第3話 マッピパッチ

 結局坂田は斉木に誘われるままに吹奏楽部に入った。坂田はスポーツを得意としていない。かと言ってこの学校は文化部があまり充実していない。文芸部があるにはあったが、その内容は下手な同人誌を書いているオタクの集まりでしかなかった。手芸部なるものもあったが坂田が手芸をやる訳も無く、軽音部という名のカラオケ同好会にも入る気がしなかった彼は、帰宅部よりはマシというだけの判断で吹奏楽部に入ったようなものだった。

 吹奏楽部に入って坂田がまず焦ったのは、そのクオリティの高さだった。この学校の吹奏楽部は『吹奏楽の甲子園』と呼ばれる普門館ふもんかんに何十年と連続で行っている超強豪である。今はもう普門館で全国大会が行われる事は無くなったが、それでも毎年全国大会で優秀な成績を残している事には変わりなかった。

 そしてレベルの高い学校なだけあって部員数も凄まじい。その中で一軍、二軍、その他と三つのランクに分けられ、毎月昇格テストがあるのだ。

 その中で斉木は入学早々、一軍入りしていた。坂田は何も知らなかったが、斉木はこの辺では有名な『神童』だったようだ。テストさえ受けていないらしい。

 坂田はそれを知って途轍もなく後悔した。こんな神童と一緒に入ったって、自分の面倒など見て貰える訳がない。初日に「俺が教えてやる」と言われてはいたが、社交辞令でしかなかったのだと今頃になって思い知らされたようなものだ。

 だが、斉木は嘘はつかなかった。一軍の連中がコンクールの課題曲をそれぞれ個人練習している間、坂田につきっきりで教えたのだ。それも自分のパートでは無い、坂田のテナーサックスをだ。

 先輩も顧問も、斉木に何も言わなかった。実際パート練習をしても合奏をしても、全く問題ないどころか誰よりもその曲を深く理解し、完璧に叩きこなしていたからだ。その上で自分の練習時間を坂田に回したところで文句など言える訳がない。

「何だろうな、息漏れしてるんだよ。親指咥えてみ?」

「こうか?」

「違う。親指の腹で上の前歯を下から押す。そう。そんで下唇を下の前歯に被せるようにして咥える。こんな感じ」

「こんなか?」

「そ。そのまま口を閉じる」

「んっ」

「息を吹き出してみ? 出て来ねえだろ?」

「……ぷはー。ほんとだ、出ない」

 斉木が咥えた指を放しながら「だろ?」と笑う。坂田も自分の指を放して、親指についた前歯の歯型を眺める。

「すっげー歯型ついてんじゃん。そんなにキツく咥えたらマッピがあっという間に傷ついちゃうよ。マウスピースパッチってのがあるから用意しといた方がいいな。今のマッピパッチもすぐボロけるわ」

 斉木が爽やかに笑う。普通に笑ってるだけなんだろうが、コイツが笑うとそれだけで『爽やか』という感じがする。

「リード付けてみ」

「うん」

 坂田がリードを装着する。それを斉木が横から覗きこむ。

「もうちょっと下だよ。マッピと全く同じラインじゃなくてさ、こう、ちょっとアタマ下げんだよ。でさ、マッピに装着する前にちょっと湿らしといた方がいいから。ほら、みんな楽器準備してるときリード咥えてんじゃん?」

「ああ、そういう事だったのか」

「てか坂田、そのリード、三番? お前二番か二ハーフの方がいいんじゃね?」

「何それ」

「ここ」

 斉木がリードに印刷された数字を指さす。

「数字が大きくなるとリードが厚くなる。お前まだちゃんと振動させらんないみたいだし、薄い方が出しやすいかもよ。ちょっと慣れたら自分に合った厚みのやつをセレクトすりゃいい」

「斉木も吹けんの?」

「あったりめーだろ。吹けねーのに教える訳ねーじゃん。俺は三ハーフ使ってるよ」

「凄いね……」

 坂田は正直面喰らっていた。斉木は美男子なだけでなく、パーカッションも神童並み、その上、サックスも吹けんのか……。天は斉木に五つも六つも与えてる。

「なあ、今日帰りに駅前の楽器屋寄って行かね?」

「え、あ、うん……」

 斉木の口調は無理強いするようなものでは決してなかったが、何故か坂田は斉木の言葉を拒否できない。勿論、斉木の事は嫌いではない、寧ろ親切だし、好きな方ではある。だが、何故こんなにも自分に親切にしてくれるのかよくわからない。あんなに女生徒たちに人気があるのに、一人で歩いていればいくらでも女子から声をかけられるだろうに……。

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