《エクスシア》は目の前だった。再びその不気味な文様で覗きこむ。
「黄色いエンブレムが何か分かれば、あるいは……!」
あるいは?
どうにもならない。どうすることも出来ないが、デオンは学者だった。故に頭は自然と働いていた。
「エンブレムということは、所属か……?」
後ろでは作業員たちの無言の悲鳴が聞こえている。
「避難したいのは分かるが、後始末だけは付けろ! 自分たちで基地を吹っ飛ばしたくなきゃな!」
そう怒号を飛ばすセイゴ隊のメカニック、残夜ゴロウの声にも焦りが滲み出ていた。
東雲サハラは走りだしてしまった。物陰で彼が何を見つけたのかはわからないが、この状況を変えうるのか?
――ヴィウウウウン!
強く光る文様。格納庫が一気に気味の悪い緑色で照らされる。
見れば、黄色いエンブレムを持つ《エクスシア》の一機が格納庫を覗きこんでいた。両の掌をこちらに構えている。
呪光砲。
あぁ、まさかその銃口を向けられる日が来ようとは――デオンはもう、そんなことを考えていた。何かが振りきれ、一種の感動すら覚えている。
砲に呪光が集まり始める。芸術的なまでに美しい。あぁ、もしかしたらこれは研究者として名誉な――
「させるかあああああああッ!」
呪光を放とうとしていた《エクスシア》は、巨大な影によって殴り飛ばされる。
もう生を諦めかけていたデオンは我に返ると、その姿に目を見開いた。
「も、《モレイク》……まさか!」
「コイツ、借りるぞ博士!」
コックピット内。サブカメラで足元を見ながらサハラは安心していた。
間に合った。ギリギリだが。
「……やるじゃねぇか」
老いぼれのクセに、とコンソールパネルを小突く。コイツが動いてくれて本当に良かった。これで俺も戦える。
「それは《モレイク》、《アステロード》の前身とも言える機体だが……操縦したことは?」
「ない!」
声を届かせるため、必死で叫ぶデオンを背にしながらサハラは《モレイク》と共に崩れた壁の前に立つ。
殴り飛ばした《エクスシア》が他と合流し、こちらを睨んでいる。……上等。
「そうか、だが操縦系統はほとんど同じだ! 活動限界にだけ注意してくれ!」
言われて、肘をどけながら活動時間を確認する。……7分!?
「短いな……だが!」
今はここを守れるだけの力があればいい。
サハラはそう意気込むと、仕切り直すように咆えた。
「東雲サハラ、《モレイク》――いくぞ!」
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