第20話 ハムエッグ
翌朝、先に目覚めた斉木は坂田を起こさないようにそっとベッドを抜け出して、一人でシャワーを浴びていた。
俺、よく我慢したよなー……と、自分でも笑ってしまう。自分が好きになった男、いや身体は女だ、が隣に眠っているのに。いっそ坂田が正真正銘の男なら良かったと今更思う。迂闊にも女だったりするから余計なことばかり考えてしまって、なんだか昨夜は寝た気がしない。
大体、昨夜は坂田の方から誘ってたじゃないか、いや、あれは誘ったとは言わないか。それでもなお行動に出せなかったのは、やっぱり坂田の事が大事だと思えたからだろう。自分にそんな良心が残っていたのかと、斉木は自嘲する。
何よりも、目覚めた時に隣に眠っていた坂田の寝顔が愛おしくて、気が狂いそうだった。何だろう、よく赤ちゃんを抱いた若いお母さんが「可愛くて食べてしまいたい」という表現をするが、まさにそんな感じだった。
あの話をする前に、坂田は「これを話したら、この関係は終わってしまうかもしれない」と言った。確かにこの先どう付き合ったらいいのか、正直斉木にはわからない。一つ確かなことは、自分たちがお互いを本気で好きになってしまったことだ。
これは自分たちにとって、幸せなことなのか不幸なことなのかは、自分では判断できない。坂田はこれをどう判断しているのだろうか。
斉木がリヴィングに戻ってくると、ちょうど坂田がベッドルームから出てきたところだった。明るい部屋で見るといつもの坂田だった。昨夜の坂田は別人だったんじゃないかと思うほど、『いつもの坂田』だった。
というか寧ろ、昨夜の坂田が坂田ではなかった。斉木は坂田の潤んだ瞳や濡れた唇を思い出して狼狽えた。
「おはよう」
坂田が声をかけてくれたおかげで、斉木の脳に復元された昨夜の坂田は消え去った。そこにいるのはいつもの坂田だ。
「あー、おはよ。眠れた?」
「んー……まあまあ。斉木は?」
「んー……まあまあ。かな?」
「シャワー浴びたの?」
「ああ、うん。お前も顔洗って来いよ」
「うん」
坂田が顔を洗いに行くのを見送ると、斉木はコーヒー豆を挽き、卵を焼きながら食パンをトースターに突っ込む。坂田が戻ってくるころにはコーヒーとトーストとハムエッグが出来ていた。
「斉木が作ったの?」
「ああ、そうだけど」
「早いね」
「いつも同じの作ってるし」
「そっか」
二人で朝食を取っていると、なんだか一緒に住んでいるような錯覚に陥る。
「なあ、お前今日何か予定あんの?」
「特に無い」
「じゃあさ、制服ってのもアレだから、一度帰ってもう一回うち来いよ。俺の服貸してもいいけど、デカすぎるしさ……。夏休みの宿題、一緒にやんね?」
「いいね。そうしよう。でも帰るの面倒くさいよ。斉木の服デカくてもいいから貸して」
コーヒーを飲んでいた斉木が吹き出しそうになる。
「Tシャツしかねーぞ。Tシャツ、嫌なんだろ?」
「斉木しか見てないからいいよ。下もショーパンあれば引きずらないし」
「あるある。じゃ、飯食ったらな」
「サンキュー」
こうして見ている限りでは、ちょっと発達の遅れている男子にしか見えない。これでいいのかもしれないな、と、斉木は思う。下手に女子に見えても自分が困る。
トーストと目玉焼きをコーヒーで腹に流し込んだ斉木は、早速Tシャツとショートパンツを出してくる。Tシャツはゴチャゴチャと柄の入ったやつだ。シンプルで色の薄いTシャツなど、斉木にとっては自殺行為に等しい。坂田が生物学的にメスだった事により、斉木はいろいろと気を遣う事が増えてしまった。それも自分のために、だ。
だが、斉木の最大限の配慮は無残にも一撃で崩れ去った。斉木の服を着た坂田は必要以上に女子だった。綺麗な脚、くびれたウエスト、柔らかい胸のライン、坂田は間違いなく女子だった。
「てーかお前、俺を誘ってる?」
「は?」
「お前、存在自体がエロい。その辺の女子より遥かにエロい」
「アホか。僕は男だ」
「男に欲情するわ」
「するな、ホモ」
ああ、いつも通りの坂田だ、と斉木は妙に安心する。
「さ、宿題やっつけようぜ」
何事もなかったように坂田がカバンから宿題の束を出す。斉木もカバンをひっくり返している。
「なんで今更百人一首なんか宿題にすっかなー」
「昔の人の女々しいラブレターなんか読みたくないから、僕は数学からやっつけるよ」
「んー、じゃ俺も」
二人は問題集を開いた。
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