第17話 パジャマ

「お前もシャワー浴びて来いよ。俺のTシャツ貸してやるし」

 シャワールームから出てきた斉木が、タオルで頭をガシガシと拭きながら坂田に声をかけた。

「うん。あ……あのさ、頼みがあるんだけど」

「ん?」

「Tシャツじゃなくて、その……パジャマとかある?」

「あるけど? 何、そっちがいいの?」

「うん」

「待ってろ」

 斉木はあまり深く追求しない。それが坂田にはありがたかった。Tシャツを着たくない理由が坂田にはあるのだ。

「はいよ」

 斉木がバスタオルや何かと一緒にパジャマを持って来て坂田に手渡す。

「お前にはデカいだろうけど、俺んちSサイズは存在しないから」

「大丈夫、すそ捲って穿くから。何これLL?」

「いや、3L」

 坂田は肩を竦めてバスルームに消える。それを見送りながら斉木はグラスを片付ける。このまま出しておいたら坂田がどんどん飲んでしまいそうだからだ。

 斉木がグラスを綺麗に洗ってソファに戻ってくると、坂田のシャワーを浴びる音が聞こえる。

 最近の斉木は自分でも何かおかしい事に気づいている。自分は極めてノーマルだと思っていたのに、なぜか坂田が気になって仕方ない。坂田に対して『性的な魅力』を感じるのだ。いや、坂田だぞ、坂田! 「坂田の言うとおり、俺は隠れゲイなのかもしれねーな」などと自嘲的になってしまう自分がいる。

 とにかくこのまま坂田のシャワーを浴びる音を聞いていると変な気分になってしまいそうで、急に恐ろしくなった斉木は慌ててCDシェルフから適当に一枚引っ張り出してオーディオにセットした。

 明るいのに重厚、深みのあるクリアなサウンド。向井滋春のトロンボーンは斉木の好みの音だ。こんなイカしたトロンボーンプレイヤーが他にいるだろうか。少なくとも斉木の中ではナンバーワンだ。この音を聞いている間は坂田を忘れられる。

 自分だけなのか他のプレイヤーもそうなのか斉木にはわからないのだが、一緒にセッションしているプレイヤーとの周波数がピタリと合った瞬間、背筋を駆け上がるような性的な快感がある。ジャズフェスでもあったし、他のコンサートの時でも何度も体験している。 

 相手は自分の四倍くらい生きていそうなジジイである事もあるし、自分の親くらいのオバサンな時もある。それでもピタリと決まった瞬間は腰が砕けそうになることがあるのだ。

 何故だろうか、坂田はそこにいるだけでそれと同じような感覚に陥ることがある。今まで付き合った事のある何人かの女の子たちには無い『何か』が坂田にはあるのだ。

 そうこうしているうちにガチャリとバスルームのドアが開く音がした。坂田が上がったのだろう。

「斉木」

「あ?」

「ごめん、頼みがある」

「何?」

「電気消して」

「はぁ?」

「いや、その、見られたくないんだよ」

「手首か? もう見たじゃん」

「そうなんだけど……それだけじゃ無くて」

「えっ?」

 それだけじゃ無い? いったいどれだけ自傷行為を繰り返しているんだ? 体中が傷だらけと言うことなのか? こいつは……こんな小さな体で、どれだけ過酷な時間を今まで過ごしてきたんだ?

「わかった。ちょっと待て」

 斉木は部屋の隅にある間接照明だけを点けて、部屋の灯りを落とす。彼はよくこうやって間接照明だけにしてジャズやクラシックを聴いているのだ。

 いつものように部屋が薄暗くなったところで坂田に声をかける。

「これでいいか?」

「うん、ありがとう」

 バスルームの方からブカブカのパジャマを着た坂田が戻ってくる。その姿を見ただけで斉木はドクンと心臓が跳ね上がる。坂田にそんなことを気づかれたくない斉木は、努めて普段通りに軽く振る舞う。

「お前にはでけーな、やっぱ」

「うん、時代劇の長袴ながばかまみたいだよ」

「それ、半袖なのに七分袖みたいになってんなぁ」

「そうだね。お父さんの服を着てる子供みたい」

 無駄話をしながら斉木の隣に座った坂田は、自分の両腕を抱えるようにした。そんなに見られたくないのか。どこにそんなにたくさんの傷があるのか。

 だが、坂田が見られたくないと思っているのだ、斉木は敢えて坂田の方を見ないようにした。それで坂田が安心できるならそうした方が良いに決まっている。

「あのさ、さっきの話だけど」

 坂田が唐突に切り出した。

「この手首の傷のこと。斉木には話しておきたくてさ。聞いて貰っていいかな。これ言っちゃったら、もう僕たちの関係が終わってしまうかもしれないけど」

 この言葉を絞り出すのにどれだけの勇気を必要としたのだろうか。斉木はその気持ちが嬉しかった。

「聞くよ。何があったか知らんけど、ちょっとやそっとで終わるような友達だとは思ってねーから」

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