第25話 出来損ない

 少し躊躇したように坂田の目が泳ぐ。

「ちょっと言いにくいんだけどさ。その……僕はもう一度言っておくけど、男だから。そこは理解して欲しいんだけどさ」

 急に改まってどうしたというのか。とにかく坂田を不安にしてはいけないという思いが先に立って、斉木は何事も無いかのように「わかってる」と返す。

 それでも少し躊躇ってやっと口を開いた坂田が言った言葉は、斉木にはすぐに理解できなかった。

「僕の中の『女』が自己主張を始めた」

「……は?」

「今まで女として扱ってやってた部分を、今年になって僕が拒否したせいかもしれない」

「いや、意味わかんねーよ」

「あるいは斉木に出会った事に起因するかもしれない」

「だから難しい言葉使うなよ、俺バカなんだから」

「つまり……」

 坂田はここで一旦言葉を区切った。

「僕の心は男のままなのに、斉木を『異性として』好きになっていることに気づいた」

 斉木にとって二百パーセント想定外の言葉だった。

「……はぁ?」

「だから、簡単に言うと、斉木に対してだけ僕は女子の感情になるって事だ」

 斉木の脳は既に大混乱をきたしている。

「待て待て待て、え、それ、どういう意味だ」

「だからわかんないかな。僕は男だけど、女として斉木が好きなんだ。もっとはっきり言おうか。僕は女として斉木に抱かれたい」

「ちょ……っと待て」

「僕に性的魅力は感じないか」

「いや、そういう事じゃなくて」

「キスして」

「は?」

 坂田が思いつめたような眼を斉木に向ける。

「ここでできないならスタジオでもいい。スタジオなら僕を犯してくれるんだろう?」

「いや、そうだけど、そうじゃないだろ」

 斉木が慌てて両の手のひらを坂田に向ける。

「斉木は音楽に助けて貰わないと女も抱けないのか」

「そっ……お前それ違うだろ」

「じゃあ今キスしろよ! いつもセッションの後とか、楽器を触った後ばっかだろ。斉木は僕にじゃなくて音楽に性的興奮を覚えるんだろ! 違うのか」

 坂田が斉木を挑発する。だが斉木はその挑発に乗らない。大きく息を吸って静かに吐き出すと、噛んで含めるようにゆっくりと話す。

「バカかお前」

「そうかよ、わかったよ。僕が女の身体を持つ男だからって事だろ! 男の身体を持った男か、女の身体を持った女だったら抱いてくれたんだろ! 僕がそのどっちでもない『出来損ない』だから抱けないってい……」

 斉木はそれ以上坂田に言わせたくなかった。腕の中で坂田が精一杯抵抗している。なんなんだこいつは、抱いてくれと言っておいて抵抗するのか。

「うっ……くっそ、放せよっ!」

「嫌だ。お前さっきの撤回しろ」

「何をだよ。音楽がないと興奮できない事か?」

「違う! 自分を『出来損ない』と言った事だ!」

「出来損ないを出来損ないと言って何が悪い! 僕は出来損ないじゃないか、男でもない女でもない、出来損ないじゃなくて一体なんなんだよ!」

 次の瞬間、坂田はソファにしたたか顔を打ち付けて倒れ、斉木に思い切りひっぱたかれた頬を押さえて呆然としていた。

「……いいか、二度と俺の前で自分の事を出来損ないなんて言うな」

 斉木が静かに言うと、坂田はいきなり声を上げて泣き出した。斉木は坂田を抱き起すと、そのまま懐に入れてずっと抱き締めていた。

 その晩、二人は男と女になった。

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