第39話 東雲サハラ

 全天周モニターが映し出す外の景色は、モノトーンのそれ。白一色のイェーヴェと、《アルヴァ》自身が切り開いた灰煙が立ち上っている。

 サハラは操縦桿を握り直し、腕の感覚を確かめる。……大丈夫だ、悪くない。いつものように――いつもの《アルヴァスレイド》のように、接続した腕は瞬時に機能するようになっていた。今までは《アステロード》のものを流用していたから、今の《ドミニア》の腕ではマッシヴに見えるかもしれない。


「さて……」


 背中に冷たい汗を感じながら、サハラはモニターの正面を睨んだ。《アルヴァ》がいま正面に捉えているのは、《アルヴァ》自身が切り開いた道。

 あの吊り下げられていた格納庫から直接来たのだろう、イェーヴェの内壁は崩れ大穴が空き、サハラのいた牢獄まで一直線だった。

 そして穴を通じて、サハラにはこちらへ向かってくる聖天機たちが見えた。防御特化の《エクスシア》を主としつつ、近接特化の《ドミニア》や数の多い《エンジェ》が蠢くのが見える。

 ――ヴゥゥン……!

 ――ヴィゥン!


「上等だ……!」


 《アルヴァ》を呼んだ。牢獄からは脱出した。しかし、サハラにはその先の考えは全くなかった。状況が好転したのかさえわからないが、それでも、進んだ。それだけで今のサハラには十分だった。


「ウリエルは……だだな」


 モニターを見回して、ウリエルの姿を探すが見当たらない。他の大天使も同じだった。ここへ連れて来たのはウリエル、それを考えるとヤツが出てこない訳は無いのだが……それでも、今がチャンスに変わりはない。


「――し!」


 サハラは早々に決意を固めると、前のめりになってペダルを踏み込んだ。


「――蹂躙するぞ、《アルヴァ》!」


 呼応するように、《アルヴァ》の文様と眼が煌めく。白い反逆者は青い尾を引いて穴の中へ突っ込んだ。

 踏み込んだと同時にサハラは武装を確認する。腕部カイトシールド、当然なし。実体剣は外されている、なし。小銃も同じく、なし。いま《アルヴァ》にある武装は掌二基の呪光砲だけだった。


「冗談じゃねぇ……が!」


 一瞬脳裏をよぎったガブリエルの童顔を憎く思いながらも、サハラは目前に迫る二機の《エクスシア》を睨む。


「武器なんかなくてもッ!」


 《エクスシア》と衝突する寸前、腕の盾を構えた二機へ《アルヴァ》は蹴りを放つ。 空中で器用に体勢を変えて、鋭い回し蹴り。《エクスシア》の側面に白足が突き刺さる。この一撃で撃破、とは当然ならなかったが、蹴られた《エクスシア》の体勢が崩れたのを感じて、《アルヴァ》の金文様が光る。


「このままッ!」


 いける。そう確信したサハラによって更に加速する蹴り。《アルヴァ》がその剛力で薙ぎ払うと、隣の《エクスシア》諸共、二機がイェーヴェの通路へ叩き込まれた。

 更に崩れ始めるイェーヴェに、サハラは不敵に笑う。


「このまま大暴れしてやろうじゃねぇか……!」


 ここは次元のゲートの向こう。いくら暴れても地上に影響はないだろうし、上手くいけば戦わずして大天使を倒せる。その場合帰れなくなるかもしれないが――そこはまぁ、後から考えればいい。


「そうと決まれば!」


 サハラは瓦礫に潰される二機の《エクスシア》を一瞥すると、更に格納庫の方へ飛ぶ。

 次に迫り来るのは《ドミニア》。双剣を構え、武器のない《アルヴァ》へ迫る。その青い文様に、サハラはかつてユデック基地で戦った天使の名を思い出す。


「ハシウマル……!」


 赤い天聖天機である《ヴァーティス》のサドキエルと共に現れ、セイゴ隊を苦しめた二人の天使。目の前でマオの《アステロード》が半身消し飛ぶ様を思い出し、サハラの中で黒い炎がおこる。


「だが、今はッ!」


 怒りの形相と共にペダルを蹴っ飛ばし、《アルヴァ》が加速する。《ドミニア》の文様も呼応するように煌めき、お互いに接近する。両腕を広げる《ドミニア》。その双刃が《アルヴァ》に迫る。

 サハラはそれを瞬きもせず睨んでいた。


「――遅いッ!」


 中段から切り払うような一太刀目、続く上段からの切り下ろし二太刀目。しかし《アルヴァ》は一太刀目をその腕を掴むことで止め、同時に振り下ろされた方は掌の呪光砲で吹き飛ばした。光の爆発と共に二太刀目の刃が《ドミニア》の手から落ちる。完全に焦ったように、《ドミニア》の文様が点滅した。


「――是は貰うッ!」


 《アルヴァ》の緑眼が閃いたかと思うと、空いていた方の手が、吹き飛ばした《ドミニア》の剣を掴む。そしてそのまま大上段から真っ二つに切り裂いた。

 刹那の内に爆散する《ドミニア》。サハラは息を吐く間もなく、気配を感じて顔を上げる。見れば、今度は物量戦とばかりに《エンジェ》が押し寄せてきていた。


「――雑魚共が!」


 サハラはそれを認めると、剣を持たない方の腕を構える。《アルヴァ》が何かを掴むように、掌を突き出して飛ぶ。迫り来る《エンジェ》。サハラは胸中の黒い炎をより強く意識して、トリガーを引いた。


「――出ろッ、次元障!」


 一瞬、虹色の光をぼうっと灯す《アルヴァ》の掌。そして展開された次元障により、《エンジェ》たちが阻まれ、そして圧し飛ばされていく。穴一杯に広がった次元障は聖天機を一掃し、《アルヴァ》は間もなく格納庫へ至った。

 押し流された《エンジェ》たちが吊られていた聖天機と激突し、格納庫が爆光の海と化す。そしてその中に、《アルヴァ》を待っていたであろう一つの機影。


『――派手にやるじゃ無いか、東雲サハラ』

「ウリエル……!」


 光が晴れ、姿を現す《フムス=セラフィーネ》。その緑の怪腕を忌々しく思いながらサハラは宿敵の名を呟いた。


『――是は……成程。覚醒の為、牢獄に入れたが機体に乗って居る方が天使化が進むのか……』


 《アルヴァ》のコックピットにサハラの歯ぎしりが響く。ウリエルの言葉は核心を突いていた。戦闘による感情の高ぶりなのか――サハラは《アルヴァ》のコックピット内でより天使化しているように感じていた。


『――面白い、が。ままイェーヴェを沈めさせる訳には、な!』


 その言葉が終わらない内に、《アルヴァ》はまた瞬間移動した《フムス》によって掴み抱えられていた。


「確か……次元翼!」

『――ああ、其の通りだ!』


 哄笑するように煌めく《フムス》の金文様。格納庫の爆砕の中を飛ぶ《フムス》から、《アルヴァ》は逃れることが出来ない。その怪腕でしっかりと掴まれていた。


『――戦には戦に相応しい場所が在る!』

「くそッ、離せ!」

『――くく、戦場は俺達の覚醒の地、テノーランの空だ東雲サハラァ!』


 ごう、と不思議な物音がしてサハラはコックピットの後ろを振り向く。全天周モニターの後方、《アルヴァ》の背部が映し出していたのは間直に迫った次元のゲートだった。

 一瞬の暗転。それが晴れた頃にはもう、《アルヴァ》と《フムス》はテノーランの上空に躍り出ていた。


「一旦、脱出出来たか……!」


 サハラは束の間安堵するが、しかしまだ《アルヴァ》は《フムス》の腕の中だった。


「このッ!」

『――正気で勝てるとでも!?』


 ウリエルの嘲笑と共に急降下する機体。シートに後頭部を強打して、眼の奥が燃える。一気に地上目指し飛ぶ《フムス》。サハラもペダルに全体重を掛けるが、その勢いは全く衰えない。


『――前にう云ったな……貴様は弱者でしか無いと!』

「……ッ!」


 フラッシュバックする光景。急降下する《ヘルヴィム》。蹴散らされる仲間。背後に迫る基地。そして、今感じるのは焼け付くようなデジャヴ。


「させるかクソがぁッ!」


 最早振り返らずとも感じるテノーラン基地――否、ユデック基地の幻影。サハラは半ば強迫観念に駆られ、滅茶苦茶に《アルヴァ》を暴れさせる。


「クソッ! クソッ!」

『――何も! 何も変わらん! 今のままの貴様では! 人の儘の貴様では!』


 脳裏に浮かぶ砕け散ったユデック基地。拭い去れない敗北感。あそこから変わるために俺は、俺はここまで……!


「いいやッ、俺は強くなった! あの時よりも!」

『――ハッ、如何どうかな! 現にうしてまた、己が機体で基地を崩す!』

「違うッ!」


 サハラはその瞬間、《アルヴァ》の左腕が微かに動くのを感じた。そのまま左の掌を《フムス》に向け、そのまま次元障を展開する。


「離れろッ!」

『――次元障を扱う様に為ったか! だが!』


 刹那、展開された次元障によってウリエルの機体が弾かれる。しかし、次元障に《フムス》の緑腕が取りつく。


『――全く甘い! 無意味だ、東雲サハラ!』


 緑腕は猛烈に火花を散らすと、そのまま障壁を突き破って《アルヴァ》の胴体を捕らえた。砕け散る次元障が虹色に煌めく。


『――くははは! 其の障壁で、其の盾で、何を守れた!』


 再び加速する《フムス》。サハラはその腕に剣を突き立てるが、ウリエルは狂ったように嗤い続ける。


『――否、何も守れはしない! 母親一人さえも!』

「――ッ!」


 その言葉に、サハラは再度黒く滾った。


「――貴様……貴様ァーッ!」


 《アルヴァ》の文様が全身を駆け巡り、ブースターが咆哮を上げる。同時に、腕の文様を怒らせ怪腕を引き剥がさんと掴みかかる。


『――事実だろう東雲サハラ! 貴様は母を失った! 己のせいで!』

「――黙れッ! 俺は、俺は――!」


 激しい火花と金属音。《アルヴァ》の金文様が猛然と輝き、《フムス》の怪腕が押し広げられていく。


「――おおおおおおおおおッ!」

『――そうだ! そうで無くては!』


 ウリエルの歓喜の声。テノーラン基地に迫る2機の流星。しかしそれを目前として――《アルヴァ》の眼が赤く閃き、《フムス》の緑腕を振りほどいた。


「――あの時とは……あの時とは違う……!」

『――くくく……くははははは!』


《アルヴァ》のコックピットにサハラの声が響く。そして次の瞬間、顔を上げたその瞳には黒い炎が燃え盛っていた。


「――俺は、貴様をおおおおおおおおおおおおッ!」


《アルヴァ》の文様が方向を上げると、獣のように《フムス》へ組みかかった。次元障を展開し、同時に飛び退く《フムス》。猪の如き《アルヴァ》はそれに一度激突し、弾かれるも、再び突っ込む。


「――俺は! お前を! 貴様を! 決して!」

『――来い! 殺せる者為らば殺してみせろ東雲サハラ! 天使へ堕ち、俺と同類に為らねば其れは叶わぬ!』

「――あアアアアアッ!」


 ――ヴィォォォォォッ!

 再び咆哮する《アルヴァ》の文様。天高く飛び行く《フムス》の翼をただ一心に襲う。全速力で突っ込む《アルヴァ》を遊ぶように躱す《フムス》。行き過ぎた《アルヴァ》を体ごと方向転換させたサハラは、憎しみのままに剣を投げ飛ばす。


「――死ねッ!」

『――無駄だ! 人のままでは!』


 腕を組んだ《フムス》はまるで子供をあしらうように怪腕で剣を払いのける。その無為にサハラの憎しみがまた煽られる。全身が炎のように熱くなり、コックピット内の声も聞こえない。


『……ハラ! サハラ! クソッ、応答しろ!』


 管制のアラン。同時に、マオからも通信が届いていたが、サハラの耳にはウリエルの嘲笑しか届かない。

 ほぼ同時に、テノーラン基地から出撃した堕天機たちが現れる。ウリエルはそれを一瞥すると、以前のように次元のゲートを開き、聖天機たちを呼び出した。


『――興醒めさせてくれるなよ、人間共!』

「――ウリエルゥゥゥゥゥッ!」


 白い流星となりながらサハラはシートから腰を浮かせ飛ぶ。二機の《アステロード》がそれを目指すが、《エクスシア》たちに阻まれる。


『サハラ! くそっ、コイツ戻ってきたと思ったらまた……ッ!』

『ルディ隊が動けない以上俺たちでどうにかするしかない、突破するぞシューマ!』


 奮戦するシューマ機とセイゴ機の目前を、《フムス》を追ってサハラが横切る。その目には仲間の機体は映らない。


「――お前は! 貴様は此処ここで殺す! 此処で! 俺が!」

『――来い! くく、俺が捨て去ってやろう、其の人間性を!』


 闇雲に突っ込む《アルヴァ》をまた怪腕が捉え、その掌が閃光を宿す。高濃度の呪光が《アルヴァ》を包み、文様を痛いほど発光させ、汚染していく。


「――ぐ、がアアアアアアアアア!」

『――燃え尽きてくれるなよ、東雲サハラ!』

「――れる、なァッ……!」


 サハラは全天周モニターに大写しになった《フムス=セラフィーネ》を睨む。是を、殺す。此処で、俺が。

 悪意が、憎しみが呪光と共に燃え上がる。虹色の光が差すコックピットでサハラはその光に力を見る。

 ――そうだ。此の力さえ有れば、俺は此奴こいつを殺せる。母の、仇を討てる。為らば、為らばもう構う事は無い。例え身を堕としても、俺は……!


「――此の、此の光で……!」


 サハラがコックピットに満ちる呪光へ手を伸ばす。その髪が銀色に変わり始め、その背中が熱を帯び始める。

 しかし。


『逃げてんじゃねェーッ!』


 怒号がコックピットに響き、サハラの眉がピクリと動いた。


「――逃げる? 俺が?」


 誰の声だったか、それすらもハッキリしないまま、サハラは問い返した。憎悪のこもった声が、通信の主に向けられる。


「――馬鹿を云うな、俺は、俺は此の力で奴を……!」

『それが逃げだって言ってんだよ!』


 通信からも怒号が帰ってくる。それは、女の声だった。力強い、自信と誇りに満ちた声。その声は、更に続けた。


『お前は、そんなもんに頼らなきゃアシェラの仇も撃てないのかって言ってんだ!』

「――お前に……」


 サハラの伸ばしていた手が握り締められ、叫ぶ。


「――お前に、貴様に何が解る!」

『――くははは、堕ちろ! 堕ちろまま!』


 呪光と共に、ウリエルの哄笑が響く。コックピットの呪光濃度は更に高まり、しかしその中を女の声が響く。


『アタシにはわからないさ、アンタの気持ちなんて! でも仇を討ちたいのはアタシだって……タオやハウだって一緒だ!』

「――貴様は母を失った訳じゃ無いだろうルディ!」

『……でも!』


 一度何かを飲み込んで、ルディは再び叫んだ。


『人じゃないアンタで敵討ちに成るのかよ! 人のままで……アンタのままで勝てよ! サハラッ!』

「――……ッ!」


 人のままで。天使ではなく、人間のままで――!

 サハラの目が見開かれる。俺は俺のままで。どこかで聞いたその言葉に揺り動かされる。そしてその耳に、ルディではない女性の――聞き慣れた女性の声が届く。


『サハラ、あの……サハラは何があっても――』


 それは、小春日マオの声。その先は、サハラは聞かなくても覚えていた。

 俺が呪光に侵されても、俺が母さんの子じゃなくなっても俺は俺。そして俺は、ルシファーでも、ウリエルでも……旭ウリュウでも、ない。


「そう……だ……」


 蘇る、母の言葉。

『サハラの力は……誰でもない、サハラの力。……ウリュウでも、ルシファーでも、ない。……だから、サハラなら、きっと……』

 俺の力は、誰でもない俺の力。光の宿った母の眼。サハラはぐっと拳を握り立ち上がった。

 なら、俺は……人として、俺のまま、ウリエルを!


「そうだ、俺は、俺だ……」

『――貴様、何を――』


 サハラは再び、シートに腰を下ろす。ペダルに足を乗せ、操縦桿を握る。燃え上がる呪光の中、サハラは深呼吸をして――モニターの《フムス=セラフィーネ》を見た。その目に黒い炎は、ない。


「悪いなウリエル……俺はお前とは違う。……あぁ、俺はお前とは違う!」

『――馬鹿な事を。興醒めだ、貴様も……!』


 サハラは操縦桿を握り締めると、全力でそれを薙ぎ払った。《アルヴァ》の文様が光り、その腕が《フムス》の怪腕を振り払う。


「俺は……俺は、人間の、東雲サハラだ!」

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