第十一章 百合の毒

第41話 時は来たれり

「ほら、やっぱりここだ」


 そんな声が耳に届いて、サハラは顔をその方向へ向けた。書類の散らばった机や応接用の椅子の向こう、部屋の入り口には二つの人影がある。


「ルディとデオンか……」


 サハラがその名を呼ぶとルディは軽くウインクをして、デオンは片手を上げて応じる。


「博士が探してたから、アタシも付いてきたんだ」

「あぁ、ごめんデオン」

「構わないさ」


 サハラが自室にいなかったことを詫びると、デオンは笑って許しながらこの部屋を見回した。


「私もこの部屋にいるような気はしていたしね」


 散らばった書類には堕天機の設計図が混じり、隣に繋がる扉の向こうには大仰な浄化装置リェスタがある。サハラの座るデスクのすぐ後ろには窓があり、今は星が煌めいていた。

 床は綺麗に掃除され、サハラは少しの呆気なさを感じる。


「部屋にいるよりは……今は、ここがいいんだ」


 隣で呪光も浄化できるしな、と笑ってみせるサハラ。ルディは何かを言おうとしたが、それを飲み込んで勢いよくサハラの背中を叩いた。


「おかえり、サハラ」

「ってぇな……あぁ、ただいま」


 ルディがにやり、と笑ってサハラも背中をさすりながら苦笑する。『おかえり』、その言葉とルディの笑顔に、あの時通信で届いた声が蘇る。力に手を伸ばして、それを『逃げ』だと叱咤した力強い声。


「俺が俺のまま帰って来れたのは、ルディ、お前のお陰だ。……さすが、カトスキアのエースは掛ける言葉が違うな」

「おいおい、そんなんじゃ困るなぁ」


 サハラは心からルディに感謝したのだが、ルディはやれやれと首を横に振る。その予想外の反応にサハラが呆けていると、ルディは腕を組んで座っているサハラを見下ろした。


「そんなんじゃ困る、って言ってるんだ。アンタもエースなんだぜ、サハラ? アタシと張り合うくらいじゃなきゃ困る」

「……当たり前だ」


 ルディが差し出した手に、サハラは握手で応じた。


「まぁ、アンタと《アルヴァ》がどんだけ強くなってもカトスキア最強はこのアタシ、星影ルディだけどな!」

「そいつはどうかな。今の俺は強いぜ、段違いに」


サハラが冗談めかして挑戦的な笑みを浮かべると、ルディあ「その様子なら大丈夫だな」と確認して、デオンを置いて部屋を出ようとする。


「じゃあデオン。アタシは戻ってハウとタオの相手しなきゃだからさ」


 サハラの様子を見て満足したルディは手をひらひらと振りながらここ――東雲アシェラの元研究室を出ていった。

 サハラはそれを見送って、母親の使っていたデスクから立つ。


「デオンが来たってことは検査か何かの結果が出たんだろ? 行こうか」

「あぁ、いいや。ここでいい」


 デオン本人の研究室が良いかと思ったサハラだったが、デオンはそれを断り座るように促す。その手には予見通り検査の結果だろう、書類が握られていた。

 ここで良いと言われ、サハラは再び腰を下ろす。それを見て、気遣うようにデオンが声を掛けた。


「帰ってから色々あっただろう。体調はどうだ?」

「色々……確かに色々あったけど、まぁ大丈夫だ」


 慣れたよ、と返しながらサハラはその『色々』に思いを馳せる。

 イェーヴェを脱出し、旭ウリュウ――ウリエルを討ったのが三日前の朝。あの後、ヤツに呼び出された天使たちをも撃ち、戦場を後にしたサハラと《アルヴァ》を待っていたのはいつか聞いたような朝霧の冷徹な声だった。


『聞こえるか、東雲サハラ。……機体を誘導する』

「……あぁ」


 以前聞いたような台詞。サハラはそれだけで朝霧の意図を察し、覚醒した《アルヴァ》を誘導された通りに降ろした。当然、コックピットから下りれば半ば拘束され、すぐに検査が始まった。仲間たちに会えたのは、それらが終わってからだった。安堵する隊長とシューマ、まだ心配するマオ、そしてなぜか寂しそうなアランの顔はしっかりと思い出せる。

 サハラが思い出しながら天井を見ていると、デオンが申し訳なさそうに呟く。


「……あまり居心地の良いものでもあるまい、今のテノーランは」


 それはきっと、周りの職員やパイロットたちのことだろう。まるでそれはデジャヴのように、覚醒したサハラには奇異と畏怖の視線が向けられていた。もちろんサハラもそれは強く感じていた。化け物だと、影では囁かれているのかもしれない。

 しかしサハラはデオンの言葉に首を振った。


「まぁ、良くはねぇけど……これが、俺だ」


 照明に手をかざしながら、それを実感する。別に誰に『凄いヤツ』だと思われなくても、構わない。俺は俺だし、アレが今の俺の力だ。


「……そうか。そうだったな」

「それより本題に入ろうぜ」


 デオンが安心したのを見て、サハラは彼が手にした書類を見ながら切り出す。するとデオンは、その中から数枚取り出して話し始めた。


「そうだな。まずは君自身の話だ、サハラ」

「あぁ、頼む」

「君の体だが……はっきり言って、もう呪光濃度がどうこうというレベルじゃない」


 デオン自身も驚いているのだろう、「何と言えばいいか……」と慎重に言葉を選ぶ。サハラはそれに、気遣いは無用だと促す。頷いて、続けるデオン。


「まるで血液と同じように、『存在して当たり前』のレベルで君の体は呪光に適応している。……言い方は悪いが、今君は人間のガワを被った天使と言って差し支えない」


 天使のガワを被った天使、と聞いてサハラは似たような例を思い出す。


「《アズゼアル》みたいなもんか」


 初代堕天機である《アズゼアル》は、カトスキアがメタトロンによって手に入れた聖天機に堕天機のガワを被せたもの。確かに、サハラの例えば言い得て妙だった。

 言い得て妙とはいえ、このタイミングで出す例えかとデオンは半ば呆れながらそれを肯定する。


「その状態で、君は無意識的にオンオフを切り替えているらしい。戦闘になればまた天使に近い状態になるだろう。……オフの状態でも後遺症のようなものはあるみたいだがね」

「あぁ、これか」


 デオンに指摘され、サハラは前髪の一部を弄る。サハラの黒い髪の中、そこだけがメッシュを入れたように銀色のままだった。他の部分や目の色は《アルヴァ》を降りると共に戻るのだが、ここだけは遺ってしまったらしい。


「まぁ、君自身今はまだ困っていないようだが……先日の戦いのように、心は強く持つことだ。また汚染能力を持つ敵が現れてもおかしくはない」


 デオンはサハラの体に関してはそう纏めると、次の書類を取り出す。


「さて、次は君の機体――我々の呼ぶところの、異天二号機についてだ。こちらも一応の検査結果が出ている」


 異天二号機。どこか懐かしくさえ聞こえる愛機の呼称を耳にしながら、サハラはデオンの報告に耳を傾ける。


「まず、あの機体とそれに連なる君の処分は保留だそうだ。……あの朝霧くんが、上手いこと掛け合ったらしい」


 デオンが珍しいな、と笑うとサハラもあの堅物の顔を思い出して笑う。あの覚醒の日、検査へ向かう前に朝霧とすれ違った。


「……異天二号機とお前の処分は追って通達されるだろう、東雲サハラ」


 いつも通りの口調に、そのまま行こうかと思ったが、


「……だが、その活躍は私からも報告しよう。約束する」


そう聞こえた言葉に思わず立ち止まったのだった。……どうやら、朝霧は約束を守ったらしい。ニヤリ、と笑いながらサハラはデオンの言葉を聞く。


「正直、我々は未だに目を疑っているよ。セラフィーネ化した異天二号機、《アルヴァ=セラフィーネ》の能力は凄まじいな……あの『支配』とも言える融合能力だ。本来は《アステロード》のものでも《アルヴァスレイド》のものでもない聖天機の腕が見事に同じ機体として融合している……」


 『支配』。その響きに、サハラはなんとなくぴったりはまる印象を受ける。《アルヴァ》が手にした部位や武器を、《アルヴァ》のものへと変える。指揮系統の上書き能力。まさに支配だ。


「そしてもう一つ、次元翼だが……こちらは検査すら出来ていない」

「やっぱりか」


 次元翼。《セラフィーネ》が持つ能力の一つで、瞬間移動や転移とも言うべき移動能力。しかし、格納庫へ収めた《アルヴァ=セラフィーネ》の背中からは、そのキーとも言うべき黒い翼が消えていた。


「あぁ。君の見立て通り、やはり次元翼は翼に依存した武装らしい。そして《アルヴァ》は戦闘時に翼が現れるようだ。……研究者としては参ったとした言いようがないな」


 半ば投げやりになりながら書類をしまうデオンに苦笑しながら、サハラは思い出したように「そうだ」と問いかける。


「デオン、アレはどうなってる?」

「アレ……あぁ、君の話していた天使たちの本拠地、イェーヴェのことか」


 イェーヴェ。人間で初めて訪れた天使たちの本拠地のことを、サハラはデオンに頼んで分析、もとい推測してもらっていた。


「《アルヴァ=セラフィーネ》から取れたデータの副産物的に、色々分かりそうだ。上手くいけば、あと数回次元のゲートが開く間に多くのことがわかるかもしれない」

「あぁ、頼む」


 サハラは強い眼差しで、意気込む。


「アレのことが分かれば、こっちからも攻撃を仕掛けられる。この戦いを――終わらせられる」


 その言葉に、デオンは笑いながらも感心していた。


「君は……君は、本当にこの戦いを変えるんだな。これまでも、これからも」


 頷くサハラに重ねて感心しながら、デオンは書類をまとめて立ち上がる。部屋を出ようと背を向けたところで、付け加えるように振り返った。


「あと……東雲アシェラ博士のことだが」

「……」


 サハラは無言でデオンの言葉を促す。デオンは少し言い淀むと、言葉を選んで続けた。


「君の検査とほとんど同時期に、簡素だが埋葬されたよ。遺体の状況から、その……本当に簡単なものになってしまったが、後で訪れると良い」

「……そうか。ありがとう」


 少し俯いたデオンへ、サハラは丁寧に礼をする。デオンは無言で首を振ると、切り替えるように口調を明るくして尋ねる。


「私はこれにて失礼するが、もう夜も遅い。ここにはベッドがないし、自室に戻ったらどうだい?」

「……いや」


 サハラは小さく首を振ると、椅子を回してデオンに背を向ける。彼が見る先には、朧に輝く三日月があった。


「色々片付いて、ようやくゆっくり出来る夜なんだ。考えたいことも、思い出したいこともあって……今晩はここにいさせてくれないかな」


 デオンはその揺れ始めた声色に深く聞くことはなく、あいさつ代わりに片手を上げるとポケットからイヤホンを取り出し、痛いほどの音量で音楽を聞きながら部屋を後にした。





「――ッ!?」


 サハラは耳に届いた音に、椅子から跳ね起きた。窓の外は白み始めたばかりで、時計を見ればまだ人も少ない早朝。どうやら昨日、座ったまま寝てしまっていたようだ。目の辺りを強く拭って、しかし感覚を研ぎ澄ます。


「……銃声……」


 廊下や隣の部屋からは何の物音もなく、基地はいつも通りの静かな朝を迎えているらしい。しかし、早鐘のような自身の鼓動が幻聴ではないことを告げていた。


「……夢、だったのか」


 研究室で寝てしまったせいで、例の、あの夜の夢を見てしまったのだろうか。いや違う。違う、そんな気がしていた。

 どうするべきか少し迷って、サハラは感覚を研ぎ澄ますように目を瞑った。一番まずいのは、これが幻聴でもなんでもなく、あの晩のように敵襲だった場合。相手が天使だったら、俺なら感じられるはず……!

 サハラの髪がうっすら銀を帯びる。しかし、いつもの迫るような悪い予感もなく、天使の存在は一つも感じられない。出来る限り広い範囲を探ってみたが、天使の反応は全くなかった。探っていると不思議な違和感があるが、確信に迫れるような気配はない。

 自分の思い過ごしかと、サハラは顔を上げようとしたがそこで違和感の正体に気付く。


「……待て、……!?」


 一つも感じられないのはおかしい。そうだ、テノーラン基地なら天使の反応は必ず一つは感じられるはず。それがない、ということは。


「――メタトロン……ッ!」


 サハラは早朝の違和感に気付くと研究室を飛び出した。白い廊下を駆け抜け、駆け下りていく。あの夜ほどのゾッとするような静けさはない。しかし、何かが始まるような、予兆な気がしてならなかった。

 そして、白い壁がどんどん黒くなった先にある赤い進入禁止の扉。普段、厳重に封鎖されているはずのそこが、開け放たれていた。サハラの嫌な予感が加速して、そのまま中へ飛び込む。


「……ッ!」


 純白のエントランス。しかし、床には黒と赤がぶちまけてあった。見覚えのある警備員が倒れ伏しているのを確認して、サハラはこの状況が尋常じゃないことを確信する。

サハラは心中で倒れ伏す彼らに詫びると、奥の扉へ近付く。一部血が飛んでこそいたが、扉はいつも通りしまっておりこじ開けられた形跡はない。しかし、この先に何かあることは間違いなかった。


『声紋認証開始。認証コードをどうぞ』

「コード:エノクッ!」

『……東雲サハラ、承認』


 電子音声が応じ、扉の中央にあった赤い光が緑に変わる。その先に続く坂を、サハラは勢いのままに駆け下りる。見えてくるあの部屋。壁を開き、見たガラスの向こう側、には。


「メタトロンッ!」


 肩ほどまである銀髪。伏せられた眼から覗く金色。そして、背には白鳥のような一対の翼。中性的な容姿、体中の計器。


「くそ……ッ!」


 サハラの目には、その額に大きく開いた傷が生々しく見えていた。銃殺だろう。やはり、さっき聞いた遠い銃声はこれだったのだ。


「…………へぇ」

「っ!?」


 突然の声に、サハラは警戒して自身の銃に手を掛ける。後ろからじゃない。ガラスの向こう側からの妙にくぐもった声。サハラはこの声がメタトロンを殺した者だと確信する。


「……誰だ」

「誰が来るかと思っていたけど、まさかキミ……とはね。いや、やっぱりキミと言うべき……かい?」


 姿の見えない声。しかし、サハラはその妙な話し方を知っていた。思い当る節があった。サハラがその人物を思い出すとほとんど同時に、メタトロンの遺体の陰からゆらりと長身が現れる。


「やぁやぁ。久しぶりかな……サハラ」


 作業着に白衣。すらっとした長身痩躯は極度の猫背。特徴的な細い目は、サハラが見た事のない風に、邪悪に笑っていた。


「長閑……ユード……!」


 そこに立っていたのは、紛れも無い、ルディたちのサポートをする『楽園の蛇』計画のメカニック、長閑ユードだった。しかし、その手にはいつもの書類や工具ではなく、拳銃が握られている。


「やっぱり、天使は天使を呼ぶ……のかな? 興味深い」

「お前、なんでここに……いや、それより。お前がやったのか」


 サハラは動揺しながらも、自身の銃をユードに向ける。ユードはそれに身じろぎもせず、ニタリと笑って頷いた。


「これは……号砲。僕たちの……我々の、号砲だよ」

「我々……?」


 その言葉と、この現状のちぐはぐさにサハラは若干混乱する。メタトロンは『楽園の蛇』の協力者。なら、ユードが殺す道理はない。いや、それよりも号砲? 我々?


「あぁ……この天使風に言うなら『時は来たれり。百合は咲き誇る』……ってとこかな」

「お前、何を言って……」

「おやおや? 天使化の影響で忘れてしまった……かな? では、名乗らないと……ね」


 ユードはそう笑うと、己の作業着をガバリとめくりあげ、自身の腹部をサハラに晒してみせた。それを見た瞬間、サハラは思い出し、目を見開く。


「それ、は……じゃあお前……!」

「そう、その……通り。邪魔者は失せて、時は……来た。もう水面下にいる必要も……ない」


 ユードの腹部。やや痩せぎみの、細いその腹には――青い百合の紋章が刻まれていた。サハラは、その紋章に、青い百合に、いつかのマオの言葉を思い出す。『体のどこかに青い百合の形の文様が現れるの。だから、彼らはそれを隠しているはず』――!

 サハラの驚愕する顔を見て、ユードは朗々と……自分たちの、人類を裏切る者たちの名を告げた。


「我々は、啓示を受けた者。我々は、人をいずれ脱する者。我々は、天に身を捧げる者。我々の名前は――〈智人ジルヴ〉」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る