第9話 監視

 いつ来ても生活感の無い家だ、坂田はそう思う。斉木の家はドラマに出てくるような小綺麗でさっぱり生活感のない家なのだ。

 それは斉木の綺麗好きな性格も手伝っているのだろう。

 男子高校生と言えば、部屋は足の踏み場もないほどゴミだらけで、学校の資料やら教科書が、マンガ雑誌やゲームの攻略本に交じって、スッチャカメッチャカになっているものだ。

 だが斉木は違う。テーブルの上にカップ麺の容器やスナック菓子の袋が置いてあるなんて事も無い。いつも綺麗に片付いていて、コーヒーを淹れてもその場ですぐに洗って片付けているのを坂田は目にしている。

 部屋に置いている観葉植物の葉に埃が積もっているのも見たことが無いし、常に掃除機が掛けられている感じである。

「自分で掃除してんの?」

「いや、家政婦さんが来て掃除してくれてるよ。俺が学校行ってる間に」

「あー、だからか。ご飯はどうしてる?」

「宅配の夕食サービス」

「なるほどね」

 坂田がリヴィングのソファに座ると、斉木はコーヒー豆を挽き始める。

「それ、豆挽いてるだけでいい匂いだね」

「せめて香りって言えよ」

「そっか」

 暑いのか、斉木が制服のシャツの袖を捲り上げる。細身ながらガッチリ筋肉の付いた腕を見て、坂田は溜息を漏らす。

「斉木の腕、無駄に男らしいな」

「パーカッショニストなんだから当然じゃん。管楽器の連中が肺活量を増やすために走りこみやってる時、俺らパーカスはみんな腕立て伏せやってんだよ」

「へー……そうだったのか」

 この腕が僕を保健室まで運んだのか。そう思うと何故か坂田は体が熱くなるのを感じる。なんで斉木相手にこんな気持ちになってんだ、と自問自答するがその答えは坂田にはわからない。これじゃ変態じゃん、遂に僕はおかしくなったのか?

 暫くして、斉木がコーヒーカップを二つ持って来た。あのほろ苦い香りが鼻腔の奥の方まで侵入してくる。

「はいよ」

「サンキュ」

 テーブルにコーヒーを置いた斉木が、おもむろに一枚のCDを取り出してオーディオにセットした。程無くして甘いアルトサックスのサウンドが、前後のスピーカーから二人を包み始めた。

「これは?」

「グロヴァー・ワシントン・ジュニア」

「聞いた事無い」

「じゃ、ここで聴いてけ」

「後ろにもスピーカーがあると、音が立体的になるね」

「あー、サラウンドスピーカーってんだよ」

「ふーん」

 斉木が坂田の隣に座って、コーヒーカップを持ち上げる。その節くれ立った大きな手を見て『ああ、男子の手だ』と坂田は羨ましくなる。自分は何から何まで女子っぽい。細くて小さな手、華奢な体、高い声、長い睫毛、色白の肌、なんでこんなに女子な体なんだ。

 無意識に『はぁ~』と出てしまった坂田の溜息を、斉木は聞き逃さなかった。

「どーした。溜息なんかついて」

「いや……。斉木が男らしくていいなぁって思ってさ。僕はほら、こんなだからさ」

「こんなって?」

「背も小っちゃいし、色白だし、声変りもしてないし、斉木みたいに筋肉質じゃないし……」

「別にいーじゃん、俺はそのまんまの坂田が好きだけど?」

「え」

 坂田は一瞬で身体がカーッと熱くなるのを感じた。これはおかしい。どう考えてもおかしい。まるで斉木に恋をしているみたいじゃないか、そんな筈はない、絶対に。そう自分に言い聞かせてもなお、胸の高鳴りが抑えられない。

 斉木は友達として『好き』と言う言葉を使っただけだ、頭では理解している。だが、何かが変だ、坂田は混乱した。

「なぁ、急に俺んち来たいとか言って、何の話したかったんだよ?」

 唐突な斉木の質問に、坂田はハッと我に返った。

「あ、ああ~、何だっけな」

「なんだよ、忘れたのかよー。ほんとは俺と一緒に居たかっただけなんじゃねーの?」

 坂田は中途半端に図星を突かれてギョッとするが、平静を装って鼻で笑って見せる。

「ホモじゃねーって」

「俺は一緒に居たかったんだけどなぁ」

「は?」

「俺、ホモダチだから」

「アホか」

 ゲラゲラ笑いながらも坂田は内心穏やかではない。

「親、どうしてんの?」

 斉木が笑顔のままでサラッと聞く。あまりに自然だったせいか、坂田は気が緩んだ。

「さあ。母さんは家に居るか、入院してるか、まあ、家に居たら父さん仕事行けないから多分入院してるかな」

「介護が必要なのか」

「介護じゃない。『監視』が必要なんだよ」

「は? 監視?」

 斉木から笑顔が消える。そのかわり坂田が笑顔になる。哀しげな乾いた笑顔。

「放っておくとあの人、死んじゃうからさ……」

 死んじゃう……そういう坂田の手首にもリスカ痕があった。どんな家庭環境に育ったというのか。斉木が黙っていると坂田が言葉を継いだ。

「あの人、僕が側に居ると死んじゃうんだよ。だから僕だけ引っ越して来たんだ」

「そう……か」

 斉木はそれ以上何も聞かなかった。二人はほろ苦いコーヒーを飲みながら、グロヴァー・ワシントン・ジュニアの甘いサックスを聴いた。

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