第55話 こんなの嘘だ

 水谷は信じられないものを見るように目を見開いたまま、瞬きすることさえも忘れてその画面を見つめていた。だが、それは田野倉のオレンジ色のスマートフォンのものか自分の黒いスマートフォンのそれかの違いしかなく、そこに書かれた内容は全く同じものであった。


 Kazuya Saiki

 Yuya Sakata


 横では山根と田野倉が抱き合って泣いている。「こんなの嘘だ」ばかりを呪文のように繰り返しながら。

 七時半に駅で待ち合わせてからずっと一緒にビラを配り、時間になって学校に向かった水谷と山根は、校門の前で田野倉に呼び止められた。

 二人より遅く家を出た田野倉は、パリのジャズクラブ襲撃事件の追加情報をたまたま目にして家を出たのだ。

 犠牲者の中にあった日本人らしき二人の名前。それは明らかに田野倉の良く知る名前であった。名簿順で自分のすぐ前とそのまた前。いつも並ぶときに目の前にいる二人だ。 


 何故? 

 何故?

 何故?

 どうしてパリなんかにいるの?

 ただの同姓同名だよね? そうだよね?

 でも、それなら二人はどこにいるの?

 一カ月もの間、どこで何やってるの?

 

 学校に行けばわかる。全て明らかになる。こんなの嘘だ。そう思いながら学校への道のりを急ぎ、校門の前に山根と水谷の姿を見つけたのだ。

 否定して欲しかった。山根でもいい、水谷でもいい、とにかく「そんなの同姓同名だよ!」と笑い飛ばして欲しかった。だが二人の反応は田野倉の熱望していたものからは程遠いものだった。

 先生に引きずられるように校舎に入った三人は、自分たちを校舎に入れた先生が誰だったのか思い出せないほど混乱していた。

 いや、むしろ水谷は混乱さえしていなかったのかもしれない。自分の一番当たって欲しくない未来が、現実のものとなってそこに存在したからだ。

 ――俺はどこで間違ったんだ? 何を間違ったんだ?

 自問自答はエンドレスで続く。答えが無い事など自分でも判っているのに、それを考えることがやめられない。そして答えが出たからと言って、今更結果が変わる事も無いのだ。

 考えても考えても、頭に浮かぶのは二人の顔。

 正座した膝の上で右手の親指を上に組まれた坂田の手。

 図書室でオドオドしながら辺りを見渡す斉木の目。

 『優弥ゆみちゃん』と呼んだ時、坂田が一瞬だけ見せた怯え。

 ナンプレの本を覗いたときの斉木の苦虫を噛み潰したような笑顔。

 

 スマートフォンに表示された二人の名前がフッと消える。単に省電力モードで画面が消えただけなのに、その名前が消えることが恐ろしくて、水谷はすぐに立ち上げてはその仲良く並んだ二つの名前を表示する。

 ――頭脳しか取り柄のない自分が、頭脳でも二人を救えなかった。どうしたら救えたんだ? どうしたら二人は日本を出ずに済んだんだ? 俺は一体どこで間違ったんだ? 俺は一体何を間違ったんだ!

「畜生!」

 彼は廊下の床を握りこぶしで殴ると、堰を切ったように泣き出した。

 誰も彼に声をかける者は無かった。

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