第四章 強襲の翼

第13話 束の間の光

 そこは真っ白な空間だった。


 大理石のように輝く白の真ん中に、黒い翼の男。


 そしてそれを囲むように配された玉座が四つ。


 男の背面にある玉座を除けば、全ての場所に白銀の翼を持つ三人が座っていた。


 ――彼らは一方的に蹂躙すべき種族ではない。わかっているはずだ、ラファエル。


 黒い翼の男が説く。


 「ラファエル」――そう呼ばれた白い翼の女は、憐れむようにどこか遠くを見ながら口を開いた。


 カリヨンのように澄んだ声が響く。それは幾重にも反響し聞き取ることは叶わない。しかし黒い翼の男の言葉は届いていない様子であった。


 その澄んだ反響の中を、トランペットのような鋭い声が貫く。


 少年のような風貌の声の主は黒い翼の男の前へ歩み寄ると、顔を歪ませて挑発するようにまくしたてた。


 ――ガブリエル、貴様……!


 黒い翼の男が、「ガブリエル」――そう呼ばれた白い翼の少年を睨むと、彼はは愉しそうに笑った。


 ――……ミカエル!


 黒い翼の男が声高に叫ぶ。「ミカエル」――それは、男の正面に座す、彼とよく似た風貌の白い翼の男の名だった。


 「ミカエル」――そう呼ばれた男は、冷徹な視線で黒い翼を射抜いたまま、口を開く。


 オルガンの如き荘厳な声は、短く、告げた。


 ――く、失せよ。



 首元にヒヤリ、と刃物を当てられたような気がして――サハラは目を見開いた。

「……はぁ……はぁ…………」

 少し荒い呼吸を抑えながら、辺りを探る。人の気配は……ない。

 しばらくそのまま様子を見て何もなかったので、サハラはさっきの感覚を気のせいだと思うことにした。

 そう思えるほどに、先程見た『ミカエル』の一言は冷たく、鋭く、そして無慈悲だった。

「それに、夢……」

 体を起こしながら思い出す。

 また『黒い翼の男』の出てくる夢。

 しかし今度は違う場面のようだった。前のような記憶っぽい感覚じゃなく、どこか映画の回想を見ているような。

 そして『ラファエル』『ガブリエル』『ミカエル』、三人の天使。

「くそ……なんなんだこの夢……」

 寝ぐせのついたぼさぼさ頭をぐしゃぐしゃと掻く。最後の言葉が、まだ耳の中にこもっているようだった。

『疾く、失せよ』。

 自分に向けられた言葉ではないとは言え、その一言には言い表せぬ重みがあった。……刃物を首に感じたのも、あの殺気、凄みのせいだろう。

「畜生、朝から調子狂うな……」

 サハラはベッドから下りると、顔を洗おうと洗面所へ入った。

 蛇口を捻り、冷たい水を手に受ける。二、三度洗うと意識も覚醒してくる。

 タオルで顔を拭いたサハラは、何気なくそのまま正面の鏡で己の顔を確認し――違和感を覚えた。

「……?」

 見慣れた自分の顔。しかし何かが違うような……そう思い探していると、サハラは自分の目が金色に光っていることに気付いた。

 その光に、サハラは思わず目を見開く。

 サハラの目は、生まれた時から変わらず黒だった。

 しかし目の前のそれは、金色の煌めきを宿している。

 注視しようと一旦瞬きをした瞬間――それはいつもの、黒い瞳に戻っていた。

「……なんだったんだ、今の……」

 目が疼いている気がして、瞼に触れる。微かに熱を宿しているような感覚に陥る。

 鏡に映る自分に、違和感の余韻を感じながら呟く。

 一瞬金色に見えた己の瞳。違和感の余韻。夢。

「……どうした? 俺……」

 サハラは視線を落とした先の自分の掌が、何か別のものへと変わっているような気がしてならなかった。



「サハラぁ! 遅いぞー」

 朝の出来事から数十分後。

 基地の外にある街の一角。

 人々で賑わう噴水広場の前から手を振るアランに、サハラは「悪い悪い」と謝る。

 久々の休暇。サハラはアラン、そしてマオに誘われて買い物に来たのだった。……と言っても、男二人は荷物持ちだが。

「お前寝てたのか?」

「いや、そうじゃねぇって」

 今朝の『違和感』のことを思い出しながら、サハラはアランをさっと見る。

 セイゴ隊に限らず、カトスキア職員は普段制服を着用しているが、今日はオフということもあり私服だった。いや、そこはサハラ自身も私服なので当然と言えば当然だが。

 アランは黄色と白を基調とした、快活な印象を与える服装だった。しかしそれ故に、本人が『トレードマーク』と称する黒い革製の手袋が浮いて見える。

「お前それ止めた方がいいって」

「じゃあ火傷痕やけどあと見たいのかよ?」

「いや、別に見たい訳じゃねぇ……」

 いつもの問答を繰り返しながら、サハラはもう一人の姿が見えないことに気付く。今日の約束は、三人での買い物だったはずだ。

「おい、マオは?」

「マオならそこの店でなんか買ってたぞ、お前が遅いから」

「悪かったって言ってんだろ……」

 開き直ったような台詞を吐きながらアランの指し示した方を見ると、マオがこちらに歩いてくるところだった。

「おーい、サハラー!」

 休日の女子らしい、マオに似合った可愛らしい服装で右手には紙袋を下げていた。

 そして振っている方の腕――左には白を基調とした新しい『手』があった。

「遅いから先に買い物始めちゃってたよ、もう」

 えへへ、と笑うマオにサハラは少し目を泳がせる。

「それ。やっぱ見ると違うな」

「あぁ……そう言えばサハラは見るのは初めてだっけ」

 マオが自分の新しい左腕に目を落とす。つるり、とした綺麗な白い義手だった。

 サドキエルとハシウマルとの戦いから数週間。

 サハラたちは度重なる戦闘による出撃、そしてマオはリハビリがあったため実は会うのは久々であった。

 マオが義手にしたことはサハラも聞き及んではいた。しかし、実際に目にするとまた感じるものがあった。

「……」

 その白い腕をじっと見る。

 サハラにとってそれは、自分が未熟だったことの証でもあった。

「……忘れないために、これにしたんだ」

 マオの凛とした声が、サハラの耳に届く。

 アランとサハラが無言で促すと、マオはゆっくり話始めた。

「これじゃなくて、普通に人の腕に似た義手もあったんだけどね」

 にぎにぎと手のひらを閉じ開き、マオは新しい手の存在を確かめる。

「でも、ね」

「でも?」

 アランが聞き返すと、マオは強い笑顔で語った。

「義手だってわかる義手の方が、『私はこの腕でサハラを守れたんだ』ってわかるから。あとちょっとかっこよかったし?」

 最後の一言は茶化すように笑いながら、マオは顔を上げた。

「……変かな、私」

 少しほほを染めて微笑むマオ。聞かれた二人は顔を見合わせる。

 お互いの考えが同じであることを悟ると、アランとサハラはマオに笑い返した。

「そりゃあ、もちろん……」

「変じゃねぇよ」

 それを聞いたマオが「よかった」と再び笑う。

 そこには長い付き合いの中でも変わらない笑顔があった。

 サハラは改めてその義手を見る。

 『変じゃない』。それは心からの言葉だったが、それでもサハラは少し思うところがあった。

 俺のせいで、マオはこれからの人生そういう覚悟を背負わなくちゃならない。

 未だにそんなことを考えているのか。

 そう言われても仕方のないことだったが、それでもサハラにとっては「わかりました」と飲み込めるものではなかった。

 だからこそ、決意を新たにする。

 俺が、先陣切って戦うんだ。

 サハラは静かにそう、心に決めた。

「あ、でもね」

 再び店の方へ歩き出そうとしながら、マオはいたずらっぽく微笑む。

「まだ前みたいに上手く扱えるわけじゃないから、そのためにも荷物持ちがんばってね!」

「やっぱりオレたちは荷物持ちだってよ、サハラ」

「わかってたことだろ? 『金出せ』って言わないだけ優しいよ」

「あ、それいいね!」

「よくねぇよ! サハラが余計なことを言うから!」

「俺のせいかよ……」

 他愛もないやりとりを交わしながら、人々で賑わう華やかな通りを歩いていく。

 その中で、アランがふと思いついたようにマオへ尋ねた。

「そう言えば、マオが戦線に復帰するのってまだ先になりそうなのか?」

 その質問に、マオはうーんと唸る。

「まだコレに慣れてないからね……」

 動きを確かめるように、にぎにぎと手を動かす。

「さすがにまだ堕天機の操縦は難しいかも。……それにね」

「それに?」

 サハラが何気なく聞き返すと、マオは「えへへ」と笑った。

「ちょっと、考えてることもあるんだ。隊長や朝霧さんにも相談してて……でも今は秘密!」

「えー、秘密かよー」

 唇に人差し指を添えたマオを、教えろよーとアランが軽く追い回す。

 きゃあきゃあと逃げるマオと、謎のステップを踏みながら迫るアラン。訓練生時代の休日からよく見た光景に、サハラは思わず笑顔がこぼれた。

「でもよ!」

 マオを追い回していたアランが突然サハラをどつく。

「マオのお陰でサハラも成長したんだぜ?」

「成長、ねぇ……」

 サハラとしては全くまだまだなのだが、そんなことも構わずアランは続ける。

「管制から見てても最近なんだか動きが違うんだよなー。なんか自分でも最近変化を感じるところがあるんじゃないのか?」

 『変化』。

 その単語に一瞬、今朝の『違和感』を思い出すが、しかしアランが聞いたことはそれではないと思い直す。

「……いや、まだまだだよ俺は」

「へぇ……さっすが我らがエースは謙虚だねぇ」

 アランは一瞬だけ意味深な笑みを見せたが、サハラはそれをいつものからかいだとしか思わなかった。

「馬鹿にしてるだろお前それ……」

「馬鹿にしてねーって」

 ニヤニヤと笑いながら小突くアラン。一方マオは時計を見て嬉しそうな声を上げるのだった。

「もうそろそろお昼だよ~。何食べようか?」

「エース様の驕り、な!」

「馬鹿言うなって。俺が特別多く貰ってるわけじゃねぇんだし」

 マオが携帯端末を取り出して、辺りの飲食店を検索する。アランもそれを覗き込み、あーでもないこーでもないと騒いでいた。

 俺は刺身が食いたいなぁ、などと考えながらサハラが何気なく空を見上げる。

 突き抜けた青空。瑠璃色のそれはとても綺麗だったが、遠くに灰色の雲が見え『雲ひとつない』ではないな、と思っていた。


 ――……東雲サハラ……!


 悪寒が、走る。

 突然のことに、サハラは辺りを見回した。……しかし、周りの人々はみんな先程と変わらず。マオとアランもまだ、昼食を決めかねている。

 しかしさっき頭の中に響いた『声』は耳の中に残っている。

 言い知れぬ嫌な予感に、アランに声を掛けようとする、が。


 ――東雲サハラ……!


「っ!?」

 再び聞こえた声に、サハラは目を見開く。

 頭の中で響く聞き覚えのある男の声。

 誰だ。

 記憶を必死で探る――と、一人の存在に思い当る。

 純白の騎士に乗った、謎の声の天使。

『――……まだ四分の一、ってとこか……』

『そう熱くなるな……俺は……そうだな』

 サハラは直感的に、基地のある方の空を振り返った。

 まだ何もない、ただの青空。

 しかしサハラはそこに起きようとしている『異変』を感じ取っていた。


 ――東雲サハラ……!


「ウリエル……ッ!」

 サハラはその名前を呟いた。

 予感でしかないし、この声も幻聴でしかないが、それでもサハラは確信していた。

「おいサハラ、お前は……サハラ?」

 マオとの話を中断させて、アランがサハラの異変に気付く。

 遠くの一点を見つめ続けた直後、サハラはぽつりと呟いた。

「……ごめん、すげぇ嫌な予感がする」

「嫌な予感……?」

 マオが反芻するより先に、サハラは走り出していた。

 再来する不気味な存在の相手と、微かに現れ始めた虚無を睨みながら。

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