第45話 アドレス不明
ビジネスマンと思われる男性、家族旅行に見える親子連れ、恋人同士らしきカップルなどに紛れ、空港のロビーには高校生らしき男の子と一見女の子にも見えそうな中学生くらいの男の子が居た。この二人が斉木と坂田であることを知る者は一人もいない。
出発前の待合ロビーでの二人は実に対照的だった。
坂田は希望も絶望も感じさせない表情で、膝の上に組んだ自分の手をじっと見つめていた。
斉木は落ち着かない様子で、天を仰いだり壁の一点を凝視したり首を振ったりしながら、スマートフォンを弄っていた。水谷に打つ最後のメールの文面を考えていたのだ。
『水谷、今から引っ越しする。今まで本当にありがとう。水谷の事は一生忘れない。お前という友達がいたことを心から誇りに思う。わずかな時間でも水谷と友達でいられたことを神に感謝してる。お前とはもう会う事も無いだろうけど、俺はずっと水谷の幸せを願ってるから。どこに居てもお前の事絶対忘れないから。たくさん迷惑かけてほんとにごめん。ありがとう。俺の一番の親友、水谷へ』
泣きながら打ったメールは、もっとたくさん伝えたい言葉があるのに何も思い浮かばず、かと言ってウダウダと似たような言葉ばかりが並び、斉木にはどうにも頭の整理がつかないまま水谷に送信された。送信完了と同時に泣き崩れる斉木からスマートフォンを取り上げ、坂田は無慈悲にアドレスを変更した。これで水谷は返信することができなくなった。
これによって水谷や山根とも連絡が取れなくなった二人は、完全に日本の関係者との繋がりが切れ、そのままパリまで移動することで彼らの追跡を不可能にした。
焦ったのは水谷である。
『今どこ?』
と、すぐに返信したにもかかわらず、アドレス不明ではじかれてしまうのだ。
――今、来たばかりのメールだろう? 何故返信できない?
LINEやショートメールを駆使したにもかかわらず、何度リトライしてもつながらない事に焦った水谷は、すぐに山根のところに向った。山根は『あの事』を知っている。
1年B組の教室にズカズカと入ってきた水谷は、他の女子たちと談笑している山根を見つけると「ちょっと話がある」と言って、他の女子たちから引き剥がすように彼女を廊下に連れ出す。「水谷君、大胆!」とコソコソ言う女子の声を背中に聞きながら廊下の隅まで山根を引っ張って行った水谷は、彼女を正面に見据えるとおもむろに切り出した。
「山根、単刀直入に聞く。坂田と斉木の事は知ってるな?」
「え? 何を?」
水谷が声のトーンを落とす。眼鏡の奥の瞳に貫かれ、山根は竦み上がる。
「病院で会っただろう? 俺はずっと二人の相談に乗ってきたから山根と病院で会ったことも聞いてる、心配しなくていい」
だが、山根は『誰にも言わない』と約束したので水谷に心を許さない。
「でも……」
「斉木に坂田の身体の異変を教えたのも俺だ。今は非常事態なんだよ。何も言わなくてもいい、とにかく山根から二人にメールしてくれ、今すぐ。多分つながらないから」
「え? どういうこ――」
「いいからさっさとメールしろ!」
普段穏やかな水谷が声を荒らげる。周りが一斉に水谷と山根を振り返る。
「わかった」
ポケットからスマートフォンを取り出し、暫く弄っていた山根が「嘘……」と呟く。
「くそ、やっぱり」
忌々しそうに窓の外を見やる水谷に山根が詰め寄る。
「水谷君、これ、どういう事?」
「ちょっと来い」
「やっ、ちょっと、水谷君!」
水谷に上腕を掴まれて山根が引きずられていくのを見て、他の生徒たちが「水谷が公衆の面前で」と冷やかしている。
「さっき来たばかりのメールだ。一分後に返信してもうアウトだ。あの二人はこの学校はおろか、山根や俺とも関係を切ろうとしてる」
水谷のスマートフォンの画面を見ていた山根の表情が険しくなって行く。
「なんで? あたしと水谷君だけなんでしょ、あの二人の力になってあげられるのは」
「だからだよ。これ以上俺たちに迷惑かけらんねーとか余計なこと考えてんだ、あのバカ」
水谷が柄にもなく苛立った様な声を出すのを見て、山根は狼狽えてしまう。
「迷惑なんてなんにもないのに」
「誰にも知られずに内緒にしておくことがどれだけ大変な事か、あいつらは判ってるんだよ。だから俺たちに余計な気遣いをさせまいと……」
「嘘でしょ、そんな事で?」
「それだけあいつらの心の傷は深いんだよ」
「やだ……どうしよう」
山根が両手を口元に持っていき、知らず知らずのうちに合掌している。
「先週までは死ぬ気満々だった。何度止めたかわからん。引っ越しの方に気が向いただけマシというべきだ。だけど、俺の目の届かないところに行ったら、何が起こるかわからない」
「ね、どこに行ったか見当つかないの?」
山根の大きなこげ茶色の瞳が水谷を見上げる。
「全く見当もつかない。ただ……」
「ただ?」
「俺は坂田を知っていたんだ。小学校の時に坂田に会ってた。まだ女の子だったけどな。それを考えると、またどこで知り合いに会うかわからないと考えるのが坂田の思考回路だ。つまり知り合いに絶対に遭遇しないところを探す筈……坂田が次に向かうのは海外だ」
「それ……絶望的じゃない」
水谷がスマホをポケットに片づけて大きくため息をつく。
「斉木と坂田が海外に出て何をするかだ」
その時、山根がハッとしたように顔を上げた。
「斉木君、プロのミュージシャンだよ!」
「何?」
水谷の眼鏡の奥で目が大きく見開かれた。
「それ、本当か?」
「あたし、坂田君と一緒に斉木君のステージ見たもん。斉木君のピアノに坂田君てば腰が立たなくなっちゃって大変だったんだよ」
水谷の顎が思い切り下がる。
「なんてこった。この前冗談で『最新アルバムをサイン入りで寄越せ』って言ったとき何も言ってなかったのに」
「当たり前じゃん。斉木君なんか何枚もアルバム出してんだから。水谷君が冗談でも、斉木君にはフツーの事なんだよ」
「でもあいつは……吹奏楽部で打楽器だったよな?」
水谷が顎をつまんでブツブツ言っている。そんな彼の顔を覗き込むように、山根が力強く否定した。
「ドラムも神童レベルだけど、斉木君の本業はサックスとピアノ。あたしたちが行ったのは横浜ジャズフェスティバルだったんだよ? もう、ファンが大勢いて、カズヤコールとかあって、ほんと凄かったんだから!」
「ジャズか……アメリカかヨーロッパだな」
「でも、案外そう思わせて近くにいるかもしれないよ? 関西とか」
「あり得る。そうか、あいつピアニストだったか」
「サックスもねっ」
顎を弄りながら何やら考えていた水谷は不意に顔を上げた。
「よし、そっちの線から探そう。山根、あの二人の事を知ってるのは俺と山根だけだ、絶対に誰にも知られるなよ。それと、二人の事で何か知ってることがあったらどんな些細な事でもいいから教えてくれ。ピアニストだってのは物凄い有力情報だよ。俺はジャズ界かピアニストの筋で何とか探してみる」
「わかった」
二人はそれぞれの教室に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます