第42話 願わぬ対面
「〈
「そう……その通り。思い出してくれた……かな?」
ゆらり、と不気味に長身を揺らしたユード。彼の白衣には撃ち殺したメタトロンのものだろう、鮮やかな赤が飛沫を描いていた。
「お、お前が……〈
最後にその名前に思いを巡らせたのは、タオが表出化を見せた直前だったか――母やウリエルのことで忘れていたその名前が、記憶の奥から浮かび上がってくる。
天使に
それがまさか、目の前に……しかも、見知った顔だったとは。
「……悪い冗談じゃ、ないんだな」
「キミとボクがそんな間柄だった……かな?」
嘲るように目を細めるユード。いつもと変わらない彼の風貌だったが、腹に確かに刻まれた青い文様が、サハラの目に現実を突きつける。
サハラが混乱を払いながら、状況を整理しようとする。それを見たユードは思い出したように人差し指を立てた。
「あぁ、キミに一つ……詫びておきたいことがあったんだ」
「詫び……?」
あくまでその動きに警戒しながらサハラが訊き返すと、ユードは芝居がかって説明し始めた。
「前回のガブリエル戦、覚えている……かい?」
前回のガブリエル戦と言えば、
「そう、その戦い……その中で」
サハラの表情から思い出したことを読み取ったのだろう、ユードはニヤリと頷くと立てた人差し指をサハラに突きつけた。
「本来であれば、キミの機体なら互角……とは言わないまでも、ハウを蹂躙されることなど……なかった。……違うかい?」
「あぁ。……でもあの時は確か……」
嫌な金属音と共に歪に揺れたコックピット。そうだ、あの時は抜こうとした実体剣が腰のマウントから外れず――
「それだよ。……そう、それについて詫びたかったんだ」
ユードは一旦申し訳なさそうに俯く。サハラはそれを妖しく思いながら、何故今なのだろうと
「あの時は申し訳……なかった。アレは……わざとだったんだ!」
その狂気じみた笑みと共に銃口がサハラを捉える。その指が引き金を引く瞬間、サハラは超人じみた速度で飛び退き放たれた銃弾は白壁を穿つ。
「さすがは覚醒した天使……だ! 動きが違う!」
「――ユード……!」
それでこそだ、と笑うユード。瞳を金に輝かせるサハラへ、ユードは何もなかったように弁解を続ける。
「アレがメンテナンスミスだと思った……かい? まさか。残夜ゴロウでも、ましてこのボクがそんなミスをする……とでも? わざとだよ、ちょっとした悪戯だ」
「悪戯……か」
飛び退いた後の低い姿勢のまま、サハラはそう語るユードを睨む。その悪戯のせいでルディたちの《デイゴーン》は全滅し、タオは感情の渦に呑まれた。仮にも『楽園の蛇』計画の一員である、ユードの仕業で。
「彼女がしくじったからね……まぁ、過ぎたこと……だろう?」
「……詫びるんじゃあなかったのかよ」
「そう言った……かな?」
全く悪びれない、そして不明瞭なユードの言葉がサハラの黒い感情を逆撫でる。この状況と混乱を振り払うようにサハラは頭を振ると、ナイフを取り出して構えた。
「……もういい。そういうのは全部、朝霧にでも突き出してから聞く」
「おや、臨戦態勢……かい? 困ったねぇ……でも」
再び銃口をサハラに向けながら、ユードはお道化るように尋ねる。
「その朝霧マイトも、ボクの仲間かもしれない……よ?」
「……!」
ユードの言葉に、晴らした思考へ再び影が差す。
その通り、今は誰が裏切り者かわからなかった。今までユードが裏切り者だとわからなかったように。サハラがこれから考えていた戦略が音を立てて崩れ始める。
「おや? どうしたんだい東雲サハラ。……誰が裏切り者だろうねぇ……星影ルディ? 小春日マオ? 雪暗セイゴ? 或いは――」
「うるせぇッ!」
サハラはナイフで空を切り、その言葉を遮る。滾り始める黒い感情を抑えながら、再びユードを強く睨む。
「誰が〈
じりじりと距離を詰めるサハラに、ユードは銃口を向けたまま笑い掛ける。
「おやおや、聞いていなかった……かな? 言ったはずだ、『これは号砲』……だと」
その瞬間、テノーラン基地を轟音と衝撃が襲った。
突然の事態にサハラはよろけ、天井から塵が降る。その耳に届いたのは、爆音。火薬、或いはアンゲロスが破壊されたときと同じような衝撃と爆音が上から続けざまに聞こえる。そして間もなく届く、怒号と悲鳴と哄笑。
「上でも始まったみたいだ……どうだい、敵は多いらしいよ?」
「くそ……」
サハラは体勢を立て直しながら更なる混乱に陥りそうなのを踏みとどまる。号砲。ユードのその言葉が正しいなら、〈
ユードはそんなサハラを見下しながら、朗々と語り始めた。
「このタイミングで? ……そう思ってるかもしれないが……うん、実際ここが考えうるベスト……だったんだ」
そう言いながら、ユードは今度は二本の指を立てる。
「まず一つの理由は、東雲アシェラの死だ」
「母さんの死が、どうして」
「気付いていた……あぁ。東雲アシェラは気付いていたんだよ、我々〈
「お前……ッ!」
敢えてサハラを煽るように語るユード。勢いのまま突っ込もうとするサハラだったが、なだめるようにユードは手で制する。
「そして二つ目は、ウリエルの死だ」
「……ウリエル?」
先日、サハラが打ち倒したウリエル。むしろ天使側の存在であった彼が死んだことが何故〈
「キミだ。……ウリエル、旭ウリュウはキミの力に固執していた。そして我々としては、キミみたいなのは邪魔で……つまり、キミを排除しようとすると、ヤツが邪魔する可能性が……あった」
ゆらり、と体を揺らした流れで銃口が光る。サハラが転がるように横へ飛ぶと、先程までいた場所に弾痕が刻まれる。ユードは『今はウリエルの声がしないだろう?』とでもいうように肩をすくめる。
「まぁ、キミが完全に覚醒してしまったのだけは誤算だったけど……ね」
ユードは参った、という風に頭を抱えて、それから腕時計を確認する。すると天井を仰いで、ぽつり、呟いた。
「……そろそろ……かな?」
キィィィィィィン!
「――ッ!」
突然響いた高音の耳鳴りにサハラは顔をしかめる。音は遠いが、強い。そしてサハラはこれが実際に聞こえている感覚ではないことを痛感していた。高高度の上空から響く、誇示するようなこの感覚。サハラの記憶が、脳内に一つの像を結ぶ。
少年のような姿と、右腕に刻まれた青い百合の文様。そして、突き抜けるトランペットのような声。
「――ガブリエル……ッ!」
サハラはこの天使の感覚が、
『天使の襲来を確認。天使の襲来を確認。カトスキア職員はただちに第一戦闘態勢へ移行せよ。繰り返す――』
同時に、混乱をつんざいて届く警報。同時に、サハラはガブリエルの気配が前回戦ったときとは違うものを纏っている感覚を覚える。
「これは……まさか……」
前回は《ヘルヴィム》で現れたガブリエル。しかし、今回はその比じゃない何かを感じる。つまり、考えられるのは――!
「おぉっと……待った」
ガブリエルの《セラフィーネ》。その結論に至り駆け出そうとするサハラだったが、その眼前をユードの撃った弾丸が貫く。横目で見れば、ここは逃がさないとばかりにユードは笑っていた。
「満を持して、我々の主の登場……だ。他の
「……なるほど」
サハラはユードの方へ体を開きながら、尋ねる。
「〈
「あぁ、そういうことになる」
玉座の間でのガブリエルは、サハラにモノとして興味を強く示していた。あの感じならば、こういうことを思いつくのも頷けそうなものだ。サハラは『休め』の姿勢を取りながら、ユードの銃口を睨む。
「……じゃあ仮に、俺がガブリエルを倒せばこの騒動は終わるのか?」
「……うーん」
ユードは考えたこともなかった、という風に思い悩むと軽く結論を出した。
「我々は少数だからね……或いは?」
首を失った蛇みたいに、動かなくなるかも――ユードがそう言い終わらない内に、サハラは動き出していた。
「そいつは良いことを聞いたッ!」
サハラの後ろに回していた腕が降り抜かれる。飛び出すナイフ。気付いたユードはそれを撃ち落とそうと狙いを定めるが、それより先にナイフはその肩を切り裂いていた。
「ぐっ……!」
サハラはそれを確認する間もなく、ユードに背を向けて地上へ走り出す。未だに小さく揺れ続けるテノーラン基地の階段を全力で駆け上がる。
「ガブリエルの《セラフィーネ》は、俺が……!」
もう戦闘も始まっているはず。しかし、並の堕天機では最上級の堕天機である《セラフィーネ》に太刀打ちできるとは思えない。俺が、俺と《アルヴァ》が出なければ!
「見上げた身体能力だ! ますます呪光が欲しい……よ!」
追って来たユードだろう、後ろから声と共に銃声が聞こえる。サハラはその射線に入らぬよう動きながら、格納庫への道を駆ける。
しかし。
「コイツは……!」
地上に出て、見えてくる惨状。基地の一部は崩壊し、廊下には立ち込める黒煙。方々で銃声が響き、ガラス張りの窓には赤い争いの痕が刻まれる。
サハラの進行方向にも人間同士の戦闘が行われていた。腕に青い文様を持つ女が一人、こちらに気付く。
「覚醒者、東雲サハラだ!」
「チッ!」
女はこちらを見つけた瞬間、迷いなく撃っていた。それをギリギリで躱しながら、サハラは自分が〈
「追え! 東雲サハラだ、追え!」
「こっちは駄目か!」
後ろから響いてくる怒号と眼前の女に、サハラは進路を変えて格納庫を目指す。《アルヴァ》を呼ぶことが脳裏によぎるが、それは即座に却下した。あれは敵地であるイェーヴェだから出来たこと、テノーラン基地を自ら破壊するわけにはいかない。
「待て……よ!」
しつこく追ってくるユード。サハラはその気配を強く背中に感じながらも他の〈
ユードの弾丸が頬をかすめるのを感じながらも、サハラはがらんとした格納庫へ飛び込む。見えるのは真ん中に《アルヴァ》が一機のみ。覚醒の一件以来隔離されているのだった。
「あと少しッ!」
後ろを振り返る。ユードは追ってこそいたが、まだ少し距離がある。今なら《アルヴァ》に乗り込める。サハラはチャンスを確信して《アルヴァ》へ駆け寄った。
そのとき、ふらりと《アルヴァ》の影から人影が現れる。
「誰――」
サハラがその姿を確認しようとした途端――脇腹が燃えるように熱くなった。感覚が遅れて、耳に届く銃声。
「ぐぁ……ッ!?」
衝撃と痛みに足がもつれて、サハラは《アルヴァ》に届く前に格納庫に倒れ伏す。ユードはまだ来ていない。そして目の前の影は紫煙をあげる銃を構えながら、淡々とサハラを見下ろしていた。
「俺、前から言ってたよな……『調子に乗って突っ込むな、戻れサハラ』……あぁ、訓練生の時からだ」
その聞き覚えのある声に、サハラは目を見開く。黒い銃を持ったその手は、あまりにも似合わない革の手袋。そしてその先には、見知った顔が冷酷にこちらを見下ろしていた。
「よくやった……ははは!」
追いついたユードがその人物の顔を見て、嬉しそうに笑う。我らが仲間。ユードがそう口にして、サハラはまさかと震える。
「おい、何の冗談だ、お前……!」
「冗談じゃねぇさ。冗談でお前と敵対しねぇよオレは」
いつもの軽薄な態度でそう告げる人影。サハラは、この一瞬で突然何が起こったのかいまだに理解出来ず、見上げるままにその人影の名前を呟いた。
「――……アラン……!」
「おう、呼んだかサハラ」
全く目を笑わせず、しかしいつもの軽薄な口調で応じる彼は――セイゴ隊オペレーター、
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