第39話 迷路

 その週、坂田は何度か暴れた。言う事はいつも同じだ。

 ――斉木は僕が子供を堕ろす決断をしたことを蔑んでいるんだろう、僕が子供を産んでも育てられないと言ったことを恨んでいるんだろう、僕の事を人殺しだと思ってるんだろう、僕は人殺しだ、自分の子供を殺したんだ、僕の中で一所懸命に生きようとしていた命を、ただの小さな血の塊に変えたんだ、斉木の子供をたったの十五分で、一緒について行ってやる事も無く、たった一人で旅立たせたんだ! あの子が泣いてる、一人ぼっちで泣いてる、行ってやらないと、僕がそばに行ってやらないと!――

 その度に、斉木は何十回でも同じ話を根気良く続けるのだ。

「違うよ坂田。胎児はね、穢れの無いお母さんのお腹の中の世界しか見てないんだ。だから人を恨んだり寂しいと感じたり、そういう感情を知らないんだよ。胎児が知っている感情は一つだけ。お母さんは気持ちいい存在、これだけなんだ。お母さんが悲しんでいると、お腹の中は気持ち良くない。お母さんが幸せでいるとき、赤ちゃんも幸せなんだよ。だから赤ちゃんはいつだってお母さんの幸せを願ってる。あの子はお前の幸せだけを願ってる、ずっとずっと、今も」

 そして、しっかりと坂田を抱き締めて、落ち着くまで背中を肩を頭を撫でてやる。ひたすらそれだけを繰り返した。それ以外に何もできないからだ。

「今度、落ち着いたら供養に行こうな。お地蔵さんが子守してくれてる筈だからな」

 そうやって何時間もかけてやっと落ち着かせる。それが発作的に突然襲ってくる。朝の事もあれば、深夜の時もある。斉木が風呂に入っているときに突然ドアの外で大声が聞こえて、驚いて裸で飛び出すこともあった。

 だが、斉木の忍耐強い対応の成果もあって、週末になる頃にはそんなに暴れる事も無くなって来た。

 その間にも、斉木に坂田の様子を聞いては水谷が何食わぬ顔で坂田にメールを送ってきて、ナンプレの問題や、詰め将棋などについて聞く事があった。十月の文化祭のネタなども振ってきて、少しずつ気持ちを学校に誘導しようとする気遣いも感じられた。



 月曜日になり、二人は揃って登校した。

 坂田は入学当初から『身体が弱い』で通って居た為、「手術入院してたんだ」と言っただけでもうみんな体を気遣ってくれ、それ以上『どこが悪いのか』とか『何の手術をしたのか』とか余計なことを訊く人はいなかった。

 その代わり斉木は散々オモチャになった。『斉木の霍乱』だの『斉木が病気なんて天変地異の前触れだ』だのと遊ばれ、斉木もそれをネタに面白おかしく切り返しては注目を自分に集めた。

 坂田は学校に行くことで元気を取り戻していった。学校のいろいろな事に忙殺されて、余計な事を考える暇が無くなってきたからであろう。これもまた水谷の予想通りになった。

 十月半ばには文化祭がある。二人が休んでいる間にこの文化祭の話がちょうど出始めて、斉木と坂田の1年B組は何をやるかで盛り上がっていたのだ。クラス委員の山根が二人にその話をすると、坂田が「迷路は?」と言い出した。その案はクラス全員をその気にさせた。身体の弱い坂田は力仕事はするなと言われ、その代わり、迷路作りの総監督として図案の作成を任された。これはクラスメイト達のささやかな心遣いでもあった。

 さて、迷路と言えば坂田にはチョロイものでもある。教室サイズを測り、通路の幅さえ決定すれば、あとはもうフリーハンドでほんの数分である。クラスの仲間は魔法でも見るかのような目でその工程を眺めていた。

 坂田がこんな風にしてあっさりとクラスに戻り、今まで通りに復帰できたことを水谷はとても喜んだ。水谷は生徒会の副会長としてこれから多忙を極めるのが判っていたので、あまり二人の事が見られなくなることを少しだけ危惧していたからだ。

 

 だが、幸せはそう長く続かなかった。


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