第十四章 叛逆の刃

第54話 俺の名前は

 巨大な次元のゲート――『門』に突入した《アルヴァ》を包んだのは闇だった。全く何も見えない、ただただどこでもない闇。何故かコックピット内の計器が放つ光さえも飲み込むその闇の中で、サハラは苦々しく呟いた。


「……参ったな……!」


 背中にセイゴ隊の仲間たちを感じ、雄叫びと共に突っ込んだは良いものの、そこから先を全く考えていなかったことを痛感する。ブースターを燃やしているが、正直今自分が進んでいるのか止まっているのかもわからなかった。

 思えば、前回舟イェーヴェに乗り込んだときはウリエルに敗けて気絶していた。気が付いたのは舟の中だ。まさか次元のゲートに入った直後にこんな闇が広がっているとは考えもしなかった。デオンも何も言ってなかったし。


「……闇、か」

 周囲に気を張りながら、それでもサハラは若干懐かしい気分だった。完全な、前後不覚の闇。それはイーナク基地の《モレイク》の中でも経験したものだった。正直、あまりいい思い出ではない。

「でも、今は違う。俺の中にあるお前だって俺……だからな!」

 あの日、心の奥底から這い出して来た恐ろしい『何か』。今なら――ウリエル戦を超えた俺なら、あれが何かわかる。そして、それさえ力に出来る。

 そう思って操縦桿を握れば、胸の中に熾る『それ』が導いてくれるような気がした。全く分からない、知らない闇だが俺に力をくれたルシファーの残滓がこちらだと教える。サハラはひとりでに頷くともう一度ペダルを踏み込んだ。



 気付けば、そこは舟の中だった。

 いつ闇を抜け出したかは知覚できなかった。しかし、純白の壁と機体越しでも感じる圧倒的な呪光がここを舟の中だと教えていた。前回来たときには見ていない場所に出てサハラは辺りを見回す。しかし、サハラにはすぐさまそこがどこか理解できた。


「『門』の直後だから当然か……!」


 舟に降り立った《アルヴァ》、その前に広がっているのは天井から吊られた数々の天使たちが《アルヴァ》の背後にある『門』の闇へ消えていく光景だった。つまり、カタパルトである。

 そしてサハラがそれに気付くとほぼ同時に、空間中の聖天機たちが一斉に文様を輝かせる。聖天機に顔の造形はないが、その頭部の文様がこちらを認識したのを肌で感じる。


「この天使たちは全部地上に出るわけで、ここで俺が倒せば――いや、どっちにしろ避けられねぇか」


 吊られた聖天機たちの様子が一変し、出撃を待たずして天井との接続を切り離していく。サハラは大きく息を吸い込むと、前のめりに構えた。その瞳が金色を帯びて、髪もまた銀色に染まる。モニター越しに見える天使たちは黒い翼の《アルヴァ》を遠巻きに警戒していた。


「――上等ッ! まとめて《アルヴァ》で相手してやる」


 不敵に笑うと同時にサハラはトリガーを引いた。掌の呪光砲が閃き、舟の壁や床を巻き込みながら天使たちを撃ち抜いていく。《アルヴァ》は緑眼を輝かせるとサハラの操るままに敵機の中へ突撃した。

 聖天機の中で指示が飛んだのだろうか、大量の《エンジェ》と《アルケン》が列をなす。サハラはそれを認めると掌を向けたまま呪光砲を切り替える。形成されるのは光の壁、次元障。更に加速した《アルヴァ》はそのまま突撃し、両手で大きく展開された次元障は多くの天使たちをその後方の天使ごと激突、押し潰す。

 しかし、天使たちの物量は圧倒的だった。次元障を展開する《アルヴァ》へ四機の天使が飛び出して来る。二機は奥で長砲を構える遠距離型の《ヴァーティス》、そしてサハラの隣に飛び出してきた二機は近接型の《ドミニア》だった。《ドミニア》二機は双剣を次元障に突き刺し、そして《ヴァーティス》はその長砲にエネルギーを溜め始める。


「四対一か。ユデック基地では苦戦したが……でもッ!」


 サハラは左右を刹那見ると、次元障を大きく展開させ、即座に解除した。刃を突き立てていた《ドミニア》たちは《アルヴァ》から弾かれた上、刃を空振って大きな隙を生む。《アルヴァ》はそれを見逃さず、その黒翼を金色に輝かせた。

 《セラフィーネ》だけが持つ空間転移能力、次元翼。《アルヴァ》が現れたのはエネルギーを溜める二機の《ヴァーティス》の背後。二機が振り返る間も与えず、《アルヴァ》はその頭部を掴むとそのまま呪光砲を炸裂させた。


「まずは《ヴァーティス》、そしてそれは貰う!」


 頭部が吹き飛び、文様を点滅させて落ちる《ヴァーティス》。サハラはその二機の長砲を見逃さず、奪い取って腰だめに構えた。純白の長砲に黒と金の文様が走り、放たれた光弾は突っ込んできた《ドミニア》諸共聖天機を薙ぎ払い、貫いた。


「――生憎、もう誰の腕も奪わせる気は無いんでな」


 爆散する《ドミニア》にそう吐き捨てながら、サハラは《アルヴァ》を駆って奥へと進んだ。

 進んでわかったが、そこは以前訪れた格納庫へ続いていた。多くの聖天機が吊られていたそこには、襲撃者の報を受けていたのだろう、多くの聖天機が待ち構えていた。

 天使たちを次々と葬り去りながら、サハラはその『手応えのなさ』に手応えを感じていた。呪光の満ちる舟の中、完全に天使化したサハラもまたその恩恵を受けているらしかった。前回来た時より気分も良い。


「――これなら……!」


 また一機、迫った《エクスシア》を突き貫いているとサハラは掌に何かがぶつかったのを感じた。視界の端に見えたそれは灰の詰まった小瓶。慣性に振り回されて動いたのだろうが、サハラはそれに気付かされて仕切り直す。


「そうだな母さん。俺は俺の仕事をするんだ」


 サハラは剣を薙ぎ払い周囲の天使を振り払うと、先程から感じていた大きな気配へと《アルヴァ》を向かわせた。

 感じ取れる大きな気配は二つ。サハラは漠然と、その一つがミカエルでもう一つがデオンたちの言う動力源だということを感じていた。そして、ミカエルの奥に動力源がある。いずれにせよ、ミカエルは倒すほかはなかった。

 サハラは前回の記憶とルシファーの感覚を辿りながら《アルヴァ》で突き進む。天井と床と壁をぶち抜き、崩し、壊しながら進む先は何度もミカエルを見ている場所――玉座の間だった。

 いくつものいくつもの廊下と扉を破壊し、《アルヴァ》は大きな扉の前に立つ。白銀の扉に星、秤、魚、百合の装飾が黄金に煌めいているが、百合の装飾だけは砕けていた。そしてサハラは、その前に一人の天使が立っているのを見つける。


「――黎明の残滓。再び邂逅する事は理解していた」

「メ――いや」


 肩ほどまである銀髪。伏せられた眼から覗く金色。そして、背には白鳥のような一対の翼。中性的な容姿で、男女の区別はつかないその顔立ちと、その抑揚のない無感情な声をサハラは知っていた。そして目の前の彼と全く同じ容貌の、人類唯一の協力者がいたことも思い出していた。


「……サンダルフォン、だったな」


 サハラはコックピットを開いて、《アルヴァ》の胸の上に立つ。肌に触れた濃厚な呪光はここが紛れもない舟の中であることを示し、そして目の前の天使の冷淡な態度が、彼が今は亡きメタトロンではないことを示していた。


「――如何にも。我が名はサンダルフォン。ミカエルに仕える者。理解した様だな」


 サハラがあくまで警戒しながら見下ろしていると、サンダルフォンは相変わらず無感情で呆れたような視線を投げながら、意外な言葉を口にした。


「――先刻見まみえた日の言葉を撤回しよう。貴様は大天使に至った。れはルシファーでもミカエルでもの片翼でも無い、新たなる翼。故に、謁見を赦す」


 玉座の間の扉、その前に錠前のように立っていたサンダルフォンはそう告げると脇に避けた。てっきり戦闘になるものと思っていたサハラは拍子抜けしながらも、しかし警戒しながら《アルヴァ》へ再び乗り込もうとした。だがそこへ、サンダルフォンの言葉が届く。


「――其の剣は置いて行け。謁見だ。空亡き翼は虚空に呑まれるぞ」

「空亡き翼は虚空に……」


 サハラはデオンの言葉を思い出した。動力を破壊すれば、舟は崩れて虚空に呑まれる。じゃあ、動力以前に舟を壊せば? もちろん、同じ結果になるだろうことは容易に想像できた。ならば、これ以上暴れても仕方がない。それに、サハラもどこかでミカエルともう一度会ってみたいと思っていた。

 サハラは舟の中で強化された身体を活かし、《アルヴァ》から飛び降りると門の前に立った。大きく深呼吸するサハラへ、サンダルフォンは告げる。


「――其の奥に在るのは憤怒だ。燃える冷徹だ。理解しろ」

「あぁ。……そう言えばサンダルフォン」


 サハラは口を開いて、少し戸惑った。何故サンダルフォンがミカエルと会うのを無条件で許したのか、サハラはそれが気になったが問えば取り消されるような気がした。一瞬躊躇って、サハラは別の言葉を続ける。


「……メタトロンは死んだよ。俺の覚醒を見届けて、多分、ルシファーの願いも全部果たして」

「――理解した」


 相変わらず、サンダルフォンの言葉に感情はない。それでも、サハラは何かが伝わったような気がした。彼は意を決すると、そのまま大きな扉を思いっきり開け放ち中へ進んだ。

 見覚えのある豪奢な空間。真ん中の空間を取り囲む四つの玉座。その三つには誰の姿もなく、唯一残った正面の赤い玉座に、その天使は座っていた。


「ミカエル……!」


 サハラがその名を呼び、中心へと突き進む。左腕に赤い秤の文様を刻んだその天使は、無言のまま、そしてその無言に怒りを露わにしながら来訪者を睨む。


「――黒き暁。黎明の星。嘗ての天使長。……何故戻った」


 ミカエルの荘厳な声が低く鋭く鳴る。それに対して、サハラは自身の天使の力を抑えながら答えた。


「全部、終わらせるため」

「――終焉? 数刻を経て訊けば其れか。中絶と終焉。何も変化は無い。所詮貴様の翼は黒い。」

「……」

「――貴様は殺した。堕とした。故に、其の黒き翼の一片たりとて赦されず。残滓も、欠片も、灰燼も、我が秤は既に傾いて居る」


 違う。

 サハラは途中から覚えていた違和感に気付いた。会話が成立していない。いや、成立しているのかもしれない。成立しているとすればそれは――ミカエルとルシファーの会話だった。ミカエルは、サハラにルシファーの亡霊を見ていた。


「――堕ちた翼が飛ぶ事は赦されず。我が神判を覆す事赦されず。此の間に貴様の玉座は無い。紛いの躰等霧散せよ」

「――お前……!」


 最早虚空へと語るミカエルのその様子に、サハラの胸の奥に黒い炎が熾る。ガブリエル、ラファエル、ミカエル……奴らだけじゃない。サドキエル、ハシウマル、サンダルフォン、メタトロンでさえそうだった。

『――なぁ東雲サハラ。山に住む猿を、木の上の猿を、檻の中の猿を――あの獣を、お前は人だと思った事が在るのか?』

 前回この玉座の間に来た直後のウリエルの言葉が、旭ウリュウの言葉が何度も頭の中に響く。そうだ、そうだった。


「お前たちはいつだって……いつだって、俺たちを見ていない……!」


 いくら目の前に迫ろうと、本拠地に乗り込んで暴れようと、ミカエルは目の前の『人間』を見ることはない。サハラはそれを改めて痛感し、そして悔しくなる。


「――…………」


 ミカエルは沈黙する。まるで、サハラの声など届いていないように。先ほどとは違う、ルシファーでは吐かない言葉に反応しないミカエルに、サハラは拳を握り締めた。


「そうかよ。……上等だ」


 それだけ呟いて、サハラは床を思いっきり蹴った。まるで縮地のように一瞬で赤い玉座に迫る。濃厚な呪光の恩恵を全て活かしながら、サハラはそのまま右の拳をミカエルへ放った。


「――遅い」


 ミカエルは最低限の動きで左手を上げると、その掌で拳を受け止めた。音もなく止められた拳は打ち震え、それでもミカエルはサハラの目を見ることはない。


「――躰は代われど再演か? ルシファー。下らん。実に下ら――」


 苛々を募らせたその声が、また虚空に響いた――が、しかしそれは重い衝撃と共に遮られた。ミカエルの目が見開かれる。拳を止められていたサハラが、その頭を振り上げると全力で額をミカエルの鼻っ面にぶち込んだのだった。


「――……ッ!」

「ようやく俺を見たな、ミカエル」


 黒髪から覗く額を真っ赤にしながら、サハラはそう不敵に笑った。ミカエルの金の瞳が怒りで揺らぐ。その瞳は今、ルシファーの残滓ではなく、目の前の、頭突きを繰り出した人間に向いていた。


「再演、とか言ったな。でもルシファーは頭突きはしなかっただろ」

「――失せろ羽無しッ!」


 怒りのままにミカエルが左腕を薙ぎ、サハラが吹き飛ばされ壁に打ちつけられる。白銀の壁にヒビを刻みながら立ち上がるサハラの額からは血が流れる。ミカエルは玉座から立ち上がりながら、憤怒のままに睨む。


「――煩い。黙れ。貴様はルシファーではない。黎明の残滓ですらない。だが、天秤は傾いた。秤は炎と化した」

「あぁ、俺はルシファーじゃねぇ。俺は俺だ。俺の名前は東雲サハラだ。お前を倒す一人の人間だッ!」

「――殺す。灰燼さえ残さず。此度こそ完全に消し去る、其の穢れた黒い翼を!」


 サハラの頭突きをくらって――人間から一発もらって、冷徹の奥底で燃えていたミカエルの憤怒が決壊する。彼はオルガンの如き荘厳な声を玉座の間に轟かせて、自らの剣の名を呼ぶ。


「――灼熱の天秤、我が名を以て其の姿を顕し愚かな羽無しを、其の躰に宿る黒を焼き尽くす! 我が赤炎の翼、《エシュ=セラフィーネ》!」


 もう後は戦って決着をつける他はない。サハラはまた、不敵に笑った。その髪が銀色を帯び、瞳が金色を呼ぶ。


「――是で総べて終わらせるぞッ! 来い、《アルヴァ=セラフィーネ》ッ!」

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