第21話 ガンバ属
午前中みっちり宿題をした二人は、お昼にはぐったり疲れていた。特に普段そんなに勉強しない斉木にはその疲労は凄まじく、もう午後から何もできないほどになっていた。
坂田はと言えば、勉強することで現実逃避していた日々もあったせいか、その時は疲れを感じていても、また午後からいくらでも勉強できそうだった。
坂田の要望でスタジオに入った二人は、昨日のようにセッションを楽しんだ。斉木にとって、楽器の演奏は何よりの気分転換になる。
今日は坂田がストリング・ベースを弾いてみたいと言い出した。斉木は少し驚いた。
坂田は百六十センチに満たない。ストリングベースはエンドピンを出さなくても優に百八十センチを超える。さらに斉木は身長があるのでエンドピンを二十センチも出していて、全長二メートル程になっている。何故これを選んだのだろうか。
「楽器の後ろに立って。そう。左手でネックを持って。右手は弦のとこな」
斉木に言われた通りのポジションを取る。それなのに斉木は何故か笑っている。
「なんだよ、なんか変か?」
「いや、ポジションはいいんだけどさ。なんて言うか……アハハハ」
「なんだよー」
坂田が口を尖らせる。
「いや。ストリング・ベースってさ……あーいや、なんでもない、なんでもない」
「なんでもないつって笑ってんじゃん」
「ごめんごめん。坂田が小っちゃくてさ。可愛いなぁってさ」
「バカにしてんだろ」
「してないしてない」
と言いつつ、笑いが止まらない。
「エンドピン、引っ込める?」
「いいよ、このまま弾きたい」
斉木がネックを押さえてボディをくるっと回す。
「ちょっと貸してみ」
坂田が楽器を放すと、スルンと斉木の懐にストリング・ベースが収まってしまう。斉木の目つきが急に変わる。その目を見て坂田はゾクリと体を震わせる。
「この楽器な、モデルがあんだよ」
「え?」
斉木がウォーキングラインを弾き始める。
「弦楽器ってさ、オケで使うヤツ主に四種類あるだろ。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。その内、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロはヴァイオリン属で、コントラバスだけがヴィオラ・ダ・ガンバ属なんだよ。ガンバ属の最低音域のヴィオローネってやつから進化してるんだ」
「?」
坂田が判らんといった顔をしている。それはそうだろう、話はこれからだ。
「でさ、そのガンバ属の最大の特徴が『なで肩』なんだよ。ガンバ属は女の身体をモデルに作られたんだ」
「女?」
「そ。ヴァイオリン属は肩がしっかりしてる。でもガンバ属は明らかになで肩。ネックから手を滑らせてやるとわかるんだけどさ、首筋から肩、くびれたウエスト、少し張ったヒップと続く」
言いながら斉木は楽器を上から撫で下ろして行く。その手を見て坂田は思わず息を呑む。
「ガンバ属は女を後ろから抱き寄せて愛撫するつもりで弾くんだよ。いい声で啼いてくれるようにな」
その表現だけで坂田は思い切り赤面してしまう。斉木の口から出た言葉だと思えば尚更だ。
「斉木、表現エロい」
「バカ、エロい気持ちで弾くんだよ、楽器ってもんは」
実際ウォーキングラインを展開している斉木の仕草は、ただ楽器を弾いているだけのそれとは思えないほど官能的だ。見ているだけでゾクゾクしてしまう。
「ちょっと……」
「あ?」
「その楽器に、その……」
「なんだ?」
「……嫉妬したよ」
坂田が小声で呟くように言う。斉木はふぅっとため息をつくと、楽器を置いた。
「お前がそういうことを言うから俺に火が付くんだろうが」
「え?」と顔を上げる坂田に一歩で詰め寄り、片手で抱き寄せて唇を重ねる。
坂田が両手を突っ張る。しかし、斉木の腕がその抵抗を許す筈がなく、両手で更にきつく抱き締める。
坂田が抵抗を諦めると、斉木は片手を離して坂田の側頭部に添える。そのままスルスルと首筋を伝って斉木の大きな手が坂田の肩を撫で下ろして行く。無意識に坂田の喉の奥から甘い声が漏れる。斉木の手は肩から更に滑り下り、ウエストのくびれをなぞるようにして腰のラインを撫で下ろす。
斉木が唇を離すと、坂田から溜息が漏れる。
「ストリング・ベースのラインだな。坂田」
坂田が黙っていると、斉木が追い打ちをかける。
「今、感じただろ?」
「なっ……」
「お前の『女の身体』が感じたんだろ?」
坂田は言い返せない。
「言ったじゃん。このスタジオに入ったら犯すよ、ってさ」
坂田は内心焦っていた。期待している自分に気づいたからだ。自分は男として斉木が好きだ。だが、身体は女として斉木を求めている。自分はどうなってしまったのか。身体と心の性別が一致しないだけじゃなくて、心の中も分離しているのではないか。
頭はこんなにも冷静なのに、身体が斉木を欲している。もっとキスしたい、もっと抱き締めてほしい、愛されたい。僕はどうなってしまったんだ?
「向こう行こうぜ。このままここにいたら、俺、マジでお前犯すわ」
そう言って斉木がスタジオのドアを開けた。坂田はホッとしたように「うん」とだけ言った。
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