第10話 ジャズフェス

 七月に入った。梅雨明けしていないのに気温だけがグングン上がるこの時期、ただ立っているだけでもジトッと汗ばんできて気持ちが悪い。

 そんな中で、坂田は相変わらず長袖シャツだ。本人はみんなに「紫外線アレルギーがある」とか適当な事を言っているがそんな筈はない、何故なら顔に関しては全く無防備だからだ。坂田が長袖シャツを着ている理由を知っている斉木は、そんな風に思ってはいるが、みんなには勿論のこと本人にもその話をしたことは無い。

 もうすぐ夏休みである。それぞれの部ではいろいろな大会が目白押しだ。

 吹奏楽部の大舞台、吹奏楽コンクールも例外ではない。吹奏楽部一軍の連中は七月に入ると殺気立って来てさえいる。

 そんな一軍の中にあって、全く必死さの片鱗も窺わせない一年生がいる。勿論『神童』斉木である。合奏の時だけフラッとやって来て、楽団をリードして完璧に叩きこなしていく。オケで言う所のコンマスのような感じだ。だが、普段の個人練習には全く顔を出さない。

 その『神童』斉木は、今日もテナーサックスを首から下げて奮闘する坂田の側で、自分の膝を十四・五ミリのスティックで叩きながら彼の練習をぼんやりと眺めている。

「そろそろリード変えた方がいいんじゃねーの?」

「そうかな?」

「見してみな」

 斉木は坂田の首から下げたままのサックス本体を押さえてネックのネジを緩めると、スポンとネックごと外してしまう。キョトンとして見ている坂田の前で、慣れた手つきでリガチュアを緩め、リードを外して光源の方に向けて凝視する。

「割れてんじゃん。それにこれ、お前にはもう薄いよ。三番で吹いてみな」

「三番? 準備してないよ」

「俺のがある」

 斉木がスティックケースからバンドレンの青箱を出してくる。スティックケースのくせに、リードや蝋燭ろうそく松脂まつやに、クリーニングスワブやコルクグリースまで出てくる。まるで四次元ポケットだ。

 斉木はこの青箱から一枚リードを出すと再び光源にかざして、よく吟味してから坂田の口元に差し出す。坂田もすぐに意味を理解して、そのままリードを咥える。

「お前エロいな」

「ん?」

「唇が」

「意味判んねーし」

 坂田は判らない事にしておきたいのだ。余計な事を考えると斉木を意識してしまう。

「なあ、山根とは上手く行ってんのか?」

「上手くって、別に付き合ってるわけじゃないし」

 そう、あれから山根の勇猛果敢なアタックを躱し切れず、坂田は何度か山根に付き合わされたのだ。彼女の猪突猛進には振り回されっぱなしではあるが、そんな中でもちょっと可愛らしいところを見つけつつもある。

「山根はいい子だし割と好きだけど、やっぱ付き合うとかってのとは違うかな。大体、僕の方が山根よりずっとチビだし、なんか弟扱いされてる感じでさ」

 斉木はそんな坂田を見てフフッと笑うと、カバンから何かのチケットを取り出した。

「なあ、これ。二枚あるんだけど、お前山根と一緒にどーよ?」

 受け取ったチケットを見ると、それがジャズのコンサートであることがわかる。

「何これどうしたの?」

「横浜でジャズフェスがあるんだよ。屋外ホールだけどさ。周りを囲むようにアイスクリーム屋とかドーナツ屋とかたこ焼き屋なんかも出るから、夕飯食わなくても大丈夫だし。ちょっとしたお祭りみたいになるんだよ。俺はお前らと同じ時間に行けないけど、当日会場には居るからどっかで会えると思うし」

「へえ……斉木が行ってるなら僕も行くよ。ありがとう」

「再来週だから、早めに山根の予定押さえといた方がいいよ」

「うん」

 正直言って、坂田はジャズなんか殆ど聴いたことが無い。だが、斉木とジャズが何故かすごく似合っていて、しかも自分の知らない大人の世界のように感じた坂田は、そのチケットを大切にクリアファイルに挟んで鞄に入れた。

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